初版から16年、増補から10年『セヴェラルネス+―事物連鎖と都市・建築・人間』が4刷に入りました。


先日出版社(鹿島出版会)から連絡があり、拙著『セヴェラルネス+』4刷開始とのこと。

初版から16年、増補から10年、ほそくながく読まれて、めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます。

セヴェラルネス(severalness,いくつか性)」は2003年からの連載時に考えた造語です。というより、ふと湧いてきた言葉です。刊行当時よく意味を問われたので、増補版の序文に追記しています。その説明をここに掲載しておきます。この本はこれからもしぶとく生き続けてほしい。書物にとって何よりも名誉なことです。

 ひとつでもなく、無限でもなく
     いくつか
      いくつか―あること
 セヴェラルネス(いくつか性)とは、そんな世界の可能的様態に向けて開かれた言葉である。

 私たちは辻で立ち止まる。目の前に異なった方向へと至るいくつかの道がある。体はひとつ。ゆえにひとつの道しか選ぶことができない。だから確たる理由がない場合、そこに必ず偶然が介入する。

 しかし私が進んできた道や生活をふりかえるとき、それはあたかもデザインされていたかのような理由があった気になる。ようは現在を認めることによって、現在を生み出してきた偶然が、必然的なイメージに変形されているのだ。

 セヴェラルネスとはそのような、偶然と必然が交錯する人間特有の一瞬の判断の過程である。

 似た言葉として「多様性」という言葉がある。しかしその言葉は世界の複雑さを事後的に表現しているだけである。便利ではあるが、なぜ世界が豊富なのか、その理由をひとことも語っていない。

 それに対して、セヴェラルネスはむしろ有限から実に豊富なイメージが生成するというその過程を可能な限り丁寧に語ろうとしたのである。

『セヴェラルネス+』増補版2011序文より

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

「役に⽴たない機械」早慶戦 2021+公開シンポジウム  8/18(水)オンラインにて


今年はコロナ・ウィルスのせいで、タモリ倶楽部の役に立たない機械の収録はありませんでした。この課題の主人公である大学の履修学生を鼓舞するために、早慶両大学で実は行われている「役に立たない機械」課題の近年の優秀作を集めて、早慶戦を開こうということになりました。企画を担当してくれている学生から届いた告知文を掲載します。

一般公開(ZOOM)です。伝統の早慶戦でお楽しみください。

【企画概要】 

企画名:「役に⽴たない機械」早慶戦 2021+公開シンポジウム 

⽇時:8/18(⽔) 13:00-17:40 

開催形式:ライブ形式のオンライン公開シンポジウム+YouTube での作品アーカイブ 

登壇者(予定、そのほかゲスト検討中):中⾕礼仁、⽮⼝哲也、⽯川初、中⻄泰⼈

【タイムテーブル】 

13:00-14:30 イントロダクション   

14:40-17:30 役に⽴たない機械早慶戦   

17:30-17:40 授賞式

【告知⽂】

早稲⽥⼤学と慶應義塾⼤学の建築・デザイン系学⽣が挑む恒例課題「役に⽴たない機械」。今回の早慶戦では、学⽣の作品発表と教員のディスカッションを通して、同⼀名の課題に対する両校の解釈の相違点を探りつつ、「役に⽴たない機械」を⼤学の課題で⾏う意義について考える。

【ZOOM URL】

トピック: 役に⽴たない機械早慶戦 2021+公開シンポジウム時間: 2021 年 8 ⽉ 18 ⽇ 01:00 PM ⼤阪、札幌、東京

Zoomミーティングに参加する
https://zoom.us/j/96477626087?pwd=ZXVjTnd5WWhYQnQ4TDJra1p6dnVaQT09

ミーティングID: 964 7762 6087
パスコード: 024782

*なお、早稲田大学の方では有志による、設計演習A(「役に立たない機械」含む発見的演習授業)での学生課題を一堂に集めて展示する「だけど/だから展」が開催される予定です。日程が以下のリンクだとまだ掲載されていないのだけど、なんとか対面で行えるように準備しているようです。おそらく18日、19日、20日ではないかと思います(詳細が https://www.dakedo-dakara2021.com/access にありました。また情報が更新されたらお伝えします。)

Instagram https://www.instagram.com/dakedo_dakara
Twitter https://twitter.com/dakedo_dakara
Facebook https://www.facebook.com/dakedo.dakara.2021
web https://www.dakedo-dakara2021.com

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

2013年プレート境界建築居住調査時のほぼ全写真公開(再掲)


地震の多くはプレート境界で発生します。2011年の東日本大震災を発端として、2013年にプレート境界上のすまいのかたち、あり方を訪ねました。インドネシア諸島、ヒマラヤ(インド・ネパール)、ペルシャ(イラン)、地中海(トルコ、ギリシャ、イタリア、マルタ)、北アフリカ(チェニジア、モロッコ)を約一年弱をかけて訪問しました。それらは全て日本と同じユーラシア・プレートの境界に沿っています。

その成果は雑誌『科学』で連載され、『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』(岩波書店2017年)と題して、書籍化できました。いままで名も知らなかった地域で見聞したことを緯度経度付きで実地に報告することができました。古代から現在まで様々なことを現地で考えテーマにしました。

訪問中はとにかくメモ用に写真を残していたのですが、生活、建物のほかに地形、地質が面白くてその量は5万枚に達しました。その中から可能なものを公開していたのですが、Googleの仕様変更等で公開できなくなったりしていました。ようやくそれを整理して公開します。残念ながら日毎に分割せざるを得ず、また8年前の記録になりますが、もういけないところもありますので何かの役に立てば幸いです。全て位置情報付きです。

プレート境界の旅 全旅程図 『動く大地、住まいのかたち』岩波2017より
*図中番号が以下の地域番号に対応しています。

1 インド・ネパール

2013/1/6 Kutch https://photos.app.goo.gl/HJaWSptovJagR7Bu6
2013/1/7 Badreshwar, Mundra, Mandvi, Kutch, India https://photos.app.goo.gl/Go7P5TLJk1RgH8eT7
2013/1/8 Dolavhira https://photos.app.goo.gl/jsXJe1xJY9asv7yE9
2013/1/13 Darjeeling https://photos.app.goo.gl/pkyGvAJfLVcAkAWF9
2013/1/14 Darjeeling https://photos.app.goo.gl/qhVyqCsWtu8xYtWR7
2013/1/15 Darjeeling, Kalimgpong https://photos.app.goo.gl/Z6dTaBnYx3aqGvF56
2013/1/16 Darjeeling to Newdelhi https://photos.app.goo.gl/oXsb2RCALxk5pA3K9
2013/1/21 Uttarakhand https://photos.app.goo.gl/nLUo96FZeug5piMBA
2013/1/22 Almora, Bageshwar https://photos.app.goo.gl/acbvKhfqHp4ZAuSU9
2013/1/23 Saitoli Village https://photos.app.goo.gl/YCCTRaRwqwq4HH5n6
2013/1/29 Kathmandu, Nepal https://photos.app.goo.gl/oaVFjT56Q9qYYaKb8
2013/1/30 Panauti, Baktaple, Nepal https://goo.gl/photos/W2wpNNgH9YwQfVGaA
2013/1/31 Nagarkot, Chang Narayang, Nepal https://photos.app.goo.gl/7LZPT5MSaMJSEzMV6
2013/2/1 Bungmati, Kirtiple, Nepal https://photos.app.goo.gl/Rh94U3D3UnYERmdz6

2 イラン

2013/2/26 Tehran, Abiyaneh https://photos.app.goo.gl/CF6DwiDJBjFyupiT8
2013/2/27 Esfahan https://photos.app.goo.gl/9KeVtsKMauRfWxv87
2013/2/28 Izadkhast, Persepolice https://photos.app.goo.gl/tfE1389Vav6i8ihd6
2013/3/1 Percepolis to Yazd https://photos.app.goo.gl/NZX6bQmkmmXuQCLd7
2013/3/2 Yazd, Maymand https://photos.app.goo.gl/4bFze9Uhvh7RS4oD9
2013/3/3 Maymand https://photos.app.goo.gl/qeKGxvw8r9wsbN1PA
2013/3/4 Bandare Abbas, Laft https://photos.app.goo.gl/fwwpiytmcUZLmuQ48
2013/3/5 Bandare lenghe, Siraf https://photos.app.goo.gl/vHjzT5ZyectaCifF9
2013/3/6 Bushher https://photos.app.goo.gl/xHJqe1L6q8KRpbjW9
2013/3/7 Choga Zanbil https://photos.app.goo.gl/fw7ypHgyrZjx2ZdR9
2013/3/8 Shustar https://photos.app.goo.gl/xHotj7zSqJ6GpNJu7
2013/3/9 Shush, Hamadan https://photos.app.goo.gl/hnCot1P7BFEWe4Yw7
2013/3/10 Abru, Simin Abru, Ariabard, Varkane https://photos.app.goo.gl/J1haHaNp8tQAbzkTA
2013/3/11 From Hamadan to Sanandaji https://photos.app.goo.gl/MZPVLzc8CRqMkd4J7
2013/3/12 Palangan https://photos.app.goo.gl/qhirv2yTZ7MNXqVm7
2013/3/13 Takht e soleiman https://photos.app.goo.gl/7pfjNMLXAjryCgXSA
2013/3/14 To Orumiye https://photos.app.goo.gl/oC4TJXtVGiytpFz69
2013/3/15 To Maku, Ghara kelisa, cave of Sangan https://photos.app.goo.gl/7KTmNeDhr5ewYQnC8
2013/3/16 Zenozagh to Tabriz https://photos.app.goo.gl/H5KpsRVCVgP75aud8
2013/3/17 Tabriz To Kandovan https://photos.app.goo.gl/VTEbnaYS616xBBv19
2013/3/18 From Tabriz to Arha, Ardabil https://photos.app.goo.gl/SDpdVAQv9nr5qnqi7
2013/3/19 To Masule https://photos.app.goo.gl/R6GBVmAoJQb1aPpEA
2013/3/20 Gilan rural heritage museum, Kachram village, Paimahalle ye Naserkiyododeh village, Sedap https://photos.app.goo.gl/TGakMUc8KbmokLh96
2013/3/21 Gilan rural heritage museum, Tehran https://photos.app.goo.gl/1KiT4GYfKfHhvwok9
2013/3/23 Tehran https://photos.app.goo.gl/pWhy67ALEC1WAwi78

3 トルコ・ギリシャ・シチリア・マルタ・チェニジア・モロッコ

2013/5/12 Istanbul https://photos.app.goo.gl/iTxVRhZ73CkVQhR26
2013/5/13 To Erzurm https://photos.app.goo.gl/xTdE4g5jxpCHhjzu5
2013/5/14 Erzurm https://photos.app.goo.gl/PMStb9sFUccvCojS9
2013/5/15 Erzurum to Diyabakir https://photos.app.goo.gl/bksY2dvwN9Q9qwmR8
2013/5/16 Diyabakir to Mardin https://photos.app.goo.gl/8HbSu4tTdwkhqRqg7
2013/5/17 Mardin https://photos.app.goo.gl/zHxUecs8rcQjKvzw6
2013/5/18 From Mardin to Urfa https://photos.app.goo.gl/czqtRUWuUp4gzqNy6
2013/5/19 From Urfa to Cappadocia https://photos.app.goo.gl/jnu4k5rwZZ2AvaDL9
2013/5/20 Cappadocia https://photos.app.goo.gl/WR12PTRUMhxoPm8v8
2013/5/21 Cappadocia https://photos.app.goo.gl/64TKRN7PACXtzr3p9
2013/6/3 Athens https://photos.app.goo.gl/wY7mGm49NXJf5NqC9
2013/6/4 Delphi https://photos.app.goo.gl/1KyvgFDMEzSoXEfS9
2013/6/5 Rhodes, Crete https://goo.gl/photos/LkMmK2dcUjU3LSxZ8
2013/6/6 Crete https://photos.app.goo.gl/QnU3kMFRzLMJLb3y5
2013/6/7 Santolini https://photos.app.goo.gl/wExtnuDuRYBdEXgK8
2013/6/8 Santolini(Ancient Thila) https://photos.app.goo.gl/s4fpTPQcpof1ayZg9
2013/6/9 Delos to Athens https://photos.app.goo.gl/nKTs2y5UDKTHafSm8
2013/6/10 Malta Prehistoric Monuments https://photos.app.goo.gl/2iWPU1fak7kZFNrn9
2013/6/13 Noto, Noto Antarctica, Catania https://photos.app.goo.gl/oGsaJborQ8tPRUH77
2013/6/14 Catania, Agrigento, Shacca https://photos.app.goo.gl/QjNkKWc216nAfZW86
2013/6/15 Sciacca, Poggioreale, Gibelina, Salemi https://photos.app.goo.gl/ks8Vb2atfd4YMe8s5
2013/6/18 Cartage https://photos.app.goo.gl/eQAnkMCz5H1hxrq2A
2013/6/19 Kairouan, Sousse https://photos.app.goo.gl/JqSEV13LwihvH6RL8
2013/6/20 Tunis, Tanger https://photos.app.goo.gl/xdxcb9UDDq2m3w3MA
2013/6/21 Tanger, Fez https://photos.app.goo.gl/qJykYt6SgAjEr5xb6
2013/6/22 Fez https://photos.app.goo.gl/ieZG8peEFGsGiBFF9

4 インドネシア諸島

2013/7/22 To Manado https://photos.app.goo.gl/5HKbJYo67zkQfcuHA
2013/7/23 Manado, Tresman, Sawangan, tondano https://photos.app.goo.gl/ywHVJivdyBT5nkTq9
2013/7/24 From Manado to Gorontalo https://photos.app.goo.gl/ry6AFSaFLcjEt9fg9
2013/7/25 Gorontalo https://photos.app.goo.gl/pWhaYboGV4LbZHUm8
2013/7/26 From Gorontalo to Makassal https://photos.app.goo.gl/gcqrcg3jkafvbLmH8
2013/7/27 Makassar, Leang Leang, Bantimurung https://photos.app.goo.gl/4QP9PXEzKEYuFQkVA
2013/7/29 To Tanatoraja https://photos.app.goo.gl/aPURueUwpuCE6RCn7
2013/7/30 TanaToraja North https://photos.app.goo.gl/iYcyP12bF4wUfZ859
2013/7/31 Tanatoraja South https://photos.app.goo.gl/6WhT6aE3TaorHrGz9
2013/8/2 From Denpasar to Labuan Bajo, Flores https://photos.app.goo.gl/UScfXTTtVo2RRe7v5
2013/8/3 Todo, Flores https://goo.gl/photos/9YFEm47b7P3875j16
2013/8/4 Bena, Flores https://photos.app.goo.gl/ihbwUaoeAwWDvJkz5
2013/8/5 Boawae, Flores https://photos.app.goo.gl/2BZMUm3nzNfDS5Kv8
2013/8/6 Koanara, Jopu, Floes https://photos.app.goo.gl/dtKhbR4WqxWdAqbu8
2013/8/7 Kuri Mutu Mt. https://photos.app.goo.gl/7jVeS6UT88jo9Uj76
2013/8/8 Rindi, Sumba https://photos.app.goo.gl/tiRUmy8Df9hY2C4n6
2013/8/9 Wunga, Sumba https://photos.app.goo.gl/cZcaaaiQnFXtKdw26
2013/8/10 Lewa Paku, Ankalang, Prai Ijing https://photos.app.goo.gl/dwgsnnmFWmEhC66o9
2013/8/11 Sodan, Wanokaka, other village https://photos.app.goo.gl/iJ3VR8qsSi4mkyb18
2013/8/12 Tarung, Wainyapu https://photos.app.goo.gl/zw9j5AHBYnpeteE37
2013/8/17 From Bali to Bima, Sumbawa https://photos.app.goo.gl/4RoK1DFKo7gQm9cR8
2013/8/18 Wao, Wao2, Wera Timur https://photos.app.goo.gl/vARRs4CcPE6XcBt4A
2013/8/19 Donggo, 7thC hindu remain, salt fields https://photos.app.goo.gl/vdL3MMFpTCZr4Cdz7
2013/8/20 Sunbawa besar https://photos.app.goo.gl/saF6UPudC3GVKRhC6
2013/8/21 from Sumbawa to Lombok https://photos.app.goo.gl/38bgieRFcPE7SEmz7
2013/8/22 Linggeni, Lonbok https://photos.app.goo.gl/xNHRx3ku4ApecokT7
2013/8/23 Linggeni, Lombok https://photos.app.goo.gl/Xm2x584TZADuqLS2A
2013/8/24 lombok https://photos.app.goo.gl/wCK9LqcfLsnmhpkM6
2013/8/27 Sangiran, Canti Ceto, Canti Suku, Solo https://photos.app.goo.gl/UT7UKgjLF9d4WzJr5
2013/8/28 accident at Medan https://goo.gl/photos/UvjwLukijNEhHgvZ9
2013/8/29 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias https://photos.app.goo.gl/NXvXjwA9T1akMpHH9
2013/8/30 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo https://photos.app.goo.gl/Mpn2WGS3efWWrrX17
2013/8/31 Hilinawalo Mazingo, Siwahili, Tomol, Nias https://photos.app.goo.gl/ih8Qvo6Dr7rjjnrEA
2013/9/1 Lingga Karo, Berastagi https://photos.app.goo.gl/TniZZi9ZBGvYAKUU8
2013/9/2 Dokan Karo, Berastagi https://goo.gl/photos/8FMZVSLx61hNjVXH8
2013/9/3 Banda Aceh https://goo.gl/photos/j3N9gaVDQ7feCE4L9

そのほか

selected images Iran 2013 https://photos.app.goo.gl/sqdwhKA1qqRVDnq76
syria 2004 https://photos.app.goo.gl/BLS8922ge4qtxWaf7

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

教室(ウタ)をわすれた先生は


(この投稿の初出は『建築雑誌』2020年11月号日本建築学会発行 シリーズ連載「建築をひろげる教育のいま」です。この文章の最後の方に出てくる大隈講堂での記録と、その後考えたことを追記して、公開します。)

「生徒に発表させなさい」

これが母の最期の言葉だった。彼女の職業は教師だった。この直後に昏睡に陥って二週間後に死んだ。博士課程に在籍していた当時の私に、この言葉は響いた。遺言になったからというより、授業の本質をこれほど衝く言葉はないと思ったからである。その後、大学で研究職を得ることになったが、同時に授業を担当することに魅力を感じていた。

さて、彼女の遺言からしてみれば、よくない授業とは「教員だけがしゃべる」ものだろう。同様に「授業時間を超えても話す」のは迷惑だし、貴重な講評会の時間で「ちょっと良い話」を長々とする教員も褒められた態度ではない。

限られた時間の中で、私も含めて授業の参加者全体がどのように発表して、かつそれが気づきの場になるのか、これを授業のシステムとして開発することは実は楽しい仕事であり、なかば私の趣味でもある。

しかし2020年の春期から、コロナウィルスの蔓延により、勤務先の大学の授業は対面方式を禁じられた。後期はバランスを見ながら対面を部分的に再開する。本稿は、教室を追われた一教員が、その後の気づきの方法を編み出そうとする途中報告である。まず少し前の、平和だった頃の話からはじめたい。

大人数教育だからこそできることはある?

早稲田大学建築学科は今年で今年で創立110年、私学では屈指の歴史を誇っているが、困った大きな特徴がある。それは高度経済成長時代の名残であろうか、学年ごとの人数が多いことである。私が学部生に在籍していた1980年代中頃は200名を超えていて、まるで特A級芋洗いのような状態であった。4年間一度も設計作品の講評をしてもらえなかった学生がいたことも本当にあった。そういう人は設計の楽しさをあまり感じられず、周辺分野でなんとか居場所を探すという構図ができていた。今はとにかく全員へのレビューを行う機会を持ち、定員数も減らした。とはいえまだ160人である。少人数教育とは明らかに異なった、それに代わるコミュニケーションシステムと魅力が必要なのである。それはなんだろうか?

少人数教育は確かに密な関係が生まれる。それに比べて大人数教育の教室ではコンサートのように演者と聴衆とに明確に超えられない線が引かれる。その利点は少数の優秀者を壇上に上げることで、スターを作りやすいことだ。しかしいまどき「スター誕生」をプロデュースしても仕方あるまいと思う。要は参加者それぞれの中に、伸びる部分(スター性とでもいうべきか)を見つける手助けをしたい。そのためには相当の人海戦術か、発見的なシステムが必要なのだ。興味は当然後者にある。

例を一つだけあげる。大人数教育に対応するため、勤務先の大学では2000年代からオンライン授業のシステムが早々と作られていた。その機能の中に、全員分の授業レビューを参加者全員が確認できる機能があることに気がついた。すると、もし学生に授業中に発表をさせて、それに対する他の学生全員のレビューがついたら、学生にとってはこれまで味わったことのない膨大なフィードバック量をもらえるのではないか。先生一人による評価より、全学生の評価の中にこそ発表者は客観性を見つけるかもしれない。というわけで、ある授業では半分を私の授業とし、半分を複数の学生グループによる発表とし数回の発表大会を催している。その効果は覿面で、学生発表は回を体験するごとにたちまち上達する。学生全員のレビューが波のように彼らに押し寄せるからだ。量が質に転化する。これは大人数だからこそできる方法の一つである。遺言はまずドラマティックに実現した。

視覚を捨ててみる

こんな中で発生したコロナウィルス下の大学。授業空間は封鎖された。どのようなオンライン授業をすれば良いのか鬱になりかけた。救いを求めて大学の主催する講習会に参加した。その時に大変挑戦しがいのある一言を、インストラクターから聞いた。

「授業を受ける時間はなるべく自由にしてあげてください(要はオンデマンド)、そうしないと学生は一日中パソコンの画面から離れられなくなります」

それは地獄だ、と私は思った。いままでライブ感のあるリアルタイム授業を信条としてきたのだが、オンラインにはそぐわないのかもしれない。であるならば、もう学生をパソコンそのものから解放させてあげるべきではないか。

その結果挑戦してみたのがラジオ(オンデマンドなので正確にはポッドキャスト)であった。教科書を見て聞いても良いし、イメージ資料も用意するが、究極的には料理をしながら、あるいは寝入りばなに聞いても良いことにしたのだった。その代わりレビューはほとんど毎回書くことにしてその全体で成績をつけた。

さらにもう一つ気づいた。聞き役の大切さである。

オンライン授業特有の息苦しさは、画面の中の教員の振る舞いに付き合わねばならない義務感にあると感じた。であれば、聞き役を別に設定してその人と画面の中で会話をすれば、学生は教員との息苦しい関係から逃れることができる。こういう時、ラジオ特有の工夫に気づくのであった。聞き役がいるから視聴者は気楽にコンテンツに触れられるのだ。そういうわけで学部の建築史の授業では、聞き役のパーソナリティとフリー素材の音楽も含めて編集するミキシング担当を学生TA(ティーチング・アシスタント)とし、実行してみたのだった。私の紹介する建築史は以前から物語風だったのでそれも功を奏してそれなりのクオリティのラジオ建築史が出来上がったように思う。ただ授業に対する総評を読むと、本当に寝てしまって困った学生もいたようである。

オンライン授業と大学

2020年の春から夏はほぼ毎日、なんらかの授業作りに追われた。大学側は、来年からそれを使って有効なコンテンツにできるではないか、良かったではないかという。しかしここで、ふと悪魔のささやきが聞こえてきた。

「コンテンツがあれば、大学はいらない」

うむ、確かにそうだ。他の大学からの要請でゲスト参加したオンライン授業は確かに面白かった。ということは、方向性の合う他の大学の先生と意気投合すれば共同でオンライン授業のコンテンツも組める。さらに各トピックを別の学際的テーマで編集する柔軟なシステム作りを組めばこれまでにないクラスが、これまた大学なしでできてしまう。オンライン・教員・アソシエーションの誕生である。おそらくこのような方向性が今後本格化すると思う。というかやってみたいと思うので、興味を持った出版社がおられたら一報いただきたい。とはいえ、このような囁きの一方で、天使のみちびきも登場するのである。

「あなたは大学を、空間として理解していますか?」

ああ、天使様すまなかった。私は浅薄だった。建築学科の教員であるにもかかわらず私は実体的空間のことを軽視してしまうところであった。授業は大学の一つの機能に過ぎないのと同様に、オンライン授業で主に用いる視覚や聴覚も私たちの感覚器官のいくつかに過ぎない。

実体的空間とは、匂いや触覚、押し寄せてくる人々の感情の波など、あらゆる感覚器官や出来事を総動員して未知の現象に立ち会う、それぞれが唯一の場所なのである。オンデマンドを活用するとともに、実体的空間のライブ性(哲学用語では、それをコーラというようだ)をぜひ、まだ対面授業を受けていない一年生とともに味わいたいと思う。そうすれば私たちは、響きの良いホールからのみうまれる、忘れてしまった天上の唄を思い出せるかもしれない。

大学一年生全体160人を、密を回避しながら一気に集められる空間は早稲田大学では2つしかないという。それはあの大隈講堂と国際会議を行う井深大記念ホールである。早速一年生担当の教員がたった二日ではあるがそれぞれの1日を丸ごと借りきったという。すばらしい。秋からの授業ではこの二日間に狙いを定めて、実体空間の楽しさを味わうことのできるゆるいイベントを行ってみたい。いま教員、高学年の学生有志が集まってその内容を画策中である。

追記:遊牧的に教えることはできるか

私の勤務する大学では後期の後半(第4クオーター)から再び対面授業の全面禁止に踏み込んだ。その後の経緯を見る限り、学生や教職員の健康を守る上でその措置は正しかったと考えている。大隈講堂での対面授業も果たすことはできなかったが、その代わりに事前申し込み制の、中川武名誉教授による特別講演会を行うことができた。難しい条件をすり合わせて実現させた関係者に感謝したい。以下はその講演会開始前に壇上から写した客席の様子である。紙が背面に貼られている座席は使用禁止であり、その風景は圧巻であった。私たちはきれいなまでに負けたのだ。講演会中に時代の底がたまに見えることを中川氏が「露頭」と表現していたが、この写真はそんな露頭ではなかろうか。

そして、私は自宅の一室から、次の季節の教えるための空間、《教えの場》のあり方を数日考えていた。先にも書いたが、有限な機会の中で教え伝えることには、情報を精選させることと同時に、やはり実体的な場所が大切であるという思いは消えない。情報を精選させるスキルはこの一年で相応に身についたように思う。そしてたちどころに進化、整備されたZOOM、Webex等のオンライン・ツールもそれを後押しした。こちらはなんとかなるだろう。番組を作り込むようにする楽しさもある。問題は未知の教えの場についてである。まだ未熟な考えかもしれないが、大人数教育の仕方は集約された農耕システムに似ていると思うようになった。その意味で古代的性格をもつのかもしれない。このような教育がオンライン配信に切り替わっていけることは想像しやすい。

で、あるならば次の季節の《教えの場》は、その歴史性からずれてみることかと思っている。いわば狩猟民、遊牧民がなしてきたかもしれないような教えの場である。少数の限られた人数で生活をともにして、孤立して伝え合うことである。実際2週間ぐらい、隔絶した集中講座をしたらどうなるのだろう。これは修道院的と言っていいかもしれない。要は大量な移動や接触を生じさせない代わりに、限りある小集団としてはより密な情報伝達を行うことである。そして、それぞれの知識の偏差を認めた上で、その偏差を補正するような、移動を学生に認めることだろうか。具体的には研究室単位をより早くから開始し、それを移り歩いていく方法になるように思う。考えてみれば慶応大学SFCの習得システムはそれに向いている設計だったのかもしれない(石川初先生に確認する必要があるが)。

まずは自分の環境の中でもできる形で色々試すようにしてみたい。身近なところでは、役に立たない機械製作等を行っている設計演習Aの擬似スタジオ制は、大規模教育と狩猟・遊牧的教育を両立させたような結構使えるシステムであるかもしれない。この年末年始はそんなことをずっと考えていく生活を送りそうである。

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

講義録シリーズ『実況 比較西洋建築史講義』2020年10月末、インスクリプト刊


通史を扱い、わかりやすく書くこと。難題であり、4年かかってしまいましたが、なんとか公刊できるまでになりました。

私のもともとの専攻は、幕末から日本近代の建築思想と技術でした。しかし恩師いわく、常日頃より、どんな領域でも語る準備をしておかねばならないという。それゆえか大学の授業では、多くの先人によって磨かれた西洋建築史の講義も、21世紀初頭から受け持つようになりました。その時、以下の目標を立てました。

・学生時に聞いた時に、どうしても理解できなかった西洋建築展開の筋道を自分なりに解決して提示すること

・建築史という学問による事象発見の順序も、通常の建築史の年表的順序に加えて話すこと

そのために用いたのが比較という手法でした。建築史の独自性は、かたちによって時代を整理、判定することにあります。一般史が文献を基本にすることとの究極的な違いです。もちろん文献資料も併せて使いますが、古建築には「竣工■年、作者■■」というシールが貼ってあるとは限らないのです。この建築史の特質はたまに一般史と齟齬を起こします。その代表的なものは法隆寺再建・非再建論争です。この論争は文献研究によって、当時の建築史研究者が述べた様式、規格尺判定による非再建論を駆逐していくのですが、そもそもこの論争の構図を作り得たのが建築史の独自性だったと私は考えています。2つ以上の建築を比較するという基本的な手法は、文字を介さない分析方法として現在でも十分おもしろい学問方法だと思います。かたちの分析には、この比較を欠かすことはできません。その比較作業を通常の範囲より広げたのがこの『実況 比較西洋建築史講義』になります。ファクトチェックは、西洋建築史の俊英の伊藤喜彦先生(東京都立大学)から指導いただきました。

歴史といえば暗記ものという考えに慣れている建築史の初学者にむけての、実は異議申し立ての教科書でもあり、ゲームなど仕込んでいろいろ楽しそうですが、実は上記のような難しいテーマを秘めています。授業ではあえて隠してきましたが、書籍版ではむしろその隠されたテーマをたくさん追記しました。結果的に読み物としても十分耐えうるものになったかと思います。書誌情報の他、あとがきを掲載しておきます。ぜひご購読をご検討ください。

紹介(版元コムより

版を重ねた『実況・近代建築史講義』の姉妹篇。本書では古代ギリシアからルネサンスの始まりまでを扱う。聴けば建築史が好きになる早稲田大学の人気講義をまるごと収録。「歴史とは、少なくとも二つ以上の事象の間に発生する想像的な時空のことである」。複数の建築物・事象を比較によって類推し、なぜそのように構築されたのかを歴史的背景とともにわかりやすく解説。代表的な建築物と当時の時代精神、新たな構法が導入され課題が克服されてゆく変遷の様子が、歴史の動力と関係づけて理解できる、面白さ抜群の中谷建築史入門篇。付録・比較西洋建築史講義地図付。

目次

歴史は比較の実験である

I 建築史のレッスン

第1回 世界建築史ゲーム 2つ以上の事物のあいだで

COLUMN1 世界建築史ゲームの結果発表

第2回 伊東忠太の世界旅行 パルテノン×法隆寺

第3回 動く大地の建築素材 石×土×木


II 西洋建築を比較する

第4回 ギリシア建築と建築教育 ウィトルウィウス×現代建築学

第5回 黄金のモデュール ギリシア比例論×ル・コルビュジエ

COLUMN2 オーディオコメンタリーを活用すべし 映画で見る建築史

第6回 ローマ帝国の誕生 柱梁×アーチ

第7回 ローマ都市と世界 集中式×バシリカ式

第8回 修道院の誕生 古代末期×ロマネスク

第9回 建築の奇跡 ロマネスク×ゴシック

第10回 ゴシック建築を支えたもの 僻地×都市


III 漂う建築史

第11回 もどれない世界 ルネサンスのなかのゴシック 自然誌×操作史

第12回 モダン建築史ゲーム 浮遊する建築様式のあとで 普遍性×固有性


あとがき

収録情報/講義情報

図版出典

索引

[付録]実況・比較西洋建築史講義地図

あとがき

 大学に入る前から、歴史は嫌いではなかった。講義でも述べたが、高校時代の世界史の教員が生き生きとした授業をしてくれたからである。
 そして、建築も嫌いではなかったが、建築を思考する土台が予想以上に保守的であることに違和感を覚えた。『実況・近代建築史講義』でも述べたが、建築は基本的には遅くやってくる芸術である。なぜなら、建築の実現にはまず資本が必要であり、錯綜する思惑を統合し社会空間的に安定させなければならないからだ。その意味で、学生の頃の私は、ミュージシャンが刻む新しいリズムのパタンにこそ最も早い世界の兆候を聴き、次に言葉、次いで平面作品や小規模のオブジェに、次第に固まりつつある世界像を見ていた。建築が受けもつのは、それら前に行くものの試みを、さらに力強く社会的、空間的に実現させることなのだ。この「遅さ」には逆に他の芸術がなしえない、空間をつくるための幾何学があるのだから、悪いことだけではない。


 大学時代の私には、高校以来ほぼ毎日通っていた店があった。もう廃業してしまったが、高田馬場の某有名中古レコード店である。買ってすぐ売れば、差額は300円から500円くらいで、気に入ったらコレクションできる。ある日、入荷したての中古盤をチェックしていると、カウンターにいたその店の主人に声をかけられた。その主人曰く、2階に店を増床するから、その分のレコードのクリーニング、パッケージング、そして値段づけまでやってみないかということだった。
 「高価な盤はないから心配しないでいい。私が求めているのは妥当な値段設定」。
 そして、夏休みに数万枚のレコードを触り、クリーニングして、値段をつけた。それは私が大学時代に得ることのできた最も貴重なアルバイト、そして授業のひとつになった。
 まず、物理的に溝に変換することで音を記録した約30cmのビニール円盤がある。さらに、同じ内容でも時代によって異なるレーベルが存在する。さらに細かく言えば、プレスの版数も異なる。それらは再生音を左右するカッティングの違いにつながる。そして、ジャケットの紙質、印刷、匂い、折り方の違いがある。また、ジャケットのデザインも重要である。そのデザインは収納された音に見合った視覚的イメージでなければならないはずである。音とイメージに甚だしいギャップがあれば、そのレコードのつくり手にはセンスか情熱かもしくはそのいずれもがないのだ。さらに盤には多かれ少なかれ使用に伴う傷がついている。傷は大きくても浅ければノイズは小さいが、小さく見えてもクリーニングの時点で手に引っかかるような深い傷もある。これは大きく値段に響く。知れば知るほど、最初はひとつの音だったはずのその世界は細分化されていく。こういうことをすべてまとめて、最後はえいやと値づけをするのである。1枚のビニール盤に社会の動きが濃密に凝縮されていた。そのうえ、一旦流通したものが役目を終えて集まってくる中古盤店には、過去を新しく価値づけるという歴史的評価の層が加わっていた。私はそこで、おのずと歴史学でいう史料批判(その資料がどのような価値をもつかを吟味する)の方法を身につけることができたと思う。だから私の歴史の最初の先生はこの中古盤店であった。


 建築ができるまでの過程は、そんな1枚のビニール盤よりもはるかに複雑なことは確かである。しかし、本質はそんなに変わらないと思う。建築に埋没するのではなく(私にはこれができない。正直に言うと嫌いである)、むしろ建築を主体的に価値づけるためには、この講義で再三説明してきた比較という行為が有効である。先にも説明したように、中古盤が出来上がるまでの各プロセスのよし悪しを判定するには、それぞれに独立した比較要素が存在していた。建築のよし悪しを決めるときにも、その建築がどのプロセスにおいて優秀なのかを考えてみたり、音とジャケットデザインの関係のように異なる部分が予想以上の相乗的な効果をもたらすことに驚いたり、それらが結果としてその建築総体の質を決定しうるほどの特筆点をもっているかを検討しているのである。この書籍では、実際の講義に基づいて、そんな、建築のよし悪しを自分で判断しうるいくつもの比較の方法とその組み合わせ方を提示した。歴史に残る建築とは、心に残る音楽、言葉と同じく、諸要素のチューニングがこのうえもなく「ビシッ」と合ったときに現れる。


 そして最後に。この本は『実況・近代建築史講義』より前の時代を扱っている。通常の時代区分であれば、西洋建築史は19世紀折衷主義まで、近代建築史は近代主義建築が始まる主に20世紀以降を扱う。しかし私の考えに従って、本書『実況・比較西洋建築史講義』は古代ギリシアから15世紀ルネサンスのとば口まで、『実況・近代建築史講義』は同ルネサンスから近現代までを展開した。だからこの2書はつなげて初めてひとつのまとまりになっている。
 これとは別に、いまの大学では担当していないが、30代の頃勤務していた大阪の大学では日本建築史の講義も担当していた。関西だと、疑問があればすぐに法隆寺や東大寺を見に行けたりするので、とても楽しかった記憶がある。その講義ノートも手もとに残っているので、必要に応じてまとめてみたいとも思っている。
 前作から丸3年が経ってしまったが、企画としては近代編と西洋編は同時進行していたものであり、時に中断しながらも、数年にわたって根気強くまとめる作業が続いた。収録情報の日付が古いのはそういうわけである。講義の内容は毎年更新されるため、順番を入れ替えたり、書き下ろしに近い加筆を行った回もある。その過程で足した「比較」という言葉こそが、本書の主人公になった。「比較西洋建築史」という言葉が当方の授業をうまく伝えていると思ったので、2020年度の授業より、大学での講義名も同じ名前に変更した。
 常に古きをたずね、自分のなかの建築地図を更新していきたいと思う。

2020年4月6日
中谷礼仁

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

大地・かたち・共同体–『未来のコミューン 家・家族・共存のかたち』が2020年度日本建築学会著作賞を受賞しました。


自分のブログでの報告を忘れていました。『未来のコミューン』が2020年度日本建築学会著作賞を受賞しました。日本建築学会著作賞は、「会員が執筆した建築にかかわる著書であって、学術・技術・芸術などの進歩発展あるいは建築文化の社会への普及啓発に寄与した優れた業績」に対して贈られるものとなっています。

学会による査読評→ https://aij.or.jp/images/prize/2020/pdf/4_award_005.pdf…

業績紹介→ https://aij.or.jp/jpn/design/2020/data/4_award_005.pdf

大地なければ建築なく、人いなければ建築の意味はありません。2011年の東日本大震災の発生は、私がよってたつ学問体系を根底的に問い直す機会になりました。

今の私にとって建築とは、人間や社会や環境に対し大きな影響と力を及ぼす、かけがえのない具体=有形であると思い至りました。

今回受賞した『未来のコミューン』では、かたち、そしてデザインには、社会もしくは共同体を生み出す力が存在していることを近代住居に内在する諸問題を渉猟しながら、その未来をも探偵小説のように一つ一つ明らかにしていきました。

これらはかたちによる共同体形成論とその吟味批判です。2018年度に同賞を受賞した『動く大地、住まいのかたち』では、地球活動と人間の構築活動との間に密接な関係があることをプレート境界にそった世界調査旅行を通してお伝えすることができました。これは建築のかたちを生み出す下部構造としての地球活動を初めて体系的に論じました。これら作業によって人間やその社会の持続には、具体的なかたちによる解決が必要であることを強調しました。

さらにこの二書に、1960年代に発表されたアメリカの美学者・考古学者であったG.クブラーの『時のかたち』鹿島出版会の共訳作業の出版(2018)を加えることで、私なりに、建築の有形の意義をささえる「かたち三部作」としました。以下の構造です。

大地・かたち・共同体

『動く大地、住まいのかたち』・『時のかたち』1・『未来のコミューン』

1)この翻訳が動機となって『セヴェラルネス+』を書きました。自分流クブラー読みです。

これらの作業によって東日本大震災後の、建築の居場所をみつけるための私なりの作業の一応の回答としたいと思います。そしてこの度の受賞をいただいたことを励みに、新しい空間的諸問題が山積みの新しい歴史上のフィールドにおもむいてみたいと思います。今回の審査に当たりご精読いただきました審査委員を始め、日本建築学会に心よりお礼を申し上げます。

インスクリプト刊、定価:本体3,200円+税
四六判上製 320頁
ISBN978-4-900997-73-8
装幀:間村俊一
装画:大鹿智子

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

古・原生代のBuildinghood –19世紀末稠密高層都市誕生の深層


ここに上げた小論は、日本建築学会2019年度大会(金沢)の研究協議会「都市と大地、その可能態」において発表した論文集に掲載されたものです。現在、生環境構築史(Building Habitat History)という射程の広いグローバル・ヒストリー構築を遂行中ですが、その一編としてわかりやすいものと思ったので公開しました。
後半では、生環境構築史概念図をもとに、「構築3」の理念的萌芽期をあげると同時に「構築4」の出現をフランスの小説家・ジュール・ヴェルヌの足跡を元に検討しています。

生環境構築史は『現代思想』20203月号に、その宣言文を発表予定です。

1. はじめに

  • 原生代 25億年前から約5億4100万年前まで
  • 古生代 約5億4100万から約2億5190万年前まで

まず確認しておきたいのは次の点である。

・地球の活動は人類に先行する。
・地球は宇宙的時間と莫大なエネルギーが作り上げた構築的結果である。
・その惑星的結果を基盤として、人類がその大地に適合しうる生存様式を獲得した時のみに、その生活文化ひいては文明は発生した。
・それゆえに各地の生活文化文明の初源はその地域の環境条件との間に強い構築関係を結ぶ。

そもそもなぜ人はそこに住むのか。たとえばなぜ人は自然災害の多発地域においても住み続けてきたのか。それらの理由は一定ではないが、必ず存在する。つまり環境に対して自らの持続のために社会的構築をさらに加えてきたという事実のみは、あらゆる人類史における普遍である。
一方で、自然環境一般がその端緒から人間文明に調和してきたと見誤る時、人類が自ら生存可能な環境を環境条件と拮抗しつつ構築してきた推移を見失う。後述するが現代都市においてこの構築関係の歴史的推移は最大限に忘却される。その忘却をときおり揺り動かすのが、一般に「災害」といわれる地球活動である。そこで人類が生存可能な環境を構築してきた歴史的諸段階の意識的な検討を促すのが、「生環境構築史」(図7)という枠組みである。

当方の役割は、まずその史的構築様式成立の前提として、Buildinghoodという概念を提示することである。それは人類が持続可能な生存環境を自ら作り出すために大地から造り出した構法のことである(2節)。
さらにその現在的トピックとして近代における稠密高層都市を成立させた鋼鉄のBuildinghoodを検討する(3節)。現代建築家・コールハースの定義によるジェネリック・シティ[i]をはじめとして、現代都市は歴史を持たない突発的、超越的現象として語られやすい。しかしこれは一般史や技術史による近代把握を捨象した空間論的抽象である。そこに固有のBuildinghoodを見出した時、世界各地に湿潤しつつある稠密高層都市の歴史性ならびに地域性の限界が付与されよう。
以上の現在の構築様式にまで言及した上で、生環境構築の構築的諸段階と現段階をいったん明瞭化する(4節)。
その上で稠密高層都市の構築様式に連動した、文明を駆動させようとする観念の発達過程を試論する。特に19世紀を代表し、当時の自然科学理論を根拠に据えた作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の諸作品の推移とその特徴的な性格を扱う(5節)。

2. 大地からの構法 Buildinghood

Buildinghoodとは、ある地域の人々の生活の立て方(=Livelihood)の中で、その中心をなす空間の構法である(図1)。

Buildinghood

図1 大地・Buildinghood・Livelihood

それは大地の特性に大きく依存しているから、Buildinghoodは大地から見出された構法とも言える。そして空間の構築は人間の生活になくてはならないものなので、Livelihoodにおけるその存在意義は大きい。以前に私はこの考えに従って、主要な建造素材が持つ生産様式、主たる展開地、その時代について検討した[ii]。まずその概要を紹介したい。

2-1. Buildinghoodの気づき

実例を挙げる。プレートの褶曲運動の結果であるヒマラヤ山脈の麓に位置するインド・ウッタラカンド州の高山地帯の大地は、土と変成岩の層が交互にサンドイッチされ、何層にも反復していた。調査を行なった同地の一村・サトリ(saitoli)で家を建てるときは、人々はまず岩の層から石をほぼ人力で切り出す。プレート運動によって露出した岩盤はすでに地中で巨大な圧力を受けて結晶化しており、硬いが層状に簡単に割れた。その建材を直接積むことで切石による伝統的な組積造の家ができていた。さらに住宅建設後、岩盤下の土層がすでに露出しており、人々はそこにアーモンドや果樹を栽培して自足用食料の他に交換経済用の作物を栽培していた。

これはBulidinghood(建て方)とLivelihood(生き方)が最も強固に結ばれた事例であった。現在でも世界各地の集落の多くは、その近傍の大地を素材として利用して集落を作り上げている。その意味で集落とは大地をその皮一枚浮かして、そこに人間が住まうことのできる空間(あきま)を作ることと定義できる。その浮かせ方、要は空間を作る方法は大地が提供する素材によって大きく異なる。これが素材によるBuildinghoodの違いとなる。以下、代表的な、石、土、木についてその特徴をあげるが、関連要素が同時に文明発生の原動力にもなったことを注目したい。

2-2. 芸術をも産んだ石灰岩

石は、堆積岩、火成岩、それらが圧力や熱によって変性した変成岩に大別される。人類における空間利用の発生は風雨、河川、海流の侵食作用による横穴によって準備されたが、これを人類の主体的構築の側面より見た場合、空間の改変可能性が重要になる。その意味で人力による穴居住居は凝灰岩、シルト層などの掘削容易な岩盤層が主体となる(図2)。

さらに石を材として切り出し構築できる技術が進むと、その圧縮に対する力が期待されたが、一方で石梁のせん断に対する弱さは材の最適配置を意識させた。その結果シュムメトリアに代表される比例学が発生した。さらに人文芸術発展の土台となった石灰岩は最も重要である。石灰岩は古生代後期から中生代にかけての海中生物の遺骸の堆積海底がその後隆起して大地表面に現れたものである。骨の成分にも似た同岩は成形の容易さによって細部に至るまでの作業を可能とし、人文的彫刻の発生を促したのだった(図3)。

maymand iran

図2 メイマンド横穴住居、火山性堆積岩

persepolis

図3 ペルセポリスの壁面彫刻、石灰岩

2-3. 文字をも発明した土

土は地球の表面に露出あるいは隆起した各種岩石が風化し集積した結果の微細な破片の総称である。土は石に比べて二つの大きな違いがある。一つは採取場所であり、もう一つは構築方法である。土は山や段丘の侵食風化とともに、盆地、川沿いや、低地に開けた扇状地などに、沖積世(完新世)とよばれる、およそ1万年前からの大地のいたるところに堆積し地層化した。土は構築材料中最も遍在しているが、土を建築素材として用いるにはレンガという加工の発明を必要とした。土を型枠で整形し乾かし固めることで、組積することができるようになった。また焼成を加えれば、耐力は大幅に増した。レンガによる建築行為はジグラットの遺跡立地に代表されるようにメソポタミア周辺の低地で特に栄えたが、そこは同時に楔文字の発明地だった(図4)。

choga

図4 チョガ・ザンビール紀元前11世紀ごろ、レンガ

これは紀元前30世紀ごろ発明された。生乾きの粘土板に葦のペンを押し付けることによって達成され、重要文書はその後焼成された。土を原料とした「ノート」は無尽蔵であった。

2-4. 共同性を生んだ木組

木造において、単独的な作業で可能なのは、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱である。しかし柱を長期的に残存させるための石場立てや壁等の垂直材を形作るには軸組構造を発展させることが不可欠であった。それによって木造建築には他の材料に比して小規模な建設行為にも、複数の人間による共同施工が必要となった。この特徴は特にアジア周辺の地域共同体成立に大きく関係したと予想される。

2-5. 古代都市のBuildinghood

古代都市の普遍性を完成したのは紀元前後のローマ帝国であった。同帝国では侵略と各地の文明化を達成するため植民都市が現在のイギリス、東ヨーロッパ、地中海一帯、アフリカ北部にまで建設された。各都市では地域ごとに異なる大地条件を建設素材としながら、同種の機能を達成する技術活用がローマ帝国のBuildinghoodの真骨頂であった。石、土、木といった各地ごとの素材がそれぞれに動員された。特に火山灰由来のセメントと切石やレンガの残片を混ぜ合わせることで大規模構築体の建設を可能にしたコンクリート技術の発達は大きい。さらに船を並べて戦車を渡す仮設橋である舟橋の発明のように、小さい道具の組み合わせが機械を作り、さらにそれが連関し大機械を構築する技術連関を達成した。
これによって人類は古代までにBuildinghoodの基本的一覧を完成させ、特にローマ帝国による植民都市はヨーロッパ・イスラム地中海地方における文明発展の素地を用意した。その後、根底的なBuildinghoodが加わることのなかった状況を一変させたのが、産業革命を契機とする鋼鉄の誕生と建築におけるその大規模使用であった。

3. 稠密高層都市誕生のBuildinghood 古・原生代との邂逅

3-1. 鋼鉄による高層建築物、巨大橋の誕生まで

以降、鋼鉄による稠密高層都市建設のBuildinghoodを検討してみたい。
アナトリアでの発明当初より生産性の高い道具や武具に限定されていた鉄が、ヨーロッパで中国由来ともされる高炉法が確立された14世紀を経て、建築のBuildinghoodに突入してきたのである。地表からのみではなく地下に埋蔵されていた鉄鉱床を採掘し、そこから直接鉄を精錬しはじめた。鉄は炭素の含有量によっていくつかの種類に分けられるが、稠密高層建築の建設を可能にする靭性に優れた鋼鉄の大量生産はベッセマー法(1855)の確立による19世紀半ばに始まった。

その背景には19世紀産業革命という産業様式の大変更が背後にあった。R.J.フォーブスは『技術の歴史』(1950)で、産業革命の中心を冶金と蒸気機関に置いている。製鉄には鉄鉱石の取得とそれを精錬するための大量の燃料(木炭・石炭・コークス)が必要である。蒸気機関も、同燃料と機関自体を実現する鉄材を必要とする。これらの素材を得るための深部採掘は蒸気機関による地下からの揚水によって実現化した。そしてそれら「生産物」=消費財となった地球資源を各地に運搬するために、蒸気機関による鉄道が誕生した。それらを駆動するには巨大な資本運動が不可欠であった。つまり産業革命は技術開発・消費資源化された地球・大資本の三位一体化とその自立的運動によって成立した。冒頭において現代都市においてBuildinghoodの歴史的推移は最大限に忘却されるとしたが、それはこの産業社会を専一とした三位一体運動のもとにおいてである。稠密高層都市建設のBuildinghoodは以上のような産業革命様式の中心的位置を占めうる。

図1-12:マンハッタンの俯瞰写真 The U.S. Navy airship USS Akron (ZRS-4) flying over the southern end of Manhattan, New York, New York, United States, circa 1931-1933. Official U.S. Navy photo NH 43900

図5 ニューヨーク・マンハッタンの俯瞰写真 1930ごろ

稠密高層都市の到来を告げたのはアメリカにおける歴史的二大都市、シカゴとニューヨークであった。産業革命の三位一体的自動運動によって、鋼鉄という強い耐久性を持ちつつ自己形状を様々に変容、伸長させうる素材が、19世紀末には建造物が空を覆うまでに都市空間を構造化し始めた。1871年のシカゴ大火後、1884年に骨組みに鋼鉄製鉄骨を用いた初の高層建築建設(HOME INSURANCE BUILDING、1931年解体)を皮切りに、鋼鉄による高層都市建設はシカゴから本格化した。すでに前年の1883年、ニューヨークでは初めて鋼鉄を使用したブルックリン・ブリッジが完成していたことも重要である。この鋼鉄による垂直、水平の都市の進展は、稠密高層都市と大規模輸送交通とが一体であることを裏付けるものである。そのため稠密高層都市は特に水系、海辺に立地し、その傾向は現在でも変わっていない[iii]。大西洋に面するロング・アイランドにあるニューヨークはもちろん、北アメリカ中部に位置するシカゴも広大な五大湖の湖畔に位置し、19世紀末までの北アメリカ全体の交通、産業、交易の要衝であった。ニューヨークを作った主要人物の一人であるアンドリュー・カーネギーが鉄道王ならびに鉄鋼王であったことは象徴的である。彼は1872年に、当時鉄道幹線が集中していたペンシルバニア州のブラドック(Braddock)に当時最新の製鋼所を建設した。そしてミネソタ州には鉄鉱石鉱山を所有し、五大湖の輸送用蒸気船、炭坑とコークス炉、および石炭や鉄鉱石をペンシルベニアの製鋼所まで運ぶ鉄道も所有した。1900年までにカーネギー製鋼会社はイギリス一国よりも多くの鋼を生産したという[iv]。その製鉄所の作った鋼鉄が、河川、海、そして鉄道によって大都市に供給されていったのである(図5)。

3-2. 古・原生代のBuildinghood –19世紀末稠密高層都市成立の深層原理

しかし稠密高層都市建設のBuildinghoodは、先の革命的産業様式を体現するのみならず、特に大地=地球との連関の中でより全球的な特徴を含んでいる。それは採掘活動に代表される地球内部への人類の介入運動を検討することで初めて見いだしうるBuildinghoodである。それは地表上の資源のみによってBuildinghoodを作りあげてきた、従来からの集落や古代・中世都市が全く持ち得なかった遠大な時空的関係を含む。以下に説明する。

図1-13:古生代におけるカレドニア山地。元アメリカ東海岸、アイスランド、スコットランド、スカンジナビア半島が一列に並んでいた。作図:Woudloper, Wikimedia commonsより

図6 古生代(約4億年前)におけるローレンシア大陸付近。現在の北米東海岸、イングランド、スカンジナビア半島、北ヨーロッパの地縁性が読みとれる。

まず19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの製鉄/製鋼所はアメリカの東海岸のメイン州からバージニア州に集中している[v]。この偏在は稠密高層都市のBuildinghoodを作り出す地域性の存在を示唆する。北アメリカ大陸東海岸の同地域一帯は鉄の一大原料である縞状鉄鉱床を多く含むカレドニア、アパラチア山脈に属する約4億年前から形成された連続する山地に属している。現在、同地域はアイスランドを横断する大西洋中央海嶺によって遠く隔たっているが、実は現在の大陸配置が形作られる以前の4億年前には、その地域はイングランドを含む北部ヨーロッパと一体的関係をなしていた。つまり産業革命時に興隆し19世紀半ばまで世界一の鉄の生産量を誇った北イングランドそしてウェールズ地帯の大部分が同地域に連続し、そしてイギリスの製鉄業の興隆以前から世界的生産地であったスカンジナビア半島、そして北部ドイツもここに属していたのである(図6)。

さらに時空はさかのぼる。その地域において露出した鉄鉱床は、縞状鉄鉱床(BIF)と呼ばれる。30億年以上前、既に海は形成されていたが、海には鉄イオン(Fe2+)が大量に溶解し現在の成分とは全く異なっていた。その鉄イオンが、光合成を行う生物の誕生と増加によって、産出される酸素と結合し、酸化鉄を作り上げ、それが海中に堆積したのだった。そして海水中の鉄イオン全てが19億年前に酸化結合をほぼ完全に終了したのであった。つまり、19億年前に形成した鉄鉱床(原生代)、4億年前のプレート運動(古生代)によって形成され、地理的に切り離されていた地形が、各地における採掘産業の興隆によって、19世紀産業革命様式に資源場として再び連結された。そこは稠密高層都市のBuildinghoodをもたらした時空を隔てた最深部の大地だったのである。稠密高層都市を生んだBuildinghoodには、人類時間による地政では計り知ることのできない奥深い「地域」的連関性をその根底に宿している。それゆえに現代技術は時に生物としての人類を脅かすような奥深い危機を生み出すことにもなるのだ。

4. 消費資源としての地球誕生 現代都市を突き動かす大地のイデア

4-1. 生環境様式の構築的構想と構築3の特異性について

生環境構築史概念図 Tシャツ用 日本語

図7 生環境構築史概念図 作成)中谷礼仁、松田法子、青井哲人

以上によって稠密高層都市のBuildinghood分析を終えた。次に中谷、松田、青井が提出した「生環境様式史概念図」(図7)におけるBuildinghoodの位置付けについて検討してみたい。生環境とは、人類が主体的に獲得してきた持続的生存環境のことである。同図はその過程を段階的に構想したもので、地球運動と生環境構築の過程に0から4までの再帰的かつ階梯的段階を設定している。
まず人類史に先行する地球の自律運動を構築様式0(構築0)とする。その大地から人類持続のための生環境の各素材が発見され人類史が開始される段階が構築1である。さらに各地間での素材略奪や交易による水平的交換、集積が環境構築を拡張させるのが構築2である。産業革命以前までの生環境は都市を筆頭に概ねこの段階までに含まれる。しかしながら先に述べたように、産業革命様式が獲得した技術開発・大資本・消費資源化された地球の三位一体的運動は、大地が先行的に優越してきたはずの構築0を捨象し大地を資源として大量消費することで、自立した最適環境を獲得しようとする。現代技術に見られる地球環境からの自律/逸脱の志向が明瞭に顕在化するのが構築3である。同段階における先の三位一体的運動の進展にあっては、生環境の主役であった人類すら最終目的存在の立場から疎外される可能性がある。地球を離脱する宇宙開発、スペースコロニーはその際たる運動である。現代都市の成立基盤となっている稠密高層都市のBuildinghoodは、その最も一般的、代表的な生環境と考えることができる。加えて人体からはアレルギーなどの構築3活動からの様々なネガティブ・フィードバックが発現している。そこで人類を主体とする学的立場としては構築4を設定せざるを得ない。それは構築3の過度な自律を批判し、構築0との新しい平衡関係をもたらすBuildinghood=生環境の再構築を目的とすることである。それは構築3までの各段階が開発した諸技術の存在を批判しつつ、それを再活用するような生環境様式の偉大な変換、いわばグレート・ブリコラージュを必要としている。この作業仮説によって先行研究の再定義、相乗性ある領域発見、全過程を俯瞰した研究分野の配置が可能となる。そのためにこの論考で最後に試みてみたいのは以下の問いに答えることである。

人間が大地を宇宙空間における孤立した球体として認識し、さらにその球体が消費可能なエネルギー体であることを認識するためにはどのような観念構築が必要であったか?

4-2. ジオコスモスの誕生 コペルニクス・ケプラー・デカルト・キルヒャー・ライプニッツ

上記問いは未だ大地が宇宙に浮かぶ球であることを知らず、さらに地球が宇宙の軌道の一端を回る存在であることを知らず、さらに地球自体が膨大なエネルギーの集積であることを知らなかった状態の人類がいたことを考えれば、自明のことではないのである。そして現在の私たちも、以上のような「事実」を実感として直接知ることはできない。つまりこの認識は間接的客観として構築されてきたという意味で、大きく観念性を含む。おそらくこの観念の成立は地球資源の採掘と連動する構築3の進展と不可分であろう。鉄の大量生産は人類が掘削行為によって、隠された地球内部とのBuildinghoodを構築した証拠だからである。内部に高熱の核を持ち宇宙空間を旋回する球体としての地球、さらには伸張性に富む構築素材としての鉄を生環境素材の主原料として見出し得た時から、人類は観念的には宇宙時代に突入していたはずである。この未来のヴィジョンが、その後の人類の経済、建設、そして創作活動にどのような影響を与えうるのかは構築3のみならず4を構築するためにも極めて重要な問題である。

科学史家の山田俊弘は、17世紀以降の地球観の結実を、航海時代以降の全球的情報流入と新しい地図作成技法、ルネッサンス期自然科学革命により形成された総合概念として捉えた。それをジオコスモスと称して、その変容を概説している(2017)。彼によればルネサンス期にはドイツの冶金学者アグリコラ(1494~1555)の著作にみられるように、鉱山での観察を考慮しつつ「地下の自然学」というべき領域が開拓されていた。と同時にコペルニクス(1473-1543)による地動説、楕円軌道による惑星運行を解明したケプラー(1571-1630)らの成果によって惑星意識の獲得がなされた。その中でデカルト(1596-1650)が『哲学原理』(Principia philosophiae1644)において形而上学から、自然学を経て、地球論にいたる総合的体系を提示した。彼の統一理論において、地球は様々な形状をした粒子の各層によって構成された機械的地球構造として初めて図像化され、次世代の思考の枠組みを規定した。デカルトの想定した地球構造においては、地表は固体の層であり、それが下部の液体の層へ部分的に落下して海洋と山地の大構造ができたと推測された。

CCI20190630_2

図8 キルヒャー、火道 『地下世界』1678より

しかしながら彼は地表層の移動の原因となるエネルギー運動を指摘しえていなかった。一方で、博物誌家のキルヒャー(1601-1680)は『マグネス』(Magnes1641)『地下世界』(Mundus subterraneus1678)において地球の内部に形成力が存在することを、彼が遭遇したエトナ山の噴火の観察などから推論している。この地球内部に眠る熱源への着目は重要であり、彼の図も後の地球認識のヴィジョンの一つとなった(図8)。

両者を統一したのがライプニッツ(1646-1716)である。彼は当時の鉱山開発のための計画のために彼の思想を進化させた。特に地下空間を三次元的に把握する「地下の地形学」の構想は、資源探査と地球史の再現のために欠かせない検討であった。ライプニッツは『プロトガイア』(Protogaea, circa1691)を通じて、人類史が繰り広げられる大地が、有史以前の状態から辿った道筋を記述しようとした。これらのプロセスをもって山田は、デカルトからライプニッツにいたる地球論の系譜は、17世紀以降の自然科学が歴史時間を持つ存在として地球を再認識していく壮大な過程であったとする。そこにはデカルトによる「モデルの発明」の威力にくわえ、地理学の発展も見逃せなかった。これらが当時の鉱山開発と連動していたことも決して見逃せない。「ヨーロッパ人たちは、各地で古代人にも知られていなかった民族や事物に出会いながら、それらが自分たちの世界と同質の空間に属しているのを実感したに違いない。この均質な空間の意識が地表にとどまらず、一方では地下へ一方では展開へと投じられた」(同p.250)のである。上記山田のまとめにおいて本節4-1に挙げた問いかけの初期回答は導き出せそうである。

5. 地球の時空間を描き切る ジュール・ヴェルヌと19世紀自然科学そして構築4の兆候

5-1. 19世紀自然科学とジュール・ヴェルヌ

原子論(ドルトン1803)、エネルギー概念(ヤング1807)、分子説(アボガドロ1811)、電流の磁気作用(エールステッド1820)、鉄道システム(スティーブンソン1821)、熱力学(カルノー1824)、電磁誘導(ファラデー1831)、熱量(ジュール1843)、海王星発見(アダムス、ルベリエ、ガレ1846)、ダイナマイト(ノーベル1866)、元素周期表(メンデレーエフ1869)、4サイクルエンジン(オットー1876)、ラジオ波(ヘルツ1886)、X線(レントゲン1895)、電子(トムソン1897)、ラジウム(キュリー夫妻1898)、量子論(プランク1900)…。
19世紀の自然科学は、まさに先のジオコスモスが科学体系として詳細に解明されていく過程であった。そこでの発見は産業革命に直結した。フランスの小説家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)が初のSF作家として知られるその独自性は、彼がそのプロットの根拠を当時実在した自然科学論や実際の技術開発をベースに構築していたからである。気球旅行から始まる一連の作品が扱った分野を追っていくと、その驚異の旅が時間の推移を含んだ地球をめぐる4次元立体的な布置を持ち始めるのはまさに驚異である。さらに銅版画による魅力的な挿画によっていわば新古典時の建築界によるヴィジョナリーを地球規模で実現させたような趣がある。
アフリカ大陸を空中から横断し地形的貌をなぞる『気球に乗って五週間』(Cinq semaines en ballon1863) を皮切りに、『地底旅行』(Voyage au centre de la Terre1864) で地球内部の構造とエネルギーの存在を追求し、『地球から月へ』 (De la Terre à la Lune1865)と続編の『月世界へ行く』(Autour de la Lune1870) では、地球内部に掘り込んだ鋳鉄製の巨大大砲からアルミニウムの宇宙船を天空に打ち上げ、月を周回させ、地球に乗組員が無事生還するまでを描いた。さらに『海底二万里』(Vingt mille lieues sous les mers1870) では遁世的船長によって深海の様子が紹介され、『八十日間世界一周』(Le Tour du monde en quatre-vingts jours1873) では、当時の世界各地を連結する交通機関をシミュレートするという、当時の考えられうる限りの時空についての総合的なパースペクティブの描出を達成した。地底旅行など実現困難なプロットを優先させる場合、当時の科学認識とのずれも散見されるが、大枠の理論構築と実現化への腐心はヴェルヌの真骨頂である(ケプラーも世界初の月世界旅行小説(『夢』Somnium, circa1650)を書いているが、その内容は軌道説明が主であり、月までの到着は水で濡らした脱脂綿を鼻腔に詰めて精霊に連れて行ってもらうという割愛ぶりである)。最後に月世界探検・宇宙シリーズの最後にあたる『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous1889)を構築3のベクトルの行方を明瞭に示した作品として、難波した島で少数の文明器具をブリコラージュして生き抜こうとする人々のBuildinghoodとLivelihoodとを詳細に描いた『神秘の島』(L’Île mystérieuse1875) を、構築4的世界を描いた先駆的作品として紹介してみたい。

5-2.『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous,1889)の構築3的主体と地球消滅

前作『月を回って』から20年後に発表されたこの中編では、大砲によって月に「宇宙船」を打ち上げた大砲愛好協会であるガン・クラブが再び登場する。彼らは戦争の減少によって使用機会の少なくなった大砲を宇宙開発の原器として用いようとする協会だったのである(なんという構築3的慧眼!)。小説は彼らが「北極実用化協会(North Polar Practical Association)」という謎の組織を設立し、これまで全く使い道のなかった北緯84度以上の北極地帯を競売にて獲得するところから話が始まる。その隠れた目的は、赤道近くのキリマンジャロの中腹に巨大地下大砲を建設し、大砲発射の反動によって地球自体の地軸を動かすことであった。その直径は27メートル、全長600メートル、新式爆薬による18万トンの砲弾を射出する。これによって地球の傾いた地軸は太陽に対して垂直に回転するように矯正されることとなり、結果として北極地帯の氷が溶け同地帯に眠る石炭資源を取り出すことができるという全球的巨大開発計画が隠れていた(図9)。

CCI20190630_2のコピー

図9 『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous,1889)挿絵

のみならずこの計画は、地球上の様々な地域の海抜や気候を大変更し、突発的な津波が各地の大都市を襲うことが告発によって判明したため、世界中から反対運動が巻き起こるが、計画は強行される。しかし計算者が地球外周を4万キロメートルではなく4万メートルと3桁間違えるという初歩的ミスを犯したことによって、結果は大失敗、地球は3ミクロン動いただけというのが結末である。正解の計算では、当初の規模の場合、大砲は一門ではなく一兆門必要だった。
ヴェルヌはこの小説をあくまでも幕間劇のようなスラップ・スティックに仕上げており、このあっけない結末も同様である。しかしながら補遺として初版版には「ごく少数の人が知ればよいこと」として、アミアンの鉱山技師であったA.バドゥローに依頼したその地球を動かす計算式を掲載している。つまりヴェルヌは意図的に計算を間違える(スラップスティックする)ことによってこの小説を一般書として成立可能とさせつつ、同時に地球自体を人類の選別覚悟でその環境を変更可能な状態と階級が存在しうる可能性を指摘しているのである。その後の地球では、大砲操縦の際にすでに四肢を多く損傷し、金属製の義手、義足をつけているガン・クラブのメンバーによる新しい宇宙冒険が待ち受けているのだ。以上のように同中編は、構築3における人類による構築0からの逸脱の可能性とその実現性を描いている。

5-3. 『神秘の島』構築4世界におけるBuildinghoodの素描

翻って『神秘の島』は彼が得意とした漂流小説の完成形である。南北戦争で捕らえられた北軍捕虜など年齢・人種・職業の異なる男性5名が気球を横取りするが、凄まじい嵐によって太平洋の孤島に漂着する。彼らの探索によって描かれる島は火山を備え、花崗岩で覆われ、部分的に石灰岩が露出し、侵蝕崖地、奥深い森林、地下水による沼などまるで地球の様々な環境が閉じ込められた小地球である。その島で漂流者たちは、一致団結し、かろうじて残った一本のマッチ、麦のタネ一粒、腕時計二つという極小な財産を様々に転用、拡張しながら、彼らがいた本来の構築3社会のBuildinghoodを再構築しようとする。しかしここはもはや「無尽」の資源や大資本を前提とした構築3様式の三位一体性は生み出しえない。その技術的な再活用、ブリコラージュがあるだけである。このプロットが同小説の構築4的兆候を明瞭に示している。

リーダー格である万能技師が島探索後に、いくつかの鉱物の破片を取りだし、次のように宣言する。

きみたち、これは鉄鉱石だ。こちらのは黄鉄鉱だ。これは粘土、これは石灰岩、これが石炭だ。みな自然のあたえてくれたものだ。ここまでが自然の仕事で、これからが人間の仕事だ。第1部12章(参考文献4より)

彼らは原始人ではなく生環境の構築様式を歩んできたポスト近代人なのである。腕時計のガラスを外し2枚合わせとし中に水を封入することで作ったレンズで火を生み出す感動的シーンから始まり、粘土からレンガが、陶器が、さらにはガラスの生産に成功する。アザラシの皮を用いたふいごで石炭と黄鉄鉱を組み合わせ、鉄を取りだし、各種道具を製作、それらを連結して機械を作る。滝から電気エネルギーを生み出し、硫化鉄から硫酸を取りだし、ジュゴンの死骸の脂肪と合わせてニトログリセリンを作り出す。このようにして5人は牧場、農場、水力エレベーターなどを構築していくのである[vi]。しかし孤島中央部の火山が噴火し、彼らの文明社会の再構築は二年続いたのち破局を迎える(図11、12)。最終的に漂流する彼らが救出されることでこの小説は完結するが、この結末の必然性はほとんどなく、ヴェルヌが描きたかった題材はあくまでも大地の先行性を基本条件にしつつ、絶滅の日まで人はどのように生きるべきかという生活態度の問題に尽きるのではないか。しかし登場人物をかなり単純化してしまった欠点は大きい。この小説の主役たちは統率の行き届いた男性グループであり、女性を含めてはいないし、障害者も、共存者としての動物も存在しない。しかし、その限界あるプロットの中でヴェルヌは人類が、構築1から3の間までに発明したBuildinghoodを主体的に再活用し、まさしく有限の一つの小宇宙(神秘の島)で構築4の生環境を建設する可能性を試みたように思えるのである。そしてヴェルヌにおける以上のような構築4への意識は原理3を反照する過程で、表裏一体的に同時に現れていたことは示唆的である。

CCI20190630_4

図11 アザラシの皮で製鉄用のふいごを作る『神秘の島』L’Île mystérieuse1875挿絵

CCI20190630_5

図12 神秘の島の消滅,『神秘の島』L’Île mystérieuse1875挿絵

5. まとめ

今後残された課題は、この〈神秘の島〉としての地球の登場人物に男性5人以外の複数の異質な存在を加えそのビジョンを再び描き切ることであろう。それについては今後の報告者のみならず私たち人類の今後の課題として残されている。

註にあげた以外の参考文献
1)R.J.フォーブス『技術の歴史』田中実訳、岩波書店、1956
2)山田俊弘『ジオコスモスの変容』勁草書房2017
3)ジュール・ヴェルヌ『驚異の旅コレクションII』石橋正孝訳、インスクリプト2017
4)同『神秘の島』上下、清水正和訳、福音館書店、1978

図版出典
出典なき限り全て筆者による。図5)The U.S. Navy airship USS Akron (ZRS-4) flying over the southern end of Manhattan, New York, New York, United States, circa 1931-1933. Official U.S. Navy photo NH 43900、図6)Woudloper, Wikimedia commons、図7)参考文献3より、図8、図9)同2より、図10、11)同4より

[i] “S,M,L,XL”, Rem Koolhaas and Bruce Mau,Monacelli,1998。「ジェネリック・シティは中心の束縛、アイデンティティの拘束から解放された都市である。ジェネリック・シティは依存性がつくり出す負の連鎖と訣別し、ただひたすら今のニーズ、今の能力を映し出すのみである。それは歴史のない都市だ。」1-6 ジェネリック・シティ(太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫2015)

[ii] 「Buildinghood 大地からの構法」『世界建築史15講」彰国社2019、『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』岩波書店2017

[iii] 世界中の超高層建築を7万件近くプロットしたINTERACTIVE SKYSCRAPER MAPS  http://skyscraperpage.com/cities/maps/を参照することによって、超高層建築の立地の基本条件を把握することができる。その特徴とはそのほとんどが海際に立地していることである。内陸にある場合もその周辺には必ず相応の大きさの河川が流れている。海も川もない立地は極めてわずかであるが、その少数例であるサウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)のスカイスクレーパー群を試しに確認すれば、その代役を一本の大きな幹線道路が担っていることがわかる。

[iv]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC(2017年3月31日閲覧)

[v] https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_iron_and_steel_industry_in_the_United_States(2017年3月31日閲覧)

[vi] この紹介部分は『ジュール・ヴェルヌの世紀』監訳私市保彦、東洋書林2009におけるあらすじ紹介をベースとした。

カテゴリー: Publications | コメントをどうぞ

XX空間のイメージ ネパール・カトマンズにて2019年4月から5月(その1)


2019年4月26日から5月7日まで、カトマンズのパタンにて建築家石山修武氏が提案している芸術学校White Mountain Moon Collegeの新設活動に立ち会いました。
おそらくフラーも参加していたBlack Mountain college から着想を得たと思われます。開校日はMoon、つまり太陰暦で決めるとのこと。氏からは当初レクチャー担当を打診されたのですが、そう簡単には済まないことは覚悟していました。おそらく学校のハードとしての実体はまだないのであろうと…

というわけで、最初はレクチャーにこぎつけるまで、開校のための示威活動としての市内の公共水場の清掃活動に参加して、日本人たちがなぜか街を掃除しているぞニュースに出演したりしていました。そのあいだも石山氏は以前に知り合った若い現地の画家が経営するボダナートのチベット難民地区にあるギャラリーに目をつけ、そこで準備レクチャーをすることを取り付けました。レクチャーは予定通り実現したわけです。(以降長文になります。)

さて、当初の打診の段階から、ネパールで何をレクチャーするかは決めていました。それは家から、そして女性性から、社会空間を設計し直すという提案です。なぜネパールでこの内容だったかには二つの理由があります。

XX空間への興味
一つは、女性性への着目です。2013年2月、プレート境界の旅の途中に訪れたカトマンズ市内で同地の住居形式に触れて以来、家が持つ社会への能動的な役割に興味を持っていたからです(ブログ内リンク1リンク2、参照:「溜まる街 カトマンズ盆地にて」『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』2017)。現地名でヴィハール(Vihar)というその伝統的集住ユニットは氏族(toli)ごと、中庭を囲繞するように建っています。過密化した都市の中ではその氏族の空間の私有関係は立体化し複雑化しています。往来に面するヴィハールには、ほぼ例外なくその一階が間口の狭い各種の店が付加されています。裏にあるヴィハールでは店の代わりに何らかの仕事場になっています。
さてその住居をめぐって、滞在中、特にベルの実との結婚(Ihi)という、カトマンズの主要民族であるネワリ族の少女に特有の儀式について興味を持ちました。それは少女が家の中庭で、ヴィシュヌ神の化身であるベルの実と象徴的に結婚するものです。これは少女とその出身の氏族の共有空間を代表する中庭が紐付けされるということに他なりません。これによって後の男性との結婚は相対化され、彼女とその出身家の関係は維持されるという巧妙な役割があると感じていました。そのほかにもカトマンズの居住形式には女性性が高位についている所作があります(次回に紹介予定)
もう一つは、家の社会的役割です。近著『未来のコミューン』(インスクリプト、2019)の結論部分で私はこう書きました。「家、社会がそれぞに含む要素の境界は注意深く再定義しうる。なによりも自らが望むべき両者の平衡状態に向けて、形とコンテクストの閾をほぐし、あきらめずに境界線を見いだし、再び集合し、新しく空間を確保すること。これが未知の「家」、そして未来のコミューンである」(p.256)と。
つまり家は通常、特に日本の都市部では、私的なものとして社会から分離しているように見えます。しかしながら都市の風景を見るとき、その空間を実体的に構成するのは集合住宅も含めた家、居住の割合が半分以上なのではないでしょうか。公共建築が提供する公共空間の他に、家から発する公共空間が潜在しているはずです

女性性、そして家から生まれる公共空間の性格を検討することは、この数年私が常に抱いてきたテーマの一つでした。そのシナリオはネパールを発つ前に発表済みでした。

 例えば次のような建築提案はわかりやすいだろうか。プロジェクト名はXX建築である。 XXは女性性を示す染色体記号である。その建築の目的は女性の活動・生存様式を優先してあらゆる社会的建築、空間のデザインを作り変えることだ。一方で現在の社会を構成するかたちは男性=XYを主体として構成されている。現在のオフィスは、家内制手工業から離れ、産業革命以来の産業建築の派生物である。その建築の中で人は性や死を権利として行使することはできない。産業建築は人間の生物的側面を排除するために作られたのであり、その理想は「二四時間営業」である。その目的のためにはXYの活動・生存様式の方が都合がよかった。それゆえ不可避的に月一の中断を持ち、妊娠と出産の契機を持つ女性性が登場するには、XY+Iのオプションとしてでしかありえなかった。あきらかに活動機能の種目の多いXXが、少ない XYのふりをしなければならなかったのだ。しかし今ここで社会の活動原理をXXから始めたらどうなるだろう? すると社会には中断の時間があちこちで頻発するようになる。そうすればおそらく社会構造は根底から変更される。(「未知の家から見える風景・XX」『文学界』2019年4月号)

結果的にこのレクチャーにおいては、女性性の部分まではディスカッションが深められませんでした。しかしながら家から発生する社会的空間のメカニズムについてはある程度その骨格をつかんだと思います。

レクチャーまでに準備したもの
日々方針や条件が変更される中での発言の方法には臨機応変の準備が必要とされます。言葉だけからプロジェクター環境が整備されるまで、いくつかの段階を見越して現地で準備しました。以下がその内容です。

1)ベルの実の実物を獲得
まず私がある程度カトマンズの市内居住の内実を知っていることを示すためにも、ベルの実との結婚についてのディスカッションが必要です。そのためにはまず私が見たことのない本物のベルの実を手中にすることが必要です。最初ゲストハウスの主人いわくの家に残っているはずの実を探し出してくれるのを期待していましたが結局見つからず、マーケットで探して買ってきてもらいました。一個60ネパールルピー。既往研究通り、柑橘系の硬い実です。この中の果汁はいつまでたっても腐らないことからベルの実が象徴的に用いられたのだとのこと。

2)主張内容の現地フライヤー作成
次に、石山氏の機嫌のいい時(朝)に当方のレクチャー内容を一発で了解させるために、心のこもった主張書を日本語で書きました。氏はじっくり読み込んで、予想外の無条件オッケーを出しました。今回のメイントピックにするとのこと。すかさず、日本語のできるゲストハウスのマスターにお願いして、手書きで翻訳してもらい、それを現地のコピー屋さんでコピーし、最低限の資料はこれで完備させました。マスターは日本語教師のところにまで出向いて、正確な翻訳を期したとその紙を当日渡してくれました。パタンのMahabuddha guest houseは日本語完全対応です。安心して宿泊してください。

3)当日までに現地で集めた風景素材
さらに聴衆に納得してもらうには、とりあえず当方が現地を数日間は歩き回って素材を探したことを示すことも重要です。東京に外国の先生が来て、「新宿から学ぶ」とか言って、ネットから拾ってきたネオンサインの写真一枚をイメージに出していたらちょっとげんなりします。あれを回避したいと思います。実際に現地で街を歩きつつ考えをまとめたのでその時の写真をいくつか用意し、その風景がXXか、XYかを検討してもらうのに使うことにしました。

4)プロジェクター用プレゼンテーション
プレゼンテーションには、ライブ感も必要というか、どうしてもそうなってしまうので、作図の難しいところはノートに手書きして、それをスマホで撮影して、プレゼンテーション内に落とし込みダイアグラムを作成しました。

次回はレクチャー当日のプレゼンテーション内容について報告したいと思います。(つづく)

カテゴリー: Events, Lectures | コメントをどうぞ

なぜ家は存在するか、『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』1月25日刊行


未来のコミューン_オビなし

装幀 間村俊一、挿画 大鹿智子
定価:本体3,200円+税
四六判上製 320頁
ISBN978-4-900997-73-8

かたち三部作」の最終巻の公刊が目前となりました(2019年1月25日、インスクリプトから)。本書は「なぜ家は存在するか」についての検討から始まり、共同体を生み出すかたちの力について検討したものです。これでクブラー『時のかたち』の翻訳経験を経て、外環境としての地球の大地から、内環境としての人間、そして彼らを守る器、取り巻く社会までの見取り図を描いたつもりです。『未来のコミューン』について、「あとがき」ほぼ全文を以下に掲載することにしました(出版社による案内にあるように、近代的共同体についての「めくるめくプロファイリング」を展開しています。興味を持たれたら是非ご入手ください)。

あとがき

生きることとデザインをすることはつながっている。 より正確にいうと、生きることを続けようとすることと、身の回りのかたちを調整し、そこに適当な役割や意味を与えようとすることは、必ずつながっている。その最もみじかな人類の成果が、人間を守る器としての家であった。 本書では家に不可避的に生じてしまう様々な事象を具体的にあげた。そしてそれらを生み出す家の構成を露わにするために、その生物的、社会的、歴史的意義を私の経験的回路からまず再検討しようとした。

まず、このような家の構成に気づいたのは、第一章・化モノの家で論じたように日本の伝統的民家における暗い部屋─ナンド─の特殊な役割を知った時であった。それは家屋形式が全く違うインドネシアの高床住居にも通底する構成であった。ここで大事なことは、初源的な家の構成は、もとより普遍的であるため、将来においても必ずそれは様々な事象を出現させることである。本書はそのような気づきからはじめられたが、完成には予想以上に長い月日がかかった。というのも、書くことによって出現する新たな意味の進展に私自身が戸惑い、その咀嚼に時間がかかったからである。

第二章・神の子の家は、説話「三匹の子ブタ」たちが選択した家を建てる素材の順列(藁、枝、煉瓦)に対する素朴な疑問から始まった。そして同話の複数の歴史的ヴァージョンを渉猟する中で、この話にはある時期に、前近代と近代以降それぞれの家が意味を違えるところの決定的な徴が刻まれていた。これは決して予想しえなかった結論であり、さらにその結末で次章三章における近代住宅成立の最も具体的な条件の導出という課題が現れた。このように、家の構成に検討を加えることで、さらに新しい構成的問題が出現するという継続的なプロセスで本書は書き進められた。

これら作業と並行して、私の運営する研究室ではウィーンの建築家アドルフ・ロースによる全論考の翻訳プロジェクトが進んでいた。その過程で彼のテクストに、生活空間に対する同様の構成的意図を見出したことは幸いであった。二〇世紀初頭に「装飾と犯罪」を発表、装飾を弾劾し近代建築の立役者になったはずの彼の論考は、むしろ生活一般の律し方としてのデザイン全体を論じていた。そのなかで、時にはその背景となるヨーロッパ文明の根幹が鋭く語られていた。ロースの論考の射程を論じた第四章によって、近代以降の住宅に過去から変わらずに内在している課題群が筆者の前に湧き上がってきた。 これら検討領域の広がりは、近代における家を構成する要素についての、その外延をさし示すこととなった。家の追求が、ロースというヒンジで一転し、家の外部に向かっていくことになった。この経緯が、最終的な書名を「未來のコミューン」とした理由である。家と「未來のコミューン」との関係の定義は二五六頁を参照していただきたい。

それ以降の第五章からエピローグまでの四編は、その重要な課題群に向かいあった結果である。 第五章は空間論である。フリードリッヒ・エンゲルスによる一九世紀労働者住宅街レポート、二〇世紀初頭に実現した田園都市、オルダス・ハクスレーの近未来小説までを援用し、それらの知られざる接線を発見しつつ、予測された近未来の社会像とその時空間の構造を描いた。それはいまだに到達可能なディストピアとして現前している。

第六章は共同体論である。成員の維持方法を共同体成立に関わる根源的問題として見出した、近代アメリカの宗教的コミューンを扱った。その活動をハンナ・アーレントの言う人間の「はたらき」─labour, work, action─の三階梯の視点から見直すことによって、彼らの特異と思えたふるまいから逆に人間活動の普遍的構造を導き出した。

第七章、エピローグは住み方のデザイン論であり、家の範疇の再組織化を検討している。家は人々の生を守るべきものである。その極点を精神医学者R・D・レインらが組織した「反治療施設」であるキングズレイ・ホール前後の活動に見出し、その射程を論じた。レインらは、人間特有の「病」発生の場所を社会と個人の境界に位置する「家族」に見出したのだが、その意味を初期のクリストファー・アレグザンダーが論じたかたち─コンテクスト論から検討し直している。

そしてエピローグは治癒の場所の批判的回復を、べてぶくろ という具体的な場所での経験を通じて試みたのである。結局それらが本書で提出することになった、未来のコミューンにむけての基本プロットになっている。

ひとつひとつ謎を解くように書き進めてきた各章は、ふりかえってみれば断片的なデモテープの集積になってしまっていた。当初の目的もみるみる変化し、それらは自分にとって制御の難しいデーモニッシュな存在となっていた。これらを公にするにあたっては第三者の的確な批評が必要になっていた。私はその役割を、インスクリプトの丸山哲郎氏に求めた。
氏の承諾を受け、書籍化のための作業が開始された。断片的なテキストに対する氏の批評は容赦なく、その独善や欠落や飛躍を指摘してくれた。その結果として当初のテキストは真に大幅に書き直され、さらに有意で決定的な加筆で縫合された。『未来のコミューン』という本書のタイトルもまた加筆作業中の賜物である。彼の協力がなければ、おのれの活動の身の丈を明らかに超えている本書を公開する勇気は生まれなかった。…

なお、初出一覧は以下となります。リンクのあるものはその初期の論文の全部もしくは一部が読めるようになっています。あとがきでも特に記したように、一冊の書物にまとめるために、編集者の厳密な査読協力を得て、いずれも大幅に改稿、加筆しました。

イントロダクション  家の口  『現代思想 柳田国男特集』2012年 09 月所収「常の民家の際にて」を改題

第1章  化モノの家   10 1No.50, 2008年所収「化モノ論ノート」を改題

第2章  神の子の家  『d/sign』No. 18, 2010年所収「三匹の子ブタの家」を改題

第3章  パイピング建築論 家における聖と俗  『d/sign』No. 18, 2010年「家の食道」を改題

第4章  装飾と原罪  『d/sign』No. 17, 2009年「装飾という原罪」を改題

第5章  科学から空想へ  Nakatani Norihito’s Blographyにてヴァージョン1を公開、2012年 10 月 26 日

第6章  大地を振りはらうこと  Nakatani Norihito’s Blographyにてヴァージョン1を公開、2015年 04 月 05 日

第7章  家 コンテクストを動かすかたち  書き下ろし

エピローグ  庭へ続く小径  書き下ろし

主な参照文献は以下の通りです。

 柳田国男「民間些事」『定本柳田國男集』十四巻、筑摩書房、一九六九、今和次郎『日本の民家』岩波文庫、一九八九(初版一九二二)白茅會編『民家圖集』洪洋社、一九一八(古川修文・永瀬克己・津山正幹・朴賛弼編『写真集よみがえる古民 家│緑草会編『民家図集』』柏書房、二〇〇三)内田隆三『柳田国男と事件の記録』講談社選書メチエ、一九九五、柳田国男『山の人生』一九二六『定本柳田國男集』四巻、筑摩書房、一九六八 、柳田国男『故郷七十年』一九五九『定本柳田國男集』別巻第三、筑摩書房、一九七一、柳田国男『遠野物語』一九一〇『定本柳田國男集』四巻、筑摩書房、一九六八、Roxana Waterson, The Living House—An Anthropology of Architecture in South-East Asia, Tuttle Publishing, 2009邦訳:ロクサー ナ・ウォータソン、布野修司監訳『生きている住まい─東南アジア建築人類学』学芸出版社、一九九七、佐藤浩司「建築をとおしてみた日本」『海から見た日本文化』〈海と列島文化〉 10 巻、小学館、一九九二、大河直躬『住まいの人類学─日本庶民住居再考』平凡社、一九八六、 R. H. Barnes, Kédang: A Study of the Collective Thought of an Eastern Indonesian People, Clarendon Press, Oxford University Press, 1974、宮本常一『日本人の住まい─生きる場のかたちとその変遷』農山漁村文化協会、二〇〇七、 鈴木棠三『佐渡昔話集』民間伝承の会、一九三九 柳田國男編『佐渡昔話集』〈全国昔話記録〉第一編、三省堂、一九四二、関敬吾編『日本昔話大成』四巻「本格昔話三」角川書店、一九七八、太田邦夫「空間の虚構」『新建築』一九六七年七月号、English Fairy Tales, Collected by Joseph Jacobs, Illustrated by John D. Batten, London, David Nutt, 1890、新宮輝夫「「三匹の子ぶた」について」『三匹の子ぶた』講談社、一九九九、谷本誠剛「『三匹の子ぶた』のお話─昔話と児童文学」日本イギリス児童文学会編『英米児童文学ガイド─作品と理論』研究社出版、二〇〇一、Domenico Giuseppe Bernoni, “Le tre ochete,” Tradizioni Popolari Veneziane, 1873. 英語訳:Thomas Frederick Crane, The Three Goslings, Italian Popular Tales, 1875、 大竹佳世「近代における《家を建てる》根源的意味に関する研究─三匹のコブタ・バベル・コルビュジエ」 平成一七年度大阪市立大学建築学科中谷研究室修士論文、Anthony Quiney, House and Home—A History of the Small English House, British Broadcasting Corporation, 1986, 邦訳: アンアンソニー・クワイニー、花里俊廣訳『ハウスの歴史・ホームの物語(上)─イギリス住宅の原形とスタイル』〈住まい学体系 067〉、 住まいの図書館出版局 、一九九五、ロジェ= アンリ・ゲラン、大矢タカヤス訳『トイレの文化史』筑摩書房、一九八七、白井晟一「住宅思言」『新建築』一九五三年一一月号、白井晟一「無窓無塵」『無窓』筑摩書房、一九七九年、初出『婦人之友』一九七七年五月号、白井晟一「虚白庵随聞」「白井晟一研究」企画編集室編『白井晟一研究I』南洋堂出版、一九七八、岡崎乾二郎「建築が思想を持つ条件」『建築と日常』 No. 1、二〇一〇 、アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳「装飾と犯罪」『にもかかわらず』みすず書房、二〇一五、 アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳「女たちのモード」『虚空へ向けて』編集出版組織体ア セテート、二〇一二 、アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳『ポチョムキン都市』みすず書房、二〇一七、ゲオルク・トラークル、中村朝子訳『トラークル全集』青土社、一九八七 エルヴィン・マールホルト、田中豊訳「人間と詩人ゲオルク・トラークル」http://appleorange.cafe.coocan.jp/ 、オットー・バージル、田中豊訳「自己証言と写真記録の中のゲオルク・トラークル」http://appleorange.cafe. coocan.jp/ 、ハンス・ペーター・デュル、藤代幸一、三谷尚子訳『裸体とはじらいの文化史』法政大学出版局、一九九〇、バーナード・ルドフスキー、加藤秀俊、多田道太郎訳『みっともない人体』鹿島出版会、一九七九 、上野千鶴子『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』平凡社、二〇〇二、ミシェル・フーコー、渡辺守章訳『性の歴史I 知への意志』新潮社、一九八六 、フリードリヒ・エンゲルス、武田隆夫訳『イギリスにおける労働階級の状態』〈マルクス・エンゲルス選集〉二巻、 新潮社、一九六〇、フリードリヒ・エンゲルス、戸原四郎訳『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫、一九六五、 ルイス・モルガン、荒畑寒村訳『古代社会』彰考書院、一九四七、 エベネザー・ハワード、長素連訳『明日の田園都市』鹿島出版会、一九六八、 上野千鶴子『家父長制と資本制─マルクス主義フェミニズムの地平』岩波現代文庫、二〇〇九、オルダス・ハクスリー、松村達雄訳『すばらしい新世界』講談社文庫、一九七四、伊藤杏奈、中谷礼仁「SF小説『すばらしい新世界』(一九三二)とイギリス近代都市計画の近親性─エベネザー・ ハワードとパトリック・ゲデスを対照として」二〇一二年度日本建築学会大会梗概、オルダス・ハクスリー、中村保男訳『永遠の哲学』平河出版社、一九八八 、オルダス・ハクスリー、河村錠一郎訳『知覚の扉』平凡社、一九九五、パトリック・ゲデス、西村一朗訳『進化する都市』鹿島出版会、二〇一五、 今和次郎「都市改造の根本義」日本建築学会編『建築雑誌』一九一七年一月号、村田充八『コミューンと宗教─一灯園・生駒・講』行路社、一九九九、 カント、小倉志祥訳「人間歴史の臆測的起源」『カント全集』一三巻、理想社、一九八八、 Howard Mumford Jones, O Strange New World: American Culture—The Formative Years, Viking Compass, 1964、ロバート・N・ベラー、松本滋、中川徹子訳『破られた契約─アメリカ宗教思想の伝統と試練』新装版、未來社、一九九八、 ハンナ・アレント、志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房、一九九四、マックス・ウェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、一九八九、荒井直「「労働」観─キリスト教文化と古代ギリシア」『山梨英和短期大学紀要』30, 17-35, 1996-12-10、藤門弘『シェーカーへの旅─祈りが生んだ生活とデザイン』住まいの図書館出版局、一九九二、穂積文雄『ユートピア西と東』法律文化社、一九八〇 Everett Weber, Escape to Utopia, Hastings House, 1959、岡崎乾二郎、中谷礼仁「発明の射程」『 10 + 1』 No. 15 、INAX出版、一九九八、倉塚平『ユートピアと性─オナイダ・コミュニティの複合婚実験』中央公論社、一九九〇、 バートン・H・ウルフ、飯田隆昭訳『ザ・ヒッピー─フラワー・チルドレンの反抗と挫折』国書刊行会、二 〇一二、 エド・サンダース、小鷹信光訳『ファミリー─シャロン・テート殺人事件』草思社、一九七四、 Janice Holt Giles, The Believers, Houghton Mifflin Company, Boston, 1957、クリストファー・アレグザンダー、稲葉武司訳『形の合成に関するノート』鹿島出版会、一九七八、橳島次郎『精神を切る手術─脳に分け入る科学の歴史』岩波書店、二〇一二、山本貴光、吉川浩満『脳がわかれば心がわかるか』太田出版、二〇一六、立岩真也『造反有理─精神医療現代史へ』青土社、二〇一三、 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、宇野邦一訳『アンチ・オイディプス─資本主義と分裂症』(上下) 河出書房新社、二〇〇六、フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳『分子革命─欲望社会のミクロ分析』法政大学出版局、一九八八、フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳『精神病院と社会のはざまで─分析的実践と社会的実践の交差路』水声社、 二〇一二、 R・D・レイン、阪本良男、笠原嘉訳『家族の政治学』みすず書房、一九九八、 R・D・レイン、A・エスターソン、笠原嘉、辻和子訳『狂気と家族』みすず書房、一九九八、 R・D・レイン、村上光彦訳『結ぼれ』みすず書房、一九七三、 Dominic Harris, The Residents, published by author, England, 2012、門眞一郎「キングズレイ・ホール異聞」『精神医療』一三巻三号、一九八四、 ジョゼフ・バーク、メアリー・バーンズ、弘末明良、宮野富美子訳『狂気をくぐりぬける』平凡社、一九七七、 クリストファー・アレグザンダー他、平田翰那訳『パタン・ランゲージ─ 環境設計の手引』鹿島出版会、一 九八四

カテゴリー: Publications, Uncategorized | 1件のコメント

賀頌・かたち三部作仕上がりました


2019web

あけましておめでとうございます。かたち三部作(自分の中での企図ですが)がようやく仕上がりました。

『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』2017年岩波書店では、プレート境界上の動く大地のなかの住まいのかたちを報告しました。

『時のかたち 事物の歴史をめぐって』(G.クブラー、1962刊)2018年鹿島出版会は、頓挫していた翻訳プロジェクトがようやく日の目を見たものです。

『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』2019年インスクリプトが刊行の運びとなりました。家に込められた近代的課題の解読を中心とした共同体論になります。

いずれも長い時間がかかったものですが、途中で東日本大震災後の状況を色々感じつつ、かなり深掘りをした作業になりました。後半二作について紹介します。(*と思ったのですが、以下長くなったので『未来のコミューン』については、また日を変えてしっかりと紹介させていただきたいと考えます。→書きました。)

人間が作ったあらゆる事物のかたちのシークエンスによって歴史の新しい記述方法に挑んだ『時のかたち』(1962)の邦訳は公刊済みです。この本について、なぜ解題を書かなかったのか、なぜ訳注が極端に少ないのか?という質問をいただきましたのでお答えします。翻訳書刊行に向けての交渉時(2005年ごろ)において、クブラーのご遺族から翻訳について様々な条件が付されました。実現が難しい注文もあり、これによって邦訳刊行はいったん頓挫しました。その後、著作権管理がイェール大学出版局に移行することによって、ようやく2015年ごろから刊行作業が事務的に動くことになりましたが、今回の刊行にあっても以前の条件の一部(解題、訳注の禁止)は動かしがたかったというのが実情です。まずは相応に妥当性のある翻訳の公開をめざしました。精訳においては加藤哲氏に本当に懇切にご指導いただいたこと、多くの訳注を削らざるを得なかった共訳者の田中伸幸氏の並々ならぬ苦労と無念をねぎらわずにはおれません。解題ではないのですが、私自身は『セヴェラルネス』2005、そして授業の建築史の内容(『実況 近代建築史講義』2017)がクブラー読みの結果としての間接的な産物でした。そのほかに三中信宏・中尾央編『文化系統学への招待文化の進化パターンを探る』2012において明治期工匠たちによる折衷建築・擬洋風(これは好適な題材!)をクブラーの系統年代(systematic age)理論で分析しました。なおクブラー自身がこれまでの批評に答えるかたちで、1982年に以下の小論を発表しているので、同書の基本的な疑問点を検討するのに役に立つと思います。(The Shape of Time Reconsidered”, Perspecta: The Yale Architectural Journal, vol. 19, pp. 112-121

31rB9R7y22L._SX340_BO1,204,203,200_.jpg

この本は読者の興味や状況に応じて、千変万化の効力を発揮します。今回私が最も興味があったのは素形物(prime objects、事物のシリーズの最初の位置に置かれる決定的な作品、「発端物」という訳も考えた)の生まれ方です。それは結局事後的に見出されるのではないかという批判が当然予想されるからです。個人的な読みではクブラーはそれをまず偏流(drift、サピアによる言語学用語, pp.122-特に124)+変異体(mutant, p.88)の組み合わせでクリアーしようとしたように思います。特に偏流は(本書の途中から出てくるにしては)重要な概念で、クブラーは私たちの格別の創作意識には関係なく、かたち自体が持つ周期的変化と説明しています(追記:少し筆をすべらせれば、伝言ゲームのような模倣過程による必然的なずれの発生をイメージします。もう少し言えば、模倣の飽きに由来するヴァリエーションの発生とか-招待状を沢山書かなければいけない書記が送ったその知られざる微細なヴァリエーションというクブラーの例えはとても面白いです。p.148)。その変化は系統に編年があることの裏付けであり、考古学的出土品の形態比較による年代判定(cultural clock)を思い起こすとよいかと思います。それはしばしば意味解読の際には余計な雑音や、通奏するうなり(ハム)にもなるわけですが、そのうなりが特定の閾を超えた時、伝達情報の組成に変異が生じて、チューニングがピシッと合ったように人々に対してその形態の意味が構成し直される時があると私は考えます。「内容+ハム」(単なる周波数の重なり)が「新しい内容」(有意な音)として同期し受け止められるプロセス、これprime objectsの誕生ではないのかな、と思います。クブラーのパルテノンprime object説(pp.90-92)を読むとその思いを強くします。そしてこれは事後的というよりは、そのつど、諸作品との生きた比較行為を通して、次代の制作者が抱いた過去への挑戦として形成されてきたのだと思います。当然ですが、つくる人は同時に見る人でもあります(芸術家が単につくる人だという大きな誤解をしがちなことは常に諌められるべきです)。これは本書のあらゆるところで強調されています。この状態によって過去の事物が芸術家たちと有意に情報をやりとりする事物のシグナル(signal, p.50)からシークエンスの生成(p.74)もようやく成立します。これによって時のかたちは紡ぎ出されるのではないでしょうか。以下二つ個人的に思い当たった例を紹介します。

例1)これprime objectかも?と思い直した個人的経験を解説します。本来は視覚的に感知しうる形態について紹介するべきなのですが、音楽(ドラムの音作り)についての話です。スネアのリバーブ(残響)を途中で断ち切って、まるで鉈を下ろしたような迫力ある音にする手法をゲート・リヴァーブ (Gated Reverb)といいます。その牽引役だった音楽プロデューサー・スティーブ・リリー・ホワイトによるその登場(=完成)は、ピーター・ガブリエルの『III』(1980)においてです。しかしその一年ぐらい前からスティーブの音作りがだんだんと変わっていることに気づいていた当時の私(レコード屋のアルバイト高校生)は、その連続的発展であったはずのその音作りの存在意義が、ピーターのアルバム上で全く変化したことにびっくりした記憶があります。それ以降この手法はチューニングがずれていくように次第にその特別な意味を薄めていきました。こんなように色々と自分の知覚経験と重ね合わせて考えてみるのが一番面白いと思います。ゲート・リヴァーブ誕生前後の音を確認しておきます。いずれもスティーブのプロデュースです。

XTC – Making Plans for Nigel – Drums and Wires [1979] 別のチューニングです

Peter Gabriel – INTRUDER – III(1980) ゲート・リヴァーブの誕生

Big Country – IN A BIG COUNTRY(1983) チューニングがずれた状態、その後廃れました

時系列できれいにその音作りの変化がわかりますが、ゲート・リヴァーブを別のシークエンスに取り入れ、その存在意義をさらに拡張してみせたのがジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)によるアルバム『フラワーズ・オブ・ロマンス』1981です。ちなみにこのアルバム制作の途中で、当初雇われていたスティーブは解任されています。彼のゲート・リヴァーブは換骨奪胎されてしまったのです。当時のジョン・ライドンの音作りの構想の大きさがよくわかります。PILはこの時が頂点であり、未到です。現在停止したシークエンス状態にあると思います。

PIL – FOUR ENCLOSED WALL – UNDER THE HOUSE – Flowers of Romance(1981)

例2)別例をもう一つ挙げます。ジャレド・ダイアモンドが編集した『歴史は実験できるのか』邦訳2018の第1章「ポリネシアの島々を文化実験する」(ジェイムズ・A・ロビンソン)です。ここにおいてポリネシア諸島に広がったココナツ削り機のオリジナル探しを、語彙、意味、形態(転用物含む)の変化による分析「トライアンギュレーション」(かたちが指し示す時空間を決定するには三つ以上要素が必要という示唆とも言える)という方法で行なっているのですが、それぞれが持つ偏流(drift)とそれらの系統年代(systematic age)の組み合わせを想定した方法です。これもまた、prime objects探しにかなり接近しているのではないかと思います。

質問をいただいた某教授は、以前からこの著作の重要性を認知していた人物で、おそらくどこかでその方なりの厳密な「解題」が登場してくるかと思います。その際にはまたおしらせします。良い年をお迎えください。

 

カテゴリー: Publications, Uncategorized | 2件のコメント