原稿を長く書く方法(卒業論文など初めての論文作成の一助として・お試し版)


まず論文を書く作法については佐藤守弘先生の「学術論文を書くために」がとてもわかりやすいので推薦します。

また論文とは何かについて簡単に紹介した私のガイドもありますが、かなり古いので参考程度に確認してください。

ここでは、長い論文(ただし自然言語用)を書いたことのない方のために、より長く論文を書く方法を紹介します。以下二つ留意点があります。

・これは私が修士論文の時に個人的に編み出したと思っている方法ですが、月並みなものだと思います。なぜなら「本文を書く前に目次をまず書け」といわれる理由の根源になっている方法だと思うからです。あるいはアウトラインモードで原稿を書く方法そのものです。

・ここで紹介する方法は、論文を長く書くことを推奨するものではありません。論文は要領よく短くスマートに書くことの方が良いです。しかしながら長く論文を書いたことのない状態から、長く論文を書ける方法を知ることは、事象を丁寧に記述し、さらにそれを短くまとめ直す訓練として適していると言えます。

それでは進めます。書くべきトピックをとりあえず「カッパ巻き」にします。辞書で紹介されている説明よりも桁違いに長い「カッパ巻き」とは何かについての中編程度の論文を書きます。(なお参考文献や注の付け方等は他のガイドで検討してください。)

このトピックを書くにあたって卒業論文生に「カッパ巻き」で書くべき項目をあげてみてくださいとリクエストしたところ「ノリ」「きゅうり」「コメ」「」「巻く」などのサブトピックが出てきました。彼らの提案から類推するに、「カッパ巻き」という大見出しは、以下の中見出しに分解することができます。

  • カッパ巻き
    • 定義
    • 用いる素材
    • 調理方法
    • 備考
    • 小結(必ずつけてください)

ここに学生からもらった項目なども勘案しつつ小見出しまで作ってみると以下のようになります。なおこの小見出しはあくまでも例です。ここでの中見出し、小見出しはこの論文の独自性を構成する重要要素なのでまずは自分の興味やこだわりに従って決めてください。さらにその小見出しのトピックに見合った必要と思われる原稿用紙(400字詰)枚数を見出しごとに書いてみます。私は酢に少しうるさいので、ここに6枚を費やす覚悟を決めました。また巻きすを使った巻き方は、それを読者にわかってもらうためにはやはり6枚は必要ではないかと思いました。逆に海苔についてのうんちくはあまりないので2枚にとどめました。そのほか架空で書いておくべき項目を考えてみました。

  • タイトル:カッパ巻き
    • はじめに(定義と目的と方法) 2
    • 用いる素材
      • 適した海苔 2
      • ジャポニカ米 4
      • 夏のキュウリ 2
      • 食酢として適しているもの 6
      • 醤油か塩か 2
    • 調理方法
      • ご飯の炊き方 2
      • 巻きすでの巻き方 6
      • 最後の仕上げ 2
      • 切り方ともりつけ 4
      • 片付け 3
    • 備考
      • その歴史・なぜ「カッパ」か 2
      • 世界へのカッパ巻きの進展と課題 2
      • 美容への効果 3
      • 健康上気をつけたいこと 3
    • 小結(必ずつけてください) 4

もうここまでで執筆計画上必要な枚数は、49枚になっています。これがカッパ巻きというトピックを使って長い文章を書く方法です。つまりカッパ巻きというのはある要素群で構成された特定の組み合わせなのですが、これを要素ごとに分解すると、実はその要素はカッパ巻きよりむしろトピックとして大きくなるというのがミソです。またこの分解方法は、自分のカッパ巻きについて当然と思っている認識が相当偏ったり、省略していることを気づかせてくれます。カッパ巻きをこのように分解して、それを成立させている広大な時空間をまずは味わい、その後、それをより吟味してスマートに再構築すれば、著者独自のカッパ巻き論ができるはずです。そのために必ず、小結を書いて、カッパ巻きを再定義してください。いかがでしょうか。

*第1校投稿後、・備考>その歴史に「なぜ「カッパ」か」という副題を思いついて追記しました。原稿量は2枚で変えないようにしましたが、なぜ「カッパ」か?について真剣に答えようとすると、最低4枚はさらに書けそうです。またこのトピックは面白いのでスピンアウトさせて独立して書いても良いでしょう。項目を洗い出していくと、さらに新しい項目を発見することができるので、とりあえずこのトピックの分解方法は生産的でもあると思います。

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述語化するランドスケープ・石川初著『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い 歩くこと、見つけること、育てること』の紹介


石川初著『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い 歩くこと、見つけること、育てること』は石川氏が都市や地方で出会った、環境にかかわる具体的な事柄や経験を、独自に再定義した本である。
ようやく野良仕事(フィールドワーク)を終えて、その経験を振り返るように、机に向かった氏の日常をひしひしと感じる。そこでの省察は丁寧に書き込まれ、読者を決して置き去りにしない。タイトルにあるように、歩いた時のこと、見つけた時のこと、それを反芻しつつ著者の内部で育てられた時間など、複数の視点が重なり合って奥行きのある言葉が生み出されている。私感ではあるがその美点を紹介したい。

■美点となる書き方
この本は読んでいて心地よい。それは著者の書き方、筋道の付け方が丁寧だからである。建築すらその説明が難しいのに、さらに難しいであろう土木工作物を、まるで読者が「見てきた」(「読んだ」ではなく)ように思わせるその優れた叙述の例を以下に挙げる。人工的に形成された平坦な土地であっても「地形」が存在することの段階論法的な説明箇所である。番号は便宜的にふった。

1
地面に降った雨水は地表を流れたり、水たまりをつくったりする。水が流れるということは、そこがどちらに傾いた地形をなしているということであり、水が溜まるということは、その部分の地面が周囲よりも低い地形をなしていることを示す。
2
そのように見れば、たとえ人工物で覆われた都市にあっても、私たちの足元には地形が豊かにある。注意深く平坦に作られた舗装道路でも、薄い排水のための微かな勾配がつけられている。多くの車道では、排水は車道の両端に集められるように設えられている。
3
つまり道路は中心線に尾根を持った地形である。道路の両端には側溝が設けられ、車道と歩道の勾配は側溝に向かっている。…

「地形はどこにあるのか (第4章 地形と移動)」

私たち読者は、この叙述にわずか1センチメートルに収まる山系、水系の劇的な風景を感じることができる。本書はこのような環境要素のあざやかな把握に満ちている。彼ならではの経験と記述のフィードバックの回路がそれを可能にしている。そしてこの回路が、私が石川氏と野良仕事(フィールドワーク)をしている時に、常に彼の作業や言動に感じることそのものである。目次と各章の概要も紹介しておきたい。

■目次と各章の概要

  • 1章 FAB-G(ファブじい)
  • 2章 公園の夏
  • 3章 農耕の解像度
  • 4章 地形と移動
  • 5章 ベンチの攻撃
  • 6章 土木への接近
  • 7章 終わらない庭仕事
  • 8章 ランドスケープの思考

山間部に居住する老年層による器用仕事(ブリコラージュ)とその資材性(レヴィ・ストロース)を紹介したのが1章「FAB-G(ファブじい)」である。コンクリート片を切石のように積んだ石積みなど、日常の中から光る取り合わせを見出す石川氏の目が冴え渡っている。
2章「公園の夏」では複層の社会的ルールによって区画・意味付けされた空間として都市空間を規定し、「その他」の土地として規定された公園の潜在的可能性を論じている。
3章の「農耕の解像度」では極大から微細なスケールまで貫徹する大地の工学的原理(数センチでも堰は堰として機能する)の強靭な持続性を、農地化された古墳や、形態はそのままに水田化された平城京の大路の発掘例から論じている。
4章「地形と移動」では、これまであまり可視化されなかった微地形が、都市デザインの裏側でいかに深く効いているかを指摘している。密やかな先行形態論。
5章「ベンチの攻撃」では、座ること「しか」できなくなったベンチの持つ、行為への排他性から現在の都市空間の性格を論じている。
6章「土木への接近」では、土木工作物と日常生活とのスケールの乖離、違い、再遭遇を読み解く基準としてあげ、土木物の再定義を新たに試みている。
7章「終わらない庭仕事」では潜在自然植生(宮脇昭)の観念性を批判しつつ、日常的な造園作りが、人間も含めた都市内生態系(雑草、動物、人間、アスファルトなど)の諸要素間のプチ闘争とその持続する成果としてあること。それを、自宅の庭造りの例を通して紹介している。
終章の8章「ランドスケープの思考」では、ランドスケープおよびランドスケープ・アーキテクチュアの語源的不明瞭さを指摘しつつ、ランドスケープを作る(設計する)ことと、育てる(維持する)ことの間にある時差をふくめて、環境の最適化を不断に試みるものとしてそれらを再定義している。
なお上記概要は当方の読み方を強く反映しており、読者に応じてもっといろいろな読まれ方があると思う。

■述語としてのランドスケープ
終章ではランドスケープならびにランドスケープ・アーキテクチュアそのものの再定義を試みている。それがメインタイトルである「思考としてのランドスケープ」につながっている。その用法の説明を読んでいて、ランドスケープが名詞のみならず、形容詞だったり、ひいては動詞として用いられていることに気がついた。
https://ejje.weblio.jp/content/landscape
ここでarchitectureの翻訳語が、明治中期、「造家」から「建築」に変更されたことを思い出した。
本書によれば、landscapeも「造園」と翻訳されたのだという。
architectureはもともとは「造家」で、landscapeは「造園」である。どちらも述語(造)と目的語(家、園)で構成されている。その成り立ちも言葉の構造も似ている。おそらく出所は幕末・明治初期の同じ人々、組織だろう。
いずれも「〜を造る」という創造概念がはいっているが、architectureを造家と翻訳することは、当時まだ若手だった建築史家・伊東忠太によって批判された。伊東は「家」というこじんまりとしたまとまり方を嫌ったのである。そしてどちらかというと技術用語であった「建築」を、よりふさわしいものとして選んで、皆がそれに共感したのである(参考:現代語訳「アーキテクチュールの本義を論じて、その訳字を選定し、わが「造家学会」の改名を望む」)。「建築」は建て築くという動詞のみで構成された用語であり、主語も目的語もなくなってしまった。しかしその不在によって「建築」は社会で次々に現れてくる要素をドライブし、つないでいく述語として完成を見たのである。確かに造家より建築の方が、その駆動力において優れている。
石川氏は最終章においてランドスケープという言葉を総括している。その翻訳語としての造園に多少の愛着を感じつつも、伊東忠太のみが120年ほど前に気づいてしまった、身の回りの総合的な形成にむけて、彼の活動を移行させようとしている。その時に武器になるのは、石川氏がこの本でたくさん描き出した、風景を把握し、それによって環境をさらに形作る、行為としてのランドスケープである。それはここでの文脈で言えば、意識的に述語化したランドスケープである。石川氏特有のスケールの動かし方、ずらし方は、つまりランドスケープの動詞的側面なのだ。

彼はランドスケープを語るのみならず、書くことでランドスケープしている。

書誌情報
思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること 単行本(ソフトカバー) – 2018/7/20日発行
石川初 (著)、LIXIL出版発行、企画・編集 飯尾次郎(スペルプラーツ)
ISBN978-4-86480-038-9 C0052

1章 FAB-G(ファブじい)
100均の工作者
ハイブリッド石積み
サル追い装置
FAB-Gのスキル

2章 公園の夏
プレイヤーが見えるゲーム
ルールのレイヤー
地上の論理
公園の地割り
ローカルルールとしての例外条項

3章 農耕の解像度
里山古墳
農耕の解像度
遺存地割の解像度

4章 地形と移動
地形はどこにあるのか
地表の定義
見えない地形
地形を見るツール
移動すること、地図師になること

5章 ベンチの攻撃
震災時帰宅支援マップ
都市の登山地図
生存への移動
街路からの都市
ベンチと向き合う

6章 土木への接近
高速道路の表と裏
土木構造物の外側と内側
二つの異なる土木受容
団地に見る土木

7章 終わらない庭仕事
制度としての植物「造園」
行為としての植物「園芸」
都市の自然「雑草」
「園芸」としての庭
日曜大工の規範
「縁側」としての庭

8章 ランドスケープの思考
ランドスケープ・アーキテクチュア
造園
ランドスケープ
思考としてのランドスケープ

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「映画と大地の間にあるもの 『柳川掘割物語』その後」 雑誌『ユリイカ7月臨時増刊号 高畑勲の世界』に掲載されました。


雑誌『ユリイカ』の編集部から連絡をいただきました。逝去された高畑勲が監督した『柳川掘割物語』1987公開(DVDで発売中)について書いて欲しいとのことでした。

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恥ずかしながら全くこの水濠地域を描いたドキュメンタリーを知りませんでした。実は柳川にも行ったことがありませんでした。とりあえずDVDを見てびっくり。埋め立てられようとしていた掘割再生に関わる人々の活動を記録しているのですが、2月の寒い時期に行われる水抜き一斉ヘドロ掻き出し作業での地域の人々の様子などまさに格闘。また有明海を控えて干満によって毎日海面下に没する沼地を人の住むように灌漑した結果の特有の田園風景が記録されていました。え、こんな場所日本に残っていたのかと思い、教育的効果も高いため数名の志願学生と一緒に柳川調査を私たち自身も行いました。

テーマは、高畑が記録した地域活動や水濠の風景が今でも健全に残っているのか、変わったとしていたらどのように変わっているのかという変容調査です。高畑たちが記録した地域活動の大変さが今でも続いているのだろうか。その現在を見たかったわけです。

その結果は是非『ユリイカ』本誌にてご覧いただければと思うのですが、少し興味を抱いてくれるように以下余談を書いておきます。

まず泊まった旅館ですが、朝食用の座敷に通されるとそこに高畑勲が描いた色紙が同映画の撮影監督高橋慎二氏の色紙とともに長押上に乗っかっていました。いつものその土地らしい旅館を探すのが幸いして、どうやら高畑ら一行も泊まった旅館に最初から遭遇したようでした。こうなれば調査は早いもので、そのご主人に相談して、当時の関係者の方にもお会いしと、調査は縁の鎖を伝って行うことができました。(地元の旅館予約にネットで空きがありませんと言われても電話すれば少人数なら宿泊は可能なことが多いです)

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さいふや旅館の長押の上の高畑監督による色紙(ぶれています)

ヒアリングに協力いただいた、さいふや旅館の内山耕造様、旧柳川藩主立花家の立花民雄様、柳川市産業経済部水路課の松永久課長、三小田祐輔係長には示唆的なお話や多くの情報をいただきありがとうございました。立花氏によると地元の上映会で公開した時には上映時間4時間を超えていたと言います。さらにその前にはもっと長かったとも。今現在私たちが見ることができるのは2時間45分版にDVDでは22分の終章が付録に収録されていますが、これはまさに終章なので欠かさずにご覧ください。

 

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有明海の潟の様子です。生き物が今生まれているかのような風景です

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さいふや旅館の看板です

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旅館の横に併設されている喫茶室。確かに二馬力ぽいかも。

私が最後に感動したのは、柳川周辺の田園地帯の、初源的なため池をひきつぐ複雑な水濠の様子でした。柳川の体験は確かに地域教育に欠かせないと思いました。

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『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』が2018年日本建築学会著作賞をいただきました。


『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』(岩波書店2017)が2018年日本建築学会著作賞をいただきました。公式発表ページはこちらです。

受賞は、自分の苦労や喜びの内実が他者にも通じるものであったことが確認できるのでとても嬉しいことです。どなたかを存じ上げることはできませんが、今回の選評にとても励まされました。

これまでの比較建築史が、国家の枠組みや情報量に左右され、対象の選択が恣意的になりがちであるのに対し、本書ではプレート境界という地学事象を方法上の根拠にしており、社会的な恣意性が排除された斬新な切り口が提示されている。そもそもプレート境界に沿ってユーラシア大陸を横断するという試みを実践した建築学者は皆無であろう。言語も文化も気候も多様なこの地域を横断するという発想自体が驚異的だが、筆者は躊躇なく出かけ、余所者の入り込まない奥へと踏み込んでいく。生活に深く分け入るその体験に裏打ちされた叙述は、新鮮な発見に溢れた優れた比較文明論ともなっている。

本書は地球の地殻を構成しているプレート境界に特有な環境形成とそこでの建築文明や住文化との密接な関係を、現地訪問と文献調査を併せて報告した建築論的旅の記録です。

執筆の発端は東日本大震災発生一ヶ月後の被災地訪問からでした。土地が沈んだ現場に立ち尽くし、日本以外のプレート境界地域でも同じようなことが起こっているのだろうかと、ふと考えたことから始まりました。
その後様々な種類の地図を買い集め、日本も属するユーラシアプレートの境界が、東南アジア、インド、イスラム、地中海、アフリカの諸地域を横断しジブラルタル海峡にまで達していることを確認しました。にわか勉強を始め、古代文明の多くがプレート境界付近で発生していることにも気づき、破壊のみならず地殻活動の創造的側面を意識し始めました。プレートテクトニクスが新たな建築的意味を持って現れてきました。準備期間中に教えを乞いにいくと、無謀な計画を心配して同行してくれた先行研究者が複数登場しました。現地での会話は新たな発見に欠かせぬものとなりました。たくさんの記録をとりました。このブログにも途中、現地から送った記録などが残っています。

本書は、当方の思いつきをきちんとした活動に育ててくれたたくさんの人々や関係機関による、とうとい協力の賜物です。本書のあとがきにも書きましたが今でも思い出すのは、土地土地の激しい風景を一緒に経験したそんな人々の姿や声です。
そしてそもそも地球自体が人間に建築活動をうながした、大いなる建築活動であったことを身を以て知ることとなりました。

2-0-7. ヤズド(Yazd)周辺で撮影した山の景色。二つの山の円弧が繋がったカーブを構成している。.jpg

この活動の記録がこれからも特に若い人々に受け容れられ、読み続けられることを強く願っています。

以下に同学会からの求めに応じて作成した概要を置いておきます(途中現地動画あり)。

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「トマソンとまちを歩こう!」3学期第1回べてぶくろカレッジ2018年3月31日(土)開催!


街にひそむ無用の事物(=芸術の位相)を暴き出してしまった「トマソン観測センター」(創立約35周年!)が、精神障害や生きづらさを抱えた当事者の活動拠点・「べてぶくろ」主宰の講座にワークショップ講師として参加します。事物と人間内部の無意識を探索、共に生きる両組織がジョイントした歴史的快挙です。

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文京狭小純粋階段  撮影:鈴木剛

昨年べてぶくろより「何かまち歩きの…」と講座を依頼された時、瞬時にしてトマソン観測センターの方々の顔が浮かびました。打ち合わせを続け、本日だいたいこれでいいのではないかというタイムテーブルを組み上げました。

実施当日は、トマソン観測センター、中谷礼仁研究室、トマソン的視点を身につけたべてぶくろスタッフが参加者の方と街に出てトマソン物件の発見、そして設営会場にて品評会やディスカッションを行います。発見があるように無理せずゆっくりと時間を組む予定です。生きづらさを抱えた人もトマソンやべてぶくろ(浦河べてるの家)に興味を持っていたプロフェッショナル、芸術家の方もぜひご参加ください。

基本情報はリンク先をご確認の上、フォームにて申し込みください。30から40名ほどの催行人数にする予定です。http://www.bethelbukuro.jp/?p=1220

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真剣に当日プログラムを検討する講師の顔ぶれ(左より向谷地愛(べてぶくろ)、煙突に乗られたあの飯村昭彦(トマソン観測センター)、中谷、鈴木剛(同観測センター現会長)

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三者合意に達した時の記念写真です(撮影はべてぶくろ)。有料で人数に限りがあります。1日を使った長いセッションです。もうないだろう今回の企画、ご参加の上、是非みなさんで深い理解に達したいと思います。

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シンポジウム「野良道具/フィールド・デバイス 世界をつくる」 2018年3月10日(土)13:00-17:30


日本民具学会・道具学会・日本生活学会は合同シンポジウムをおこなっています。
今回は少し興味深いタイトルになりました。趣旨説明、登壇者、日時の詳細は以下をご覧ください。事前予約不要、入場無料、会員以外の方も参加可能です。20190310sympo2.jpg

●テーマ趣旨

野良道具/フィールド・デバイスは二つの意味を持つ。
「野良道具」という日本語は、大地に根ざした日常生活を具体化するための道具に聞こえる。
「フィールド・デバイス」と表現すると、それは野外における観察や計測に用いる器具のような意味が強くなる。いわば事物の客観化のための道具である。
それらは生活を具体化し、客観化し、そして世界をつくる両輪である。

2017年度の三学会共催シンポでは、生活に寄与する道具の使われ方のレンジを以上のように定め、様々な環境の中で用いられてきた、特色ある野良道具/フィールド・デバイスを紹介し、これからの生活空間と道具のあり方を探る。

●概要
進行は面矢慎介先生(道具学会会長)、特別講演に芸術、建築に造詣の深い石毛直道先生(文化人類学)を迎えます。
日本生活学会からは若手の松村悠子先生 (大阪大学大学院人間科学研究科 )が離島のエネルギー開発をレポートします。
日本民具学会の岩野邦康先生 ( 新潟市新津鉄道資料館・学芸員 )は稲刈り機と米生産の風景に焦点を当てます。
道具学会の高梨廣孝先生(元静岡文化芸術大学教授・プロダクトデザイナー)はオートバイを中心に据えて生活空間をはかります。精緻なオートバイの模型が複数展示される予定です。

テクノロジーの側面から生活を考えます。
http://lifology.jp/01/wp-content/uploads/2018/01/20190310sympo2.pdf

・基本情報

2017年度三学会(日本民具学会・道具学会・日本生活学会)共催シンポジウム
「野良道具/フィールド・デバイス 世界をつくる」
日時:2018年3月10日(土)13:00-17:30
会場:早稲田大学理工学部55号館N 1階会議室
入場無料・事前予約不要

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P.I.Lの45rpm,12in.LP “Metal Box”をOnkyo GS-1で再生する


実は趣味のオーディオ関係のブログを誰にいうこともなくたまに書いてきたのですが、最近あるアイデアを実行できました。その方法がやや実験考古学的成果になったので紹介させていただきます。同年代(1980年代初期)にそれぞれ限界を尽くしたレコードとスピーカーを組み合わせるという実験です。完全に趣味です。

P.I.Lの45rpm,12in.LP “Metal Box”をOnkyo GS-1で再生する

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2018年以降は、どう生きるか(どのように生活しうるか)をテーマに生きます


のら犬についてのスケッチ(連作)エッチング・1992年ごろ

迎春です。あけましておめでとうございます。

昨年は色々な大きなイベントを無事切り抜けることができました。
おかげさまで個人的にも「かたち三部作」(自分で言っているだけですが)のうち、環境のかたちをテーマにした『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』(岩波書店)を、うれしい番外編ですが『実況近代建築史講義』(LIXIL出版)を刊行することができました。

今年はかたち三部作の残り二作を公刊できる予定です。
ひとつは民家から未来の家族の器まで「家」というかたちを扱った『家 コンテクストを動かすかたち』(仮・インスクリプト)です。部分的にこのブログで公開しています。
もうひとつはジョージ・クブラー著『時のかたち』、人間が作り出してきた事物の時間史を芸術的(役に立たない)側面から、それも物理学用語、数学用語を駆使して描き出した名著“The Shape of Time: Remarks on the History of Things”1962の翻訳です(加藤哲広先生校閲・鹿島出版会)。
これで2000年以降にしぶとく続けてきた作業がほぼ全て公開されます。と同時に戦後を空間として重層的に歴史化する戦後空間研究会にも参加しました。

これまで都市・建築をめぐる無意識的前提に特化して作業をしてきましたが、これからはその知見を実践的に統合して、今後どう生きるかを自分の体や体験を通してさらに考えてみたいと思います。

千年村で会いましょう。都会の片隅で会いましょう。

 

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陣内秀信氏・連続講演(法政大学フォーラム)に参加します。11月07日


現在開講中の無料、一般公開の連続講演シリーズがあります。法政大学建築学科で行われている建築フォーラム2017「建築史の可能性への挑戦」です。来年3月に法政大学を退任する陣内秀信先生を中心とした連続フォーラムで、陣内先生の最終講義も建築フォーラムの最終講義として予定されています。11月7日火曜日の「都市・地域の古層、基層」の回に招かれました。

【法政大学建築フォーラム2017】
陣内秀信 連続対談+最終講義
毎週火曜18:30-20:30@法大市ヶ谷田町校舎5F

陣内先生と当方がそれぞれ40分ほどのレクチャーを行い、その後ディスカッションをします。講演タイトルは「私と『イタリア都市再生の論理』」としました。陣内先生の『イタリア都市再生の論理』SD選書はその後の自分の方法に深く影響を与えた一冊です。

当日はページ内の具体的な言葉と被った影響についてお話ししたいと思います。この週末にプレゼンを作り終えましたが、私自身の作業を初めて振り返ることもできてよかったと思います。特に後続の研究者の方は是非おいでいただき、ディスカッションに参加いただけると幸いです。

jinnaibook001.jpeg

以下、プレゼン作成中に参考にした、ネットに転がっている状態の過去の関連論文のリンクをお伝えしておきます。上の二本が『イタリア都市再生の論理』を読みながら書いたものです。

類型分析に基づく編年シミュレーションを用いた近代大阪長屋群の存続条件の分析(日本建築学会技術報告集 第16号,319−322,2002年 12月)

弱い技術について(日本建築学会技術 報告集 第18号 ,353−356,2003年 12月)

都市はたたる | 都市連鎖研究体
City, Haunted | Laboratory for Catenated Cities
掲載『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) pp.169-186

そのほか11月25日には、千年村プロジェクトの成果発表会とシンポジウム「千年村はいかに可能か」も開かれます。これについてもまた報告いたします。

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地質学からの便り 書評『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』が届く(伊藤孝/茨城大学)


『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』岩波書店、2017年3月について建築家の島田陽さんが、自らの旅行体験を重ね合わせつつ書評されています。

1000年後のBuildinghoodに参加する──中谷礼仁『動く大地、住まいのかたち』評

そして本日、雑誌『科学』連載中以来ずっと気になっていた地質学領域からの便りが届きました。書評です。
同書は建築の歴史を生業とする私にとって未開拓だった地質学にも触れた著作です。旅の途中でその必要性を強く感じにわか勉強をしたのです。こんなふうに全く新しい領域を対象とする時、先行研究に対しておおきな間違いをしている可能性があります。

そのため書籍化前に科学雑誌に連載させてもらい、特に地質学の専門家からお叱りなど受けられれば、後に反映することができると思っていました。しかし世の中そう甘いものではなく、目立った反応はありませんでした。書籍として恐る恐る世に問うたところでしたが、ようやく、それも本丸の日本地質学会の会報に同書の書評を掲載した旨、執筆者の伊藤孝先生からご連絡がありました。地質学会のご厚意でこの書評は一般公開となりました。

紹介 『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』・日本地質学会News 2017年9月号,4p.(書評がダウンロード(PDF)できます。)

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日本地質学会といえば、今から100年以上前の1893年に創立された日本の地球諸科学関連学協会の中で最大規模の学会。約3800人の専門家、実務家、学生、同好の士が所属しています。

伊藤孝先生は地質学、海洋地質学、地球化学、鉱床学が専門で、特にマンガン鉱床の時空分布,およびその地球化学的・同位体的特徴からみた地球表層環境史(リンク先より)の研究ということで、否が応でも想像がわきたつ研究領域です。

以前、千年村プロジェクトの千年村候補地マップ構築途中で、平安時代後期編纂の辞書『和名類聚抄』記載の郷名の比定地を空間プロットしていました。その最中、偶然、ベース地図を地質図にしてみた時の村落立地と地質図との深い関連を発見して地質に興味を持ちました。その時以来、ようやくここまでたどり着いたかという印象です。どうぞ今後ともよろしくお願いします。

 

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