大地・かたち・共同体–『未来のコミューン 家・家族・共存のかたち』が2020年度日本建築学会著作賞を受賞しました。


自分のブログでの報告を忘れていました。『未来のコミューン』が2020年度日本建築学会著作賞を受賞しました。日本建築学会著作賞は、「会員が執筆した建築にかかわる著書であって、学術・技術・芸術などの進歩発展あるいは建築文化の社会への普及啓発に寄与した優れた業績」に対して贈られるものとなっています。

学会による査読評→ https://aij.or.jp/images/prize/2020/pdf/4_award_005.pdf…

業績紹介→ https://aij.or.jp/jpn/design/2020/data/4_award_005.pdf

大地なければ建築なく、人いなければ建築の意味はありません。2011年の東日本大震災の発生は、私がよってたつ学問体系を根底的に問い直す機会になりました。

今の私にとって建築とは、人間や社会や環境に対し大きな影響と力を及ぼす、かけがえのない具体=有形であると思い至りました。

今回受賞した『未来のコミューン』では、かたち、そしてデザインには、社会もしくは共同体を生み出す力が存在していることを近代住居に内在する諸問題を渉猟しながら、その未来をも探偵小説のように一つ一つ明らかにしていきました。

これらはかたちによる共同体形成論とその吟味批判です。2018年度に同賞を受賞した『動く大地、住まいのかたち』では、地球活動と人間の構築活動との間に密接な関係があることをプレート境界にそった世界調査旅行を通してお伝えすることができました。これは建築のかたちを生み出す下部構造としての地球活動を初めて体系的に論じました。これら作業によって人間やその社会の持続には、具体的なかたちによる解決が必要であることを強調しました。

さらにこの二書に、1960年代に発表されたアメリカの美学者・考古学者であったG.クブラーの『時のかたち』鹿島出版会の共訳作業の出版(2018)を加えることで、私なりに、建築の有形の意義をささえる「かたち三部作」としました。以下の構造です。

大地・かたち・共同体

『動く大地、住まいのかたち』・『時のかたち』1・『未来のコミューン』

1)この翻訳が動機となって『セヴェラルネス+』を書きました。自分流クブラー読みです。

これらの作業によって東日本大震災後の、建築の居場所をみつけるための私なりの作業の一応の回答としたいと思います。そしてこの度の受賞をいただいたことを励みに、新しい空間的諸問題が山積みの新しい歴史上のフィールドにおもむいてみたいと思います。今回の審査に当たりご精読いただきました審査委員を始め、日本建築学会に心よりお礼を申し上げます。

インスクリプト刊、定価:本体3,200円+税
四六判上製 320頁
ISBN978-4-900997-73-8
装幀:間村俊一
装画:大鹿智子

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古・原生代のBuildinghood –19世紀末稠密高層都市誕生の深層


ここに上げた小論は、日本建築学会2019年度大会(金沢)の研究協議会「都市と大地、その可能態」において発表した論文集に掲載されたものです。現在、生環境構築史(Building Habitat History)という射程の広いグローバル・ヒストリー構築を遂行中ですが、その一編としてわかりやすいものと思ったので公開しました。
後半では、生環境構築史概念図をもとに、「構築3」の理念的萌芽期をあげると同時に「構築4」の出現をフランスの小説家・ジュール・ヴェルヌの足跡を元に検討しています。

生環境構築史は『現代思想』20203月号に、その宣言文を発表予定です。

1. はじめに

  • 原生代 25億年前から約5億4100万年前まで
  • 古生代 約5億4100万から約2億5190万年前まで

まず確認しておきたいのは次の点である。

・地球の活動は人類に先行する。
・地球は宇宙的時間と莫大なエネルギーが作り上げた構築的結果である。
・その惑星的結果を基盤として、人類がその大地に適合しうる生存様式を獲得した時のみに、その生活文化ひいては文明は発生した。
・それゆえに各地の生活文化文明の初源はその地域の環境条件との間に強い構築関係を結ぶ。

そもそもなぜ人はそこに住むのか。たとえばなぜ人は自然災害の多発地域においても住み続けてきたのか。それらの理由は一定ではないが、必ず存在する。つまり環境に対して自らの持続のために社会的構築をさらに加えてきたという事実のみは、あらゆる人類史における普遍である。
一方で、自然環境一般がその端緒から人間文明に調和してきたと見誤る時、人類が自ら生存可能な環境を環境条件と拮抗しつつ構築してきた推移を見失う。後述するが現代都市においてこの構築関係の歴史的推移は最大限に忘却される。その忘却をときおり揺り動かすのが、一般に「災害」といわれる地球活動である。そこで人類が生存可能な環境を構築してきた歴史的諸段階の意識的な検討を促すのが、「生環境構築史」(図7)という枠組みである。

当方の役割は、まずその史的構築様式成立の前提として、Buildinghoodという概念を提示することである。それは人類が持続可能な生存環境を自ら作り出すために大地から造り出した構法のことである(2節)。
さらにその現在的トピックとして近代における稠密高層都市を成立させた鋼鉄のBuildinghoodを検討する(3節)。現代建築家・コールハースの定義によるジェネリック・シティ[i]をはじめとして、現代都市は歴史を持たない突発的、超越的現象として語られやすい。しかしこれは一般史や技術史による近代把握を捨象した空間論的抽象である。そこに固有のBuildinghoodを見出した時、世界各地に湿潤しつつある稠密高層都市の歴史性ならびに地域性の限界が付与されよう。
以上の現在の構築様式にまで言及した上で、生環境構築の構築的諸段階と現段階をいったん明瞭化する(4節)。
その上で稠密高層都市の構築様式に連動した、文明を駆動させようとする観念の発達過程を試論する。特に19世紀を代表し、当時の自然科学理論を根拠に据えた作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の諸作品の推移とその特徴的な性格を扱う(5節)。

2. 大地からの構法 Buildinghood

Buildinghoodとは、ある地域の人々の生活の立て方(=Livelihood)の中で、その中心をなす空間の構法である(図1)。

Buildinghood

図1 大地・Buildinghood・Livelihood

それは大地の特性に大きく依存しているから、Buildinghoodは大地から見出された構法とも言える。そして空間の構築は人間の生活になくてはならないものなので、Livelihoodにおけるその存在意義は大きい。以前に私はこの考えに従って、主要な建造素材が持つ生産様式、主たる展開地、その時代について検討した[ii]。まずその概要を紹介したい。

2-1. Buildinghoodの気づき

実例を挙げる。プレートの褶曲運動の結果であるヒマラヤ山脈の麓に位置するインド・ウッタラカンド州の高山地帯の大地は、土と変成岩の層が交互にサンドイッチされ、何層にも反復していた。調査を行なった同地の一村・サトリ(saitoli)で家を建てるときは、人々はまず岩の層から石をほぼ人力で切り出す。プレート運動によって露出した岩盤はすでに地中で巨大な圧力を受けて結晶化しており、硬いが層状に簡単に割れた。その建材を直接積むことで切石による伝統的な組積造の家ができていた。さらに住宅建設後、岩盤下の土層がすでに露出しており、人々はそこにアーモンドや果樹を栽培して自足用食料の他に交換経済用の作物を栽培していた。

これはBulidinghood(建て方)とLivelihood(生き方)が最も強固に結ばれた事例であった。現在でも世界各地の集落の多くは、その近傍の大地を素材として利用して集落を作り上げている。その意味で集落とは大地をその皮一枚浮かして、そこに人間が住まうことのできる空間(あきま)を作ることと定義できる。その浮かせ方、要は空間を作る方法は大地が提供する素材によって大きく異なる。これが素材によるBuildinghoodの違いとなる。以下、代表的な、石、土、木についてその特徴をあげるが、関連要素が同時に文明発生の原動力にもなったことを注目したい。

2-2. 芸術をも産んだ石灰岩

石は、堆積岩、火成岩、それらが圧力や熱によって変性した変成岩に大別される。人類における空間利用の発生は風雨、河川、海流の侵食作用による横穴によって準備されたが、これを人類の主体的構築の側面より見た場合、空間の改変可能性が重要になる。その意味で人力による穴居住居は凝灰岩、シルト層などの掘削容易な岩盤層が主体となる(図2)。

さらに石を材として切り出し構築できる技術が進むと、その圧縮に対する力が期待されたが、一方で石梁のせん断に対する弱さは材の最適配置を意識させた。その結果シュムメトリアに代表される比例学が発生した。さらに人文芸術発展の土台となった石灰岩は最も重要である。石灰岩は古生代後期から中生代にかけての海中生物の遺骸の堆積海底がその後隆起して大地表面に現れたものである。骨の成分にも似た同岩は成形の容易さによって細部に至るまでの作業を可能とし、人文的彫刻の発生を促したのだった(図3)。

maymand iran

図2 メイマンド横穴住居、火山性堆積岩

persepolis

図3 ペルセポリスの壁面彫刻、石灰岩

2-3. 文字をも発明した土

土は地球の表面に露出あるいは隆起した各種岩石が風化し集積した結果の微細な破片の総称である。土は石に比べて二つの大きな違いがある。一つは採取場所であり、もう一つは構築方法である。土は山や段丘の侵食風化とともに、盆地、川沿いや、低地に開けた扇状地などに、沖積世(完新世)とよばれる、およそ1万年前からの大地のいたるところに堆積し地層化した。土は構築材料中最も遍在しているが、土を建築素材として用いるにはレンガという加工の発明を必要とした。土を型枠で整形し乾かし固めることで、組積することができるようになった。また焼成を加えれば、耐力は大幅に増した。レンガによる建築行為はジグラットの遺跡立地に代表されるようにメソポタミア周辺の低地で特に栄えたが、そこは同時に楔文字の発明地だった(図4)。

choga

図4 チョガ・ザンビール紀元前11世紀ごろ、レンガ

これは紀元前30世紀ごろ発明された。生乾きの粘土板に葦のペンを押し付けることによって達成され、重要文書はその後焼成された。土を原料とした「ノート」は無尽蔵であった。

2-4. 共同性を生んだ木組

木造において、単独的な作業で可能なのは、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱である。しかし柱を長期的に残存させるための石場立てや壁等の垂直材を形作るには軸組構造を発展させることが不可欠であった。それによって木造建築には他の材料に比して小規模な建設行為にも、複数の人間による共同施工が必要となった。この特徴は特にアジア周辺の地域共同体成立に大きく関係したと予想される。

2-5. 古代都市のBuildinghood

古代都市の普遍性を完成したのは紀元前後のローマ帝国であった。同帝国では侵略と各地の文明化を達成するため植民都市が現在のイギリス、東ヨーロッパ、地中海一帯、アフリカ北部にまで建設された。各都市では地域ごとに異なる大地条件を建設素材としながら、同種の機能を達成する技術活用がローマ帝国のBuildinghoodの真骨頂であった。石、土、木といった各地ごとの素材がそれぞれに動員された。特に火山灰由来のセメントと切石やレンガの残片を混ぜ合わせることで大規模構築体の建設を可能にしたコンクリート技術の発達は大きい。さらに船を並べて戦車を渡す仮設橋である舟橋の発明のように、小さい道具の組み合わせが機械を作り、さらにそれが連関し大機械を構築する技術連関を達成した。
これによって人類は古代までにBuildinghoodの基本的一覧を完成させ、特にローマ帝国による植民都市はヨーロッパ・イスラム地中海地方における文明発展の素地を用意した。その後、根底的なBuildinghoodが加わることのなかった状況を一変させたのが、産業革命を契機とする鋼鉄の誕生と建築におけるその大規模使用であった。

3. 稠密高層都市誕生のBuildinghood 古・原生代との邂逅

3-1. 鋼鉄による高層建築物、巨大橋の誕生まで

以降、鋼鉄による稠密高層都市建設のBuildinghoodを検討してみたい。
アナトリアでの発明当初より生産性の高い道具や武具に限定されていた鉄が、ヨーロッパで中国由来ともされる高炉法が確立された14世紀を経て、建築のBuildinghoodに突入してきたのである。地表からのみではなく地下に埋蔵されていた鉄鉱床を採掘し、そこから直接鉄を精錬しはじめた。鉄は炭素の含有量によっていくつかの種類に分けられるが、稠密高層建築の建設を可能にする靭性に優れた鋼鉄の大量生産はベッセマー法(1855)の確立による19世紀半ばに始まった。

その背景には19世紀産業革命という産業様式の大変更が背後にあった。R.J.フォーブスは『技術の歴史』(1950)で、産業革命の中心を冶金と蒸気機関に置いている。製鉄には鉄鉱石の取得とそれを精錬するための大量の燃料(木炭・石炭・コークス)が必要である。蒸気機関も、同燃料と機関自体を実現する鉄材を必要とする。これらの素材を得るための深部採掘は蒸気機関による地下からの揚水によって実現化した。そしてそれら「生産物」=消費財となった地球資源を各地に運搬するために、蒸気機関による鉄道が誕生した。それらを駆動するには巨大な資本運動が不可欠であった。つまり産業革命は技術開発・消費資源化された地球・大資本の三位一体化とその自立的運動によって成立した。冒頭において現代都市においてBuildinghoodの歴史的推移は最大限に忘却されるとしたが、それはこの産業社会を専一とした三位一体運動のもとにおいてである。稠密高層都市建設のBuildinghoodは以上のような産業革命様式の中心的位置を占めうる。

図1-12:マンハッタンの俯瞰写真 The U.S. Navy airship USS Akron (ZRS-4) flying over the southern end of Manhattan, New York, New York, United States, circa 1931-1933. Official U.S. Navy photo NH 43900

図5 ニューヨーク・マンハッタンの俯瞰写真 1930ごろ

稠密高層都市の到来を告げたのはアメリカにおける歴史的二大都市、シカゴとニューヨークであった。産業革命の三位一体的自動運動によって、鋼鉄という強い耐久性を持ちつつ自己形状を様々に変容、伸長させうる素材が、19世紀末には建造物が空を覆うまでに都市空間を構造化し始めた。1871年のシカゴ大火後、1884年に骨組みに鋼鉄製鉄骨を用いた初の高層建築建設(HOME INSURANCE BUILDING、1931年解体)を皮切りに、鋼鉄による高層都市建設はシカゴから本格化した。すでに前年の1883年、ニューヨークでは初めて鋼鉄を使用したブルックリン・ブリッジが完成していたことも重要である。この鋼鉄による垂直、水平の都市の進展は、稠密高層都市と大規模輸送交通とが一体であることを裏付けるものである。そのため稠密高層都市は特に水系、海辺に立地し、その傾向は現在でも変わっていない[iii]。大西洋に面するロング・アイランドにあるニューヨークはもちろん、北アメリカ中部に位置するシカゴも広大な五大湖の湖畔に位置し、19世紀末までの北アメリカ全体の交通、産業、交易の要衝であった。ニューヨークを作った主要人物の一人であるアンドリュー・カーネギーが鉄道王ならびに鉄鋼王であったことは象徴的である。彼は1872年に、当時鉄道幹線が集中していたペンシルバニア州のブラドック(Braddock)に当時最新の製鋼所を建設した。そしてミネソタ州には鉄鉱石鉱山を所有し、五大湖の輸送用蒸気船、炭坑とコークス炉、および石炭や鉄鉱石をペンシルベニアの製鋼所まで運ぶ鉄道も所有した。1900年までにカーネギー製鋼会社はイギリス一国よりも多くの鋼を生産したという[iv]。その製鉄所の作った鋼鉄が、河川、海、そして鉄道によって大都市に供給されていったのである(図5)。

3-2. 古・原生代のBuildinghood –19世紀末稠密高層都市成立の深層原理

しかし稠密高層都市建設のBuildinghoodは、先の革命的産業様式を体現するのみならず、特に大地=地球との連関の中でより全球的な特徴を含んでいる。それは採掘活動に代表される地球内部への人類の介入運動を検討することで初めて見いだしうるBuildinghoodである。それは地表上の資源のみによってBuildinghoodを作りあげてきた、従来からの集落や古代・中世都市が全く持ち得なかった遠大な時空的関係を含む。以下に説明する。

図1-13:古生代におけるカレドニア山地。元アメリカ東海岸、アイスランド、スコットランド、スカンジナビア半島が一列に並んでいた。作図:Woudloper, Wikimedia commonsより

図6 古生代(約4億年前)におけるローレンシア大陸付近。現在の北米東海岸、イングランド、スカンジナビア半島、北ヨーロッパの地縁性が読みとれる。

まず19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの製鉄/製鋼所はアメリカの東海岸のメイン州からバージニア州に集中している[v]。この偏在は稠密高層都市のBuildinghoodを作り出す地域性の存在を示唆する。北アメリカ大陸東海岸の同地域一帯は鉄の一大原料である縞状鉄鉱床を多く含むカレドニア、アパラチア山脈に属する約4億年前から形成された連続する山地に属している。現在、同地域はアイスランドを横断する大西洋中央海嶺によって遠く隔たっているが、実は現在の大陸配置が形作られる以前の4億年前には、その地域はイングランドを含む北部ヨーロッパと一体的関係をなしていた。つまり産業革命時に興隆し19世紀半ばまで世界一の鉄の生産量を誇った北イングランドそしてウェールズ地帯の大部分が同地域に連続し、そしてイギリスの製鉄業の興隆以前から世界的生産地であったスカンジナビア半島、そして北部ドイツもここに属していたのである(図6)。

さらに時空はさかのぼる。その地域において露出した鉄鉱床は、縞状鉄鉱床(BIF)と呼ばれる。30億年以上前、既に海は形成されていたが、海には鉄イオン(Fe2+)が大量に溶解し現在の成分とは全く異なっていた。その鉄イオンが、光合成を行う生物の誕生と増加によって、産出される酸素と結合し、酸化鉄を作り上げ、それが海中に堆積したのだった。そして海水中の鉄イオン全てが19億年前に酸化結合をほぼ完全に終了したのであった。つまり、19億年前に形成した鉄鉱床(原生代)、4億年前のプレート運動(古生代)によって形成され、地理的に切り離されていた地形が、各地における採掘産業の興隆によって、19世紀産業革命様式に資源場として再び連結された。そこは稠密高層都市のBuildinghoodをもたらした時空を隔てた最深部の大地だったのである。稠密高層都市を生んだBuildinghoodには、人類時間による地政では計り知ることのできない奥深い「地域」的連関性をその根底に宿している。それゆえに現代技術は時に生物としての人類を脅かすような奥深い危機を生み出すことにもなるのだ。

4. 消費資源としての地球誕生 現代都市を突き動かす大地のイデア

4-1. 生環境様式の構築的構想と構築3の特異性について

生環境構築史概念図 Tシャツ用 日本語

図7 生環境構築史概念図 作成)中谷礼仁、松田法子、青井哲人

以上によって稠密高層都市のBuildinghood分析を終えた。次に中谷、松田、青井が提出した「生環境様式史概念図」(図7)におけるBuildinghoodの位置付けについて検討してみたい。生環境とは、人類が主体的に獲得してきた持続的生存環境のことである。同図はその過程を段階的に構想したもので、地球運動と生環境構築の過程に0から4までの再帰的かつ階梯的段階を設定している。
まず人類史に先行する地球の自律運動を構築様式0(構築0)とする。その大地から人類持続のための生環境の各素材が発見され人類史が開始される段階が構築1である。さらに各地間での素材略奪や交易による水平的交換、集積が環境構築を拡張させるのが構築2である。産業革命以前までの生環境は都市を筆頭に概ねこの段階までに含まれる。しかしながら先に述べたように、産業革命様式が獲得した技術開発・大資本・消費資源化された地球の三位一体的運動は、大地が先行的に優越してきたはずの構築0を捨象し大地を資源として大量消費することで、自立した最適環境を獲得しようとする。現代技術に見られる地球環境からの自律/逸脱の志向が明瞭に顕在化するのが構築3である。同段階における先の三位一体的運動の進展にあっては、生環境の主役であった人類すら最終目的存在の立場から疎外される可能性がある。地球を離脱する宇宙開発、スペースコロニーはその際たる運動である。現代都市の成立基盤となっている稠密高層都市のBuildinghoodは、その最も一般的、代表的な生環境と考えることができる。加えて人体からはアレルギーなどの構築3活動からの様々なネガティブ・フィードバックが発現している。そこで人類を主体とする学的立場としては構築4を設定せざるを得ない。それは構築3の過度な自律を批判し、構築0との新しい平衡関係をもたらすBuildinghood=生環境の再構築を目的とすることである。それは構築3までの各段階が開発した諸技術の存在を批判しつつ、それを再活用するような生環境様式の偉大な変換、いわばグレート・ブリコラージュを必要としている。この作業仮説によって先行研究の再定義、相乗性ある領域発見、全過程を俯瞰した研究分野の配置が可能となる。そのためにこの論考で最後に試みてみたいのは以下の問いに答えることである。

人間が大地を宇宙空間における孤立した球体として認識し、さらにその球体が消費可能なエネルギー体であることを認識するためにはどのような観念構築が必要であったか?

4-2. ジオコスモスの誕生 コペルニクス・ケプラー・デカルト・キルヒャー・ライプニッツ

上記問いは未だ大地が宇宙に浮かぶ球であることを知らず、さらに地球が宇宙の軌道の一端を回る存在であることを知らず、さらに地球自体が膨大なエネルギーの集積であることを知らなかった状態の人類がいたことを考えれば、自明のことではないのである。そして現在の私たちも、以上のような「事実」を実感として直接知ることはできない。つまりこの認識は間接的客観として構築されてきたという意味で、大きく観念性を含む。おそらくこの観念の成立は地球資源の採掘と連動する構築3の進展と不可分であろう。鉄の大量生産は人類が掘削行為によって、隠された地球内部とのBuildinghoodを構築した証拠だからである。内部に高熱の核を持ち宇宙空間を旋回する球体としての地球、さらには伸張性に富む構築素材としての鉄を生環境素材の主原料として見出し得た時から、人類は観念的には宇宙時代に突入していたはずである。この未来のヴィジョンが、その後の人類の経済、建設、そして創作活動にどのような影響を与えうるのかは構築3のみならず4を構築するためにも極めて重要な問題である。

科学史家の山田俊弘は、17世紀以降の地球観の結実を、航海時代以降の全球的情報流入と新しい地図作成技法、ルネッサンス期自然科学革命により形成された総合概念として捉えた。それをジオコスモスと称して、その変容を概説している(2017)。彼によればルネサンス期にはドイツの冶金学者アグリコラ(1494~1555)の著作にみられるように、鉱山での観察を考慮しつつ「地下の自然学」というべき領域が開拓されていた。と同時にコペルニクス(1473-1543)による地動説、楕円軌道による惑星運行を解明したケプラー(1571-1630)らの成果によって惑星意識の獲得がなされた。その中でデカルト(1596-1650)が『哲学原理』(Principia philosophiae1644)において形而上学から、自然学を経て、地球論にいたる総合的体系を提示した。彼の統一理論において、地球は様々な形状をした粒子の各層によって構成された機械的地球構造として初めて図像化され、次世代の思考の枠組みを規定した。デカルトの想定した地球構造においては、地表は固体の層であり、それが下部の液体の層へ部分的に落下して海洋と山地の大構造ができたと推測された。

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図8 キルヒャー、火道 『地下世界』1678より

しかしながら彼は地表層の移動の原因となるエネルギー運動を指摘しえていなかった。一方で、博物誌家のキルヒャー(1601-1680)は『マグネス』(Magnes1641)『地下世界』(Mundus subterraneus1678)において地球の内部に形成力が存在することを、彼が遭遇したエトナ山の噴火の観察などから推論している。この地球内部に眠る熱源への着目は重要であり、彼の図も後の地球認識のヴィジョンの一つとなった(図8)。

両者を統一したのがライプニッツ(1646-1716)である。彼は当時の鉱山開発のための計画のために彼の思想を進化させた。特に地下空間を三次元的に把握する「地下の地形学」の構想は、資源探査と地球史の再現のために欠かせない検討であった。ライプニッツは『プロトガイア』(Protogaea, circa1691)を通じて、人類史が繰り広げられる大地が、有史以前の状態から辿った道筋を記述しようとした。これらのプロセスをもって山田は、デカルトからライプニッツにいたる地球論の系譜は、17世紀以降の自然科学が歴史時間を持つ存在として地球を再認識していく壮大な過程であったとする。そこにはデカルトによる「モデルの発明」の威力にくわえ、地理学の発展も見逃せなかった。これらが当時の鉱山開発と連動していたことも決して見逃せない。「ヨーロッパ人たちは、各地で古代人にも知られていなかった民族や事物に出会いながら、それらが自分たちの世界と同質の空間に属しているのを実感したに違いない。この均質な空間の意識が地表にとどまらず、一方では地下へ一方では展開へと投じられた」(同p.250)のである。上記山田のまとめにおいて本節4-1に挙げた問いかけの初期回答は導き出せそうである。

5. 地球の時空間を描き切る ジュール・ヴェルヌと19世紀自然科学そして構築4の兆候

5-1. 19世紀自然科学とジュール・ヴェルヌ

原子論(ドルトン1803)、エネルギー概念(ヤング1807)、分子説(アボガドロ1811)、電流の磁気作用(エールステッド1820)、鉄道システム(スティーブンソン1821)、熱力学(カルノー1824)、電磁誘導(ファラデー1831)、熱量(ジュール1843)、海王星発見(アダムス、ルベリエ、ガレ1846)、ダイナマイト(ノーベル1866)、元素周期表(メンデレーエフ1869)、4サイクルエンジン(オットー1876)、ラジオ波(ヘルツ1886)、X線(レントゲン1895)、電子(トムソン1897)、ラジウム(キュリー夫妻1898)、量子論(プランク1900)…。
19世紀の自然科学は、まさに先のジオコスモスが科学体系として詳細に解明されていく過程であった。そこでの発見は産業革命に直結した。フランスの小説家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)が初のSF作家として知られるその独自性は、彼がそのプロットの根拠を当時実在した自然科学論や実際の技術開発をベースに構築していたからである。気球旅行から始まる一連の作品が扱った分野を追っていくと、その驚異の旅が時間の推移を含んだ地球をめぐる4次元立体的な布置を持ち始めるのはまさに驚異である。さらに銅版画による魅力的な挿画によっていわば新古典時の建築界によるヴィジョナリーを地球規模で実現させたような趣がある。
アフリカ大陸を空中から横断し地形的貌をなぞる『気球に乗って五週間』(Cinq semaines en ballon1863) を皮切りに、『地底旅行』(Voyage au centre de la Terre1864) で地球内部の構造とエネルギーの存在を追求し、『地球から月へ』 (De la Terre à la Lune1865)と続編の『月世界へ行く』(Autour de la Lune1870) では、地球内部に掘り込んだ鋳鉄製の巨大大砲からアルミニウムの宇宙船を天空に打ち上げ、月を周回させ、地球に乗組員が無事生還するまでを描いた。さらに『海底二万里』(Vingt mille lieues sous les mers1870) では遁世的船長によって深海の様子が紹介され、『八十日間世界一周』(Le Tour du monde en quatre-vingts jours1873) では、当時の世界各地を連結する交通機関をシミュレートするという、当時の考えられうる限りの時空についての総合的なパースペクティブの描出を達成した。地底旅行など実現困難なプロットを優先させる場合、当時の科学認識とのずれも散見されるが、大枠の理論構築と実現化への腐心はヴェルヌの真骨頂である(ケプラーも世界初の月世界旅行小説(『夢』Somnium, circa1650)を書いているが、その内容は軌道説明が主であり、月までの到着は水で濡らした脱脂綿を鼻腔に詰めて精霊に連れて行ってもらうという割愛ぶりである)。最後に月世界探検・宇宙シリーズの最後にあたる『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous1889)を構築3のベクトルの行方を明瞭に示した作品として、難波した島で少数の文明器具をブリコラージュして生き抜こうとする人々のBuildinghoodとLivelihoodとを詳細に描いた『神秘の島』(L’Île mystérieuse1875) を、構築4的世界を描いた先駆的作品として紹介してみたい。

5-2.『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous,1889)の構築3的主体と地球消滅

前作『月を回って』から20年後に発表されたこの中編では、大砲によって月に「宇宙船」を打ち上げた大砲愛好協会であるガン・クラブが再び登場する。彼らは戦争の減少によって使用機会の少なくなった大砲を宇宙開発の原器として用いようとする協会だったのである(なんという構築3的慧眼!)。小説は彼らが「北極実用化協会(North Polar Practical Association)」という謎の組織を設立し、これまで全く使い道のなかった北緯84度以上の北極地帯を競売にて獲得するところから話が始まる。その隠れた目的は、赤道近くのキリマンジャロの中腹に巨大地下大砲を建設し、大砲発射の反動によって地球自体の地軸を動かすことであった。その直径は27メートル、全長600メートル、新式爆薬による18万トンの砲弾を射出する。これによって地球の傾いた地軸は太陽に対して垂直に回転するように矯正されることとなり、結果として北極地帯の氷が溶け同地帯に眠る石炭資源を取り出すことができるという全球的巨大開発計画が隠れていた(図9)。

CCI20190630_2のコピー

図9 『上も下もなく』(Sans Dessus Dessous,1889)挿絵

のみならずこの計画は、地球上の様々な地域の海抜や気候を大変更し、突発的な津波が各地の大都市を襲うことが告発によって判明したため、世界中から反対運動が巻き起こるが、計画は強行される。しかし計算者が地球外周を4万キロメートルではなく4万メートルと3桁間違えるという初歩的ミスを犯したことによって、結果は大失敗、地球は3ミクロン動いただけというのが結末である。正解の計算では、当初の規模の場合、大砲は一門ではなく一兆門必要だった。
ヴェルヌはこの小説をあくまでも幕間劇のようなスラップ・スティックに仕上げており、このあっけない結末も同様である。しかしながら補遺として初版版には「ごく少数の人が知ればよいこと」として、アミアンの鉱山技師であったA.バドゥローに依頼したその地球を動かす計算式を掲載している。つまりヴェルヌは意図的に計算を間違える(スラップスティックする)ことによってこの小説を一般書として成立可能とさせつつ、同時に地球自体を人類の選別覚悟でその環境を変更可能な状態と階級が存在しうる可能性を指摘しているのである。その後の地球では、大砲操縦の際にすでに四肢を多く損傷し、金属製の義手、義足をつけているガン・クラブのメンバーによる新しい宇宙冒険が待ち受けているのだ。以上のように同中編は、構築3における人類による構築0からの逸脱の可能性とその実現性を描いている。

5-3. 『神秘の島』構築4世界におけるBuildinghoodの素描

翻って『神秘の島』は彼が得意とした漂流小説の完成形である。南北戦争で捕らえられた北軍捕虜など年齢・人種・職業の異なる男性5名が気球を横取りするが、凄まじい嵐によって太平洋の孤島に漂着する。彼らの探索によって描かれる島は火山を備え、花崗岩で覆われ、部分的に石灰岩が露出し、侵蝕崖地、奥深い森林、地下水による沼などまるで地球の様々な環境が閉じ込められた小地球である。その島で漂流者たちは、一致団結し、かろうじて残った一本のマッチ、麦のタネ一粒、腕時計二つという極小な財産を様々に転用、拡張しながら、彼らがいた本来の構築3社会のBuildinghoodを再構築しようとする。しかしここはもはや「無尽」の資源や大資本を前提とした構築3様式の三位一体性は生み出しえない。その技術的な再活用、ブリコラージュがあるだけである。このプロットが同小説の構築4的兆候を明瞭に示している。

リーダー格である万能技師が島探索後に、いくつかの鉱物の破片を取りだし、次のように宣言する。

きみたち、これは鉄鉱石だ。こちらのは黄鉄鉱だ。これは粘土、これは石灰岩、これが石炭だ。みな自然のあたえてくれたものだ。ここまでが自然の仕事で、これからが人間の仕事だ。第1部12章(参考文献4より)

彼らは原始人ではなく生環境の構築様式を歩んできたポスト近代人なのである。腕時計のガラスを外し2枚合わせとし中に水を封入することで作ったレンズで火を生み出す感動的シーンから始まり、粘土からレンガが、陶器が、さらにはガラスの生産に成功する。アザラシの皮を用いたふいごで石炭と黄鉄鉱を組み合わせ、鉄を取りだし、各種道具を製作、それらを連結して機械を作る。滝から電気エネルギーを生み出し、硫化鉄から硫酸を取りだし、ジュゴンの死骸の脂肪と合わせてニトログリセリンを作り出す。このようにして5人は牧場、農場、水力エレベーターなどを構築していくのである[vi]。しかし孤島中央部の火山が噴火し、彼らの文明社会の再構築は二年続いたのち破局を迎える(図11、12)。最終的に漂流する彼らが救出されることでこの小説は完結するが、この結末の必然性はほとんどなく、ヴェルヌが描きたかった題材はあくまでも大地の先行性を基本条件にしつつ、絶滅の日まで人はどのように生きるべきかという生活態度の問題に尽きるのではないか。しかし登場人物をかなり単純化してしまった欠点は大きい。この小説の主役たちは統率の行き届いた男性グループであり、女性を含めてはいないし、障害者も、共存者としての動物も存在しない。しかし、その限界あるプロットの中でヴェルヌは人類が、構築1から3の間までに発明したBuildinghoodを主体的に再活用し、まさしく有限の一つの小宇宙(神秘の島)で構築4の生環境を建設する可能性を試みたように思えるのである。そしてヴェルヌにおける以上のような構築4への意識は原理3を反照する過程で、表裏一体的に同時に現れていたことは示唆的である。

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図11 アザラシの皮で製鉄用のふいごを作る『神秘の島』L’Île mystérieuse1875挿絵

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図12 神秘の島の消滅,『神秘の島』L’Île mystérieuse1875挿絵

5. まとめ

今後残された課題は、この〈神秘の島〉としての地球の登場人物に男性5人以外の複数の異質な存在を加えそのビジョンを再び描き切ることであろう。それについては今後の報告者のみならず私たち人類の今後の課題として残されている。

註にあげた以外の参考文献
1)R.J.フォーブス『技術の歴史』田中実訳、岩波書店、1956
2)山田俊弘『ジオコスモスの変容』勁草書房2017
3)ジュール・ヴェルヌ『驚異の旅コレクションII』石橋正孝訳、インスクリプト2017
4)同『神秘の島』上下、清水正和訳、福音館書店、1978

図版出典
出典なき限り全て筆者による。図5)The U.S. Navy airship USS Akron (ZRS-4) flying over the southern end of Manhattan, New York, New York, United States, circa 1931-1933. Official U.S. Navy photo NH 43900、図6)Woudloper, Wikimedia commons、図7)参考文献3より、図8、図9)同2より、図10、11)同4より

[i] “S,M,L,XL”, Rem Koolhaas and Bruce Mau,Monacelli,1998。「ジェネリック・シティは中心の束縛、アイデンティティの拘束から解放された都市である。ジェネリック・シティは依存性がつくり出す負の連鎖と訣別し、ただひたすら今のニーズ、今の能力を映し出すのみである。それは歴史のない都市だ。」1-6 ジェネリック・シティ(太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫2015)

[ii] 「Buildinghood 大地からの構法」『世界建築史15講」彰国社2019、『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』岩波書店2017

[iii] 世界中の超高層建築を7万件近くプロットしたINTERACTIVE SKYSCRAPER MAPS  http://skyscraperpage.com/cities/maps/を参照することによって、超高層建築の立地の基本条件を把握することができる。その特徴とはそのほとんどが海際に立地していることである。内陸にある場合もその周辺には必ず相応の大きさの河川が流れている。海も川もない立地は極めてわずかであるが、その少数例であるサウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)のスカイスクレーパー群を試しに確認すれば、その代役を一本の大きな幹線道路が担っていることがわかる。

[iv]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC(2017年3月31日閲覧)

[v] https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_iron_and_steel_industry_in_the_United_States(2017年3月31日閲覧)

[vi] この紹介部分は『ジュール・ヴェルヌの世紀』監訳私市保彦、東洋書林2009におけるあらすじ紹介をベースとした。

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XX空間のイメージ ネパール・カトマンズにて2019年4月から5月(その1)


2019年4月26日から5月7日まで、カトマンズのパタンにて建築家石山修武氏が提案している芸術学校White Mountain Moon Collegeの新設活動に立ち会いました。
おそらくフラーも参加していたBlack Mountain college から着想を得たと思われます。開校日はMoon、つまり太陰暦で決めるとのこと。氏からは当初レクチャー担当を打診されたのですが、そう簡単には済まないことは覚悟していました。おそらく学校のハードとしての実体はまだないのであろうと…

というわけで、最初はレクチャーにこぎつけるまで、開校のための示威活動としての市内の公共水場の清掃活動に参加して、日本人たちがなぜか街を掃除しているぞニュースに出演したりしていました。そのあいだも石山氏は以前に知り合った若い現地の画家が経営するボダナートのチベット難民地区にあるギャラリーに目をつけ、そこで準備レクチャーをすることを取り付けました。レクチャーは予定通り実現したわけです。(以降長文になります。)

さて、当初の打診の段階から、ネパールで何をレクチャーするかは決めていました。それは家から、そして女性性から、社会空間を設計し直すという提案です。なぜネパールでこの内容だったかには二つの理由があります。

XX空間への興味
一つは、女性性への着目です。2013年2月、プレート境界の旅の途中に訪れたカトマンズ市内で同地の住居形式に触れて以来、家が持つ社会への能動的な役割に興味を持っていたからです(ブログ内リンク1リンク2、参照:「溜まる街 カトマンズ盆地にて」『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』2017)。現地名でヴィハール(Vihar)というその伝統的集住ユニットは氏族(toli)ごと、中庭を囲繞するように建っています。過密化した都市の中ではその氏族の空間の私有関係は立体化し複雑化しています。往来に面するヴィハールには、ほぼ例外なくその一階が間口の狭い各種の店が付加されています。裏にあるヴィハールでは店の代わりに何らかの仕事場になっています。
さてその住居をめぐって、滞在中、特にベルの実との結婚(Ihi)という、カトマンズの主要民族であるネワリ族の少女に特有の儀式について興味を持ちました。それは少女が家の中庭で、ヴィシュヌ神の化身であるベルの実と象徴的に結婚するものです。これは少女とその出身の氏族の共有空間を代表する中庭が紐付けされるということに他なりません。これによって後の男性との結婚は相対化され、彼女とその出身家の関係は維持されるという巧妙な役割があると感じていました。そのほかにもカトマンズの居住形式には女性性が高位についている所作があります(次回に紹介予定)
もう一つは、家の社会的役割です。近著『未来のコミューン』(インスクリプト、2019)の結論部分で私はこう書きました。「家、社会がそれぞに含む要素の境界は注意深く再定義しうる。なによりも自らが望むべき両者の平衡状態に向けて、形とコンテクストの閾をほぐし、あきらめずに境界線を見いだし、再び集合し、新しく空間を確保すること。これが未知の「家」、そして未来のコミューンである」(p.256)と。
つまり家は通常、特に日本の都市部では、私的なものとして社会から分離しているように見えます。しかしながら都市の風景を見るとき、その空間を実体的に構成するのは集合住宅も含めた家、居住の割合が半分以上なのではないでしょうか。公共建築が提供する公共空間の他に、家から発する公共空間が潜在しているはずです

女性性、そして家から生まれる公共空間の性格を検討することは、この数年私が常に抱いてきたテーマの一つでした。そのシナリオはネパールを発つ前に発表済みでした。

 例えば次のような建築提案はわかりやすいだろうか。プロジェクト名はXX建築である。 XXは女性性を示す染色体記号である。その建築の目的は女性の活動・生存様式を優先してあらゆる社会的建築、空間のデザインを作り変えることだ。一方で現在の社会を構成するかたちは男性=XYを主体として構成されている。現在のオフィスは、家内制手工業から離れ、産業革命以来の産業建築の派生物である。その建築の中で人は性や死を権利として行使することはできない。産業建築は人間の生物的側面を排除するために作られたのであり、その理想は「二四時間営業」である。その目的のためにはXYの活動・生存様式の方が都合がよかった。それゆえ不可避的に月一の中断を持ち、妊娠と出産の契機を持つ女性性が登場するには、XY+Iのオプションとしてでしかありえなかった。あきらかに活動機能の種目の多いXXが、少ない XYのふりをしなければならなかったのだ。しかし今ここで社会の活動原理をXXから始めたらどうなるだろう? すると社会には中断の時間があちこちで頻発するようになる。そうすればおそらく社会構造は根底から変更される。(「未知の家から見える風景・XX」『文学界』2019年4月号)

結果的にこのレクチャーにおいては、女性性の部分まではディスカッションが深められませんでした。しかしながら家から発生する社会的空間のメカニズムについてはある程度その骨格をつかんだと思います。

レクチャーまでに準備したもの
日々方針や条件が変更される中での発言の方法には臨機応変の準備が必要とされます。言葉だけからプロジェクター環境が整備されるまで、いくつかの段階を見越して現地で準備しました。以下がその内容です。

1)ベルの実の実物を獲得
まず私がある程度カトマンズの市内居住の内実を知っていることを示すためにも、ベルの実との結婚についてのディスカッションが必要です。そのためにはまず私が見たことのない本物のベルの実を手中にすることが必要です。最初ゲストハウスの主人いわくの家に残っているはずの実を探し出してくれるのを期待していましたが結局見つからず、マーケットで探して買ってきてもらいました。一個60ネパールルピー。既往研究通り、柑橘系の硬い実です。この中の果汁はいつまでたっても腐らないことからベルの実が象徴的に用いられたのだとのこと。

2)主張内容の現地フライヤー作成
次に、石山氏の機嫌のいい時(朝)に当方のレクチャー内容を一発で了解させるために、心のこもった主張書を日本語で書きました。氏はじっくり読み込んで、予想外の無条件オッケーを出しました。今回のメイントピックにするとのこと。すかさず、日本語のできるゲストハウスのマスターにお願いして、手書きで翻訳してもらい、それを現地のコピー屋さんでコピーし、最低限の資料はこれで完備させました。マスターは日本語教師のところにまで出向いて、正確な翻訳を期したとその紙を当日渡してくれました。パタンのMahabuddha guest houseは日本語完全対応です。安心して宿泊してください。

3)当日までに現地で集めた風景素材
さらに聴衆に納得してもらうには、とりあえず当方が現地を数日間は歩き回って素材を探したことを示すことも重要です。東京に外国の先生が来て、「新宿から学ぶ」とか言って、ネットから拾ってきたネオンサインの写真一枚をイメージに出していたらちょっとげんなりします。あれを回避したいと思います。実際に現地で街を歩きつつ考えをまとめたのでその時の写真をいくつか用意し、その風景がXXか、XYかを検討してもらうのに使うことにしました。

4)プロジェクター用プレゼンテーション
プレゼンテーションには、ライブ感も必要というか、どうしてもそうなってしまうので、作図の難しいところはノートに手書きして、それをスマホで撮影して、プレゼンテーション内に落とし込みダイアグラムを作成しました。

次回はレクチャー当日のプレゼンテーション内容について報告したいと思います。(つづく)

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なぜ家は存在するか、『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』1月25日刊行


未来のコミューン_オビなし

装幀 間村俊一、挿画 大鹿智子
定価:本体3,200円+税
四六判上製 320頁
ISBN978-4-900997-73-8

かたち三部作」の最終巻の公刊が目前となりました(2019年1月25日、インスクリプトから)。本書は「なぜ家は存在するか」についての検討から始まり、共同体を生み出すかたちの力について検討したものです。これでクブラー『時のかたち』の翻訳経験を経て、外環境としての地球の大地から、内環境としての人間、そして彼らを守る器、取り巻く社会までの見取り図を描いたつもりです。『未来のコミューン』について、「あとがき」ほぼ全文を以下に掲載することにしました(出版社による案内にあるように、近代的共同体についての「めくるめくプロファイリング」を展開しています。興味を持たれたら是非ご入手ください)。

あとがき

生きることとデザインをすることはつながっている。 より正確にいうと、生きることを続けようとすることと、身の回りのかたちを調整し、そこに適当な役割や意味を与えようとすることは、必ずつながっている。その最もみじかな人類の成果が、人間を守る器としての家であった。 本書では家に不可避的に生じてしまう様々な事象を具体的にあげた。そしてそれらを生み出す家の構成を露わにするために、その生物的、社会的、歴史的意義を私の経験的回路からまず再検討しようとした。

まず、このような家の構成に気づいたのは、第一章・化モノの家で論じたように日本の伝統的民家における暗い部屋─ナンド─の特殊な役割を知った時であった。それは家屋形式が全く違うインドネシアの高床住居にも通底する構成であった。ここで大事なことは、初源的な家の構成は、もとより普遍的であるため、将来においても必ずそれは様々な事象を出現させることである。本書はそのような気づきからはじめられたが、完成には予想以上に長い月日がかかった。というのも、書くことによって出現する新たな意味の進展に私自身が戸惑い、その咀嚼に時間がかかったからである。

第二章・神の子の家は、説話「三匹の子ブタ」たちが選択した家を建てる素材の順列(藁、枝、煉瓦)に対する素朴な疑問から始まった。そして同話の複数の歴史的ヴァージョンを渉猟する中で、この話にはある時期に、前近代と近代以降それぞれの家が意味を違えるところの決定的な徴が刻まれていた。これは決して予想しえなかった結論であり、さらにその結末で次章三章における近代住宅成立の最も具体的な条件の導出という課題が現れた。このように、家の構成に検討を加えることで、さらに新しい構成的問題が出現するという継続的なプロセスで本書は書き進められた。

これら作業と並行して、私の運営する研究室ではウィーンの建築家アドルフ・ロースによる全論考の翻訳プロジェクトが進んでいた。その過程で彼のテクストに、生活空間に対する同様の構成的意図を見出したことは幸いであった。二〇世紀初頭に「装飾と犯罪」を発表、装飾を弾劾し近代建築の立役者になったはずの彼の論考は、むしろ生活一般の律し方としてのデザイン全体を論じていた。そのなかで、時にはその背景となるヨーロッパ文明の根幹が鋭く語られていた。ロースの論考の射程を論じた第四章によって、近代以降の住宅に過去から変わらずに内在している課題群が筆者の前に湧き上がってきた。 これら検討領域の広がりは、近代における家を構成する要素についての、その外延をさし示すこととなった。家の追求が、ロースというヒンジで一転し、家の外部に向かっていくことになった。この経緯が、最終的な書名を「未來のコミューン」とした理由である。家と「未來のコミューン」との関係の定義は二五六頁を参照していただきたい。

それ以降の第五章からエピローグまでの四編は、その重要な課題群に向かいあった結果である。 第五章は空間論である。フリードリッヒ・エンゲルスによる一九世紀労働者住宅街レポート、二〇世紀初頭に実現した田園都市、オルダス・ハクスレーの近未来小説までを援用し、それらの知られざる接線を発見しつつ、予測された近未来の社会像とその時空間の構造を描いた。それはいまだに到達可能なディストピアとして現前している。

第六章は共同体論である。成員の維持方法を共同体成立に関わる根源的問題として見出した、近代アメリカの宗教的コミューンを扱った。その活動をハンナ・アーレントの言う人間の「はたらき」─labour, work, action─の三階梯の視点から見直すことによって、彼らの特異と思えたふるまいから逆に人間活動の普遍的構造を導き出した。

第七章、エピローグは住み方のデザイン論であり、家の範疇の再組織化を検討している。家は人々の生を守るべきものである。その極点を精神医学者R・D・レインらが組織した「反治療施設」であるキングズレイ・ホール前後の活動に見出し、その射程を論じた。レインらは、人間特有の「病」発生の場所を社会と個人の境界に位置する「家族」に見出したのだが、その意味を初期のクリストファー・アレグザンダーが論じたかたち─コンテクスト論から検討し直している。

そしてエピローグは治癒の場所の批判的回復を、べてぶくろ という具体的な場所での経験を通じて試みたのである。結局それらが本書で提出することになった、未来のコミューンにむけての基本プロットになっている。

ひとつひとつ謎を解くように書き進めてきた各章は、ふりかえってみれば断片的なデモテープの集積になってしまっていた。当初の目的もみるみる変化し、それらは自分にとって制御の難しいデーモニッシュな存在となっていた。これらを公にするにあたっては第三者の的確な批評が必要になっていた。私はその役割を、インスクリプトの丸山哲郎氏に求めた。
氏の承諾を受け、書籍化のための作業が開始された。断片的なテキストに対する氏の批評は容赦なく、その独善や欠落や飛躍を指摘してくれた。その結果として当初のテキストは真に大幅に書き直され、さらに有意で決定的な加筆で縫合された。『未来のコミューン』という本書のタイトルもまた加筆作業中の賜物である。彼の協力がなければ、おのれの活動の身の丈を明らかに超えている本書を公開する勇気は生まれなかった。…

なお、初出一覧は以下となります。リンクのあるものはその初期の論文の全部もしくは一部が読めるようになっています。あとがきでも特に記したように、一冊の書物にまとめるために、編集者の厳密な査読協力を得て、いずれも大幅に改稿、加筆しました。

イントロダクション  家の口  『現代思想 柳田国男特集』2012年 09 月所収「常の民家の際にて」を改題

第1章  化モノの家   10 1No.50, 2008年所収「化モノ論ノート」を改題

第2章  神の子の家  『d/sign』No. 18, 2010年所収「三匹の子ブタの家」を改題

第3章  パイピング建築論 家における聖と俗  『d/sign』No. 18, 2010年「家の食道」を改題

第4章  装飾と原罪  『d/sign』No. 17, 2009年「装飾という原罪」を改題

第5章  科学から空想へ  Nakatani Norihito’s Blographyにてヴァージョン1を公開、2012年 10 月 26 日

第6章  大地を振りはらうこと  Nakatani Norihito’s Blographyにてヴァージョン1を公開、2015年 04 月 05 日

第7章  家 コンテクストを動かすかたち  書き下ろし

エピローグ  庭へ続く小径  書き下ろし

主な参照文献は以下の通りです。

 柳田国男「民間些事」『定本柳田國男集』十四巻、筑摩書房、一九六九、今和次郎『日本の民家』岩波文庫、一九八九(初版一九二二)白茅會編『民家圖集』洪洋社、一九一八(古川修文・永瀬克己・津山正幹・朴賛弼編『写真集よみがえる古民 家│緑草会編『民家図集』』柏書房、二〇〇三)内田隆三『柳田国男と事件の記録』講談社選書メチエ、一九九五、柳田国男『山の人生』一九二六『定本柳田國男集』四巻、筑摩書房、一九六八 、柳田国男『故郷七十年』一九五九『定本柳田國男集』別巻第三、筑摩書房、一九七一、柳田国男『遠野物語』一九一〇『定本柳田國男集』四巻、筑摩書房、一九六八、Roxana Waterson, The Living House—An Anthropology of Architecture in South-East Asia, Tuttle Publishing, 2009邦訳:ロクサー ナ・ウォータソン、布野修司監訳『生きている住まい─東南アジア建築人類学』学芸出版社、一九九七、佐藤浩司「建築をとおしてみた日本」『海から見た日本文化』〈海と列島文化〉 10 巻、小学館、一九九二、大河直躬『住まいの人類学─日本庶民住居再考』平凡社、一九八六、 R. H. Barnes, Kédang: A Study of the Collective Thought of an Eastern Indonesian People, Clarendon Press, Oxford University Press, 1974、宮本常一『日本人の住まい─生きる場のかたちとその変遷』農山漁村文化協会、二〇〇七、 鈴木棠三『佐渡昔話集』民間伝承の会、一九三九 柳田國男編『佐渡昔話集』〈全国昔話記録〉第一編、三省堂、一九四二、関敬吾編『日本昔話大成』四巻「本格昔話三」角川書店、一九七八、太田邦夫「空間の虚構」『新建築』一九六七年七月号、English Fairy Tales, Collected by Joseph Jacobs, Illustrated by John D. Batten, London, David Nutt, 1890、新宮輝夫「「三匹の子ぶた」について」『三匹の子ぶた』講談社、一九九九、谷本誠剛「『三匹の子ぶた』のお話─昔話と児童文学」日本イギリス児童文学会編『英米児童文学ガイド─作品と理論』研究社出版、二〇〇一、Domenico Giuseppe Bernoni, “Le tre ochete,” Tradizioni Popolari Veneziane, 1873. 英語訳:Thomas Frederick Crane, The Three Goslings, Italian Popular Tales, 1875、 大竹佳世「近代における《家を建てる》根源的意味に関する研究─三匹のコブタ・バベル・コルビュジエ」 平成一七年度大阪市立大学建築学科中谷研究室修士論文、Anthony Quiney, House and Home—A History of the Small English House, British Broadcasting Corporation, 1986, 邦訳: アンアンソニー・クワイニー、花里俊廣訳『ハウスの歴史・ホームの物語(上)─イギリス住宅の原形とスタイル』〈住まい学体系 067〉、 住まいの図書館出版局 、一九九五、ロジェ= アンリ・ゲラン、大矢タカヤス訳『トイレの文化史』筑摩書房、一九八七、白井晟一「住宅思言」『新建築』一九五三年一一月号、白井晟一「無窓無塵」『無窓』筑摩書房、一九七九年、初出『婦人之友』一九七七年五月号、白井晟一「虚白庵随聞」「白井晟一研究」企画編集室編『白井晟一研究I』南洋堂出版、一九七八、岡崎乾二郎「建築が思想を持つ条件」『建築と日常』 No. 1、二〇一〇 、アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳「装飾と犯罪」『にもかかわらず』みすず書房、二〇一五、 アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳「女たちのモード」『虚空へ向けて』編集出版組織体ア セテート、二〇一二 、アドルフ・ロース、鈴木了二、中谷礼仁監修、加藤淳訳『ポチョムキン都市』みすず書房、二〇一七、ゲオルク・トラークル、中村朝子訳『トラークル全集』青土社、一九八七 エルヴィン・マールホルト、田中豊訳「人間と詩人ゲオルク・トラークル」http://appleorange.cafe.coocan.jp/ 、オットー・バージル、田中豊訳「自己証言と写真記録の中のゲオルク・トラークル」http://appleorange.cafe. coocan.jp/ 、ハンス・ペーター・デュル、藤代幸一、三谷尚子訳『裸体とはじらいの文化史』法政大学出版局、一九九〇、バーナード・ルドフスキー、加藤秀俊、多田道太郎訳『みっともない人体』鹿島出版会、一九七九 、上野千鶴子『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』平凡社、二〇〇二、ミシェル・フーコー、渡辺守章訳『性の歴史I 知への意志』新潮社、一九八六 、フリードリヒ・エンゲルス、武田隆夫訳『イギリスにおける労働階級の状態』〈マルクス・エンゲルス選集〉二巻、 新潮社、一九六〇、フリードリヒ・エンゲルス、戸原四郎訳『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫、一九六五、 ルイス・モルガン、荒畑寒村訳『古代社会』彰考書院、一九四七、 エベネザー・ハワード、長素連訳『明日の田園都市』鹿島出版会、一九六八、 上野千鶴子『家父長制と資本制─マルクス主義フェミニズムの地平』岩波現代文庫、二〇〇九、オルダス・ハクスリー、松村達雄訳『すばらしい新世界』講談社文庫、一九七四、伊藤杏奈、中谷礼仁「SF小説『すばらしい新世界』(一九三二)とイギリス近代都市計画の近親性─エベネザー・ ハワードとパトリック・ゲデスを対照として」二〇一二年度日本建築学会大会梗概、オルダス・ハクスリー、中村保男訳『永遠の哲学』平河出版社、一九八八 、オルダス・ハクスリー、河村錠一郎訳『知覚の扉』平凡社、一九九五、パトリック・ゲデス、西村一朗訳『進化する都市』鹿島出版会、二〇一五、 今和次郎「都市改造の根本義」日本建築学会編『建築雑誌』一九一七年一月号、村田充八『コミューンと宗教─一灯園・生駒・講』行路社、一九九九、 カント、小倉志祥訳「人間歴史の臆測的起源」『カント全集』一三巻、理想社、一九八八、 Howard Mumford Jones, O Strange New World: American Culture—The Formative Years, Viking Compass, 1964、ロバート・N・ベラー、松本滋、中川徹子訳『破られた契約─アメリカ宗教思想の伝統と試練』新装版、未來社、一九九八、 ハンナ・アレント、志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房、一九九四、マックス・ウェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、一九八九、荒井直「「労働」観─キリスト教文化と古代ギリシア」『山梨英和短期大学紀要』30, 17-35, 1996-12-10、藤門弘『シェーカーへの旅─祈りが生んだ生活とデザイン』住まいの図書館出版局、一九九二、穂積文雄『ユートピア西と東』法律文化社、一九八〇 Everett Weber, Escape to Utopia, Hastings House, 1959、岡崎乾二郎、中谷礼仁「発明の射程」『 10 + 1』 No. 15 、INAX出版、一九九八、倉塚平『ユートピアと性─オナイダ・コミュニティの複合婚実験』中央公論社、一九九〇、 バートン・H・ウルフ、飯田隆昭訳『ザ・ヒッピー─フラワー・チルドレンの反抗と挫折』国書刊行会、二 〇一二、 エド・サンダース、小鷹信光訳『ファミリー─シャロン・テート殺人事件』草思社、一九七四、 Janice Holt Giles, The Believers, Houghton Mifflin Company, Boston, 1957、クリストファー・アレグザンダー、稲葉武司訳『形の合成に関するノート』鹿島出版会、一九七八、橳島次郎『精神を切る手術─脳に分け入る科学の歴史』岩波書店、二〇一二、山本貴光、吉川浩満『脳がわかれば心がわかるか』太田出版、二〇一六、立岩真也『造反有理─精神医療現代史へ』青土社、二〇一三、 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、宇野邦一訳『アンチ・オイディプス─資本主義と分裂症』(上下) 河出書房新社、二〇〇六、フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳『分子革命─欲望社会のミクロ分析』法政大学出版局、一九八八、フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳『精神病院と社会のはざまで─分析的実践と社会的実践の交差路』水声社、 二〇一二、 R・D・レイン、阪本良男、笠原嘉訳『家族の政治学』みすず書房、一九九八、 R・D・レイン、A・エスターソン、笠原嘉、辻和子訳『狂気と家族』みすず書房、一九九八、 R・D・レイン、村上光彦訳『結ぼれ』みすず書房、一九七三、 Dominic Harris, The Residents, published by author, England, 2012、門眞一郎「キングズレイ・ホール異聞」『精神医療』一三巻三号、一九八四、 ジョゼフ・バーク、メアリー・バーンズ、弘末明良、宮野富美子訳『狂気をくぐりぬける』平凡社、一九七七、 クリストファー・アレグザンダー他、平田翰那訳『パタン・ランゲージ─ 環境設計の手引』鹿島出版会、一 九八四

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賀頌・かたち三部作仕上がりました


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あけましておめでとうございます。かたち三部作(自分の中での企図ですが)がようやく仕上がりました。

『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』2017年岩波書店では、プレート境界上の動く大地のなかの住まいのかたちを報告しました。

『時のかたち 事物の歴史をめぐって』(G.クブラー、1962刊)2018年鹿島出版会は、頓挫していた翻訳プロジェクトがようやく日の目を見たものです。

『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』2019年インスクリプトが刊行の運びとなりました。家に込められた近代的課題の解読を中心とした共同体論になります。

いずれも長い時間がかかったものですが、途中で東日本大震災後の状況を色々感じつつ、かなり深掘りをした作業になりました。後半二作について紹介します。(*と思ったのですが、以下長くなったので『未来のコミューン』については、また日を変えてしっかりと紹介させていただきたいと考えます。→書きました。)

人間が作ったあらゆる事物のかたちのシークエンスによって歴史の新しい記述方法に挑んだ『時のかたち』(1962)の邦訳は公刊済みです。この本について、なぜ解題を書かなかったのか、なぜ訳注が極端に少ないのか?という質問をいただきましたのでお答えします。翻訳書刊行に向けての交渉時(2005年ごろ)において、クブラーのご遺族から翻訳について様々な条件が付されました。実現が難しい注文もあり、これによって邦訳刊行はいったん頓挫しました。その後、著作権管理がイェール大学出版局に移行することによって、ようやく2015年ごろから刊行作業が事務的に動くことになりましたが、今回の刊行にあっても以前の条件の一部(解題、訳注の禁止)は動かしがたかったというのが実情です。まずは相応に妥当性のある翻訳の公開をめざしました。精訳においては加藤哲氏に本当に懇切にご指導いただいたこと、多くの訳注を削らざるを得なかった共訳者の田中伸幸氏の並々ならぬ苦労と無念をねぎらわずにはおれません。解題ではないのですが、私自身は『セヴェラルネス』2005、そして授業の建築史の内容(『実況 近代建築史講義』2017)がクブラー読みの結果としての間接的な産物でした。そのほかに三中信宏・中尾央編『文化系統学への招待文化の進化パターンを探る』2012において明治期工匠たちによる折衷建築・擬洋風(これは好適な題材!)をクブラーの系統年代(systematic age)理論で分析しました。なおクブラー自身がこれまでの批評に答えるかたちで、1982年に以下の小論を発表しているので、同書の基本的な疑問点を検討するのに役に立つと思います。(The Shape of Time Reconsidered”, Perspecta: The Yale Architectural Journal, vol. 19, pp. 112-121

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この本は読者の興味や状況に応じて、千変万化の効力を発揮します。今回私が最も興味があったのは素形物(prime objects、事物のシリーズの最初の位置に置かれる決定的な作品、「発端物」という訳も考えた)の生まれ方です。それは結局事後的に見出されるのではないかという批判が当然予想されるからです。個人的な読みではクブラーはそれをまず偏流(drift、サピアによる言語学用語, pp.122-特に124)+変異体(mutant, p.88)の組み合わせでクリアーしようとしたように思います。特に偏流は(本書の途中から出てくるにしては)重要な概念で、クブラーは私たちの格別の創作意識には関係なく、かたち自体が持つ周期的変化と説明しています(追記:少し筆をすべらせれば、伝言ゲームのような模倣過程による必然的なずれの発生をイメージします。もう少し言えば、模倣の飽きに由来するヴァリエーションの発生とか-招待状を沢山書かなければいけない書記が送ったその知られざる微細なヴァリエーションというクブラーの例えはとても面白いです。p.148)。その変化は系統に編年があることの裏付けであり、考古学的出土品の形態比較による年代判定(cultural clock)を思い起こすとよいかと思います。それはしばしば意味解読の際には余計な雑音や、通奏するうなり(ハム)にもなるわけですが、そのうなりが特定の閾を超えた時、伝達情報の組成に変異が生じて、チューニングがピシッと合ったように人々に対してその形態の意味が構成し直される時があると私は考えます。「内容+ハム」(単なる周波数の重なり)が「新しい内容」(有意な音)として同期し受け止められるプロセス、これprime objectsの誕生ではないのかな、と思います。クブラーのパルテノンprime object説(pp.90-92)を読むとその思いを強くします。そしてこれは事後的というよりは、そのつど、諸作品との生きた比較行為を通して、次代の制作者が抱いた過去への挑戦として形成されてきたのだと思います。当然ですが、つくる人は同時に見る人でもあります(芸術家が単につくる人だという大きな誤解をしがちなことは常に諌められるべきです)。これは本書のあらゆるところで強調されています。この状態によって過去の事物が芸術家たちと有意に情報をやりとりする事物のシグナル(signal, p.50)からシークエンスの生成(p.74)もようやく成立します。これによって時のかたちは紡ぎ出されるのではないでしょうか。以下二つ個人的に思い当たった例を紹介します。

例1)これprime objectかも?と思い直した個人的経験を解説します。本来は視覚的に感知しうる形態について紹介するべきなのですが、音楽(ドラムの音作り)についての話です。スネアのリバーブ(残響)を途中で断ち切って、まるで鉈を下ろしたような迫力ある音にする手法をゲート・リヴァーブ (Gated Reverb)といいます。その牽引役だった音楽プロデューサー・スティーブ・リリー・ホワイトによるその登場(=完成)は、ピーター・ガブリエルの『III』(1980)においてです。しかしその一年ぐらい前からスティーブの音作りがだんだんと変わっていることに気づいていた当時の私(レコード屋のアルバイト高校生)は、その連続的発展であったはずのその音作りの存在意義が、ピーターのアルバム上で全く変化したことにびっくりした記憶があります。それ以降この手法はチューニングがずれていくように次第にその特別な意味を薄めていきました。こんなように色々と自分の知覚経験と重ね合わせて考えてみるのが一番面白いと思います。ゲート・リヴァーブ誕生前後の音を確認しておきます。いずれもスティーブのプロデュースです。

XTC – Making Plans for Nigel – Drums and Wires [1979] 別のチューニングです

Peter Gabriel – INTRUDER – III(1980) ゲート・リヴァーブの誕生

Big Country – IN A BIG COUNTRY(1983) チューニングがずれた状態、その後廃れました

時系列できれいにその音作りの変化がわかりますが、ゲート・リヴァーブを別のシークエンスに取り入れ、その存在意義をさらに拡張してみせたのがジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)によるアルバム『フラワーズ・オブ・ロマンス』1981です。ちなみにこのアルバム制作の途中で、当初雇われていたスティーブは解任されています。彼のゲート・リヴァーブは換骨奪胎されてしまったのです。当時のジョン・ライドンの音作りの構想の大きさがよくわかります。PILはこの時が頂点であり、未到です。現在停止したシークエンス状態にあると思います。

PIL – FOUR ENCLOSED WALL – UNDER THE HOUSE – Flowers of Romance(1981)

例2)別例をもう一つ挙げます。ジャレド・ダイアモンドが編集した『歴史は実験できるのか』邦訳2018の第1章「ポリネシアの島々を文化実験する」(ジェイムズ・A・ロビンソン)です。ここにおいてポリネシア諸島に広がったココナツ削り機のオリジナル探しを、語彙、意味、形態(転用物含む)の変化による分析「トライアンギュレーション」(かたちが指し示す時空間を決定するには三つ以上要素が必要という示唆とも言える)という方法で行なっているのですが、それぞれが持つ偏流(drift)とそれらの系統年代(systematic age)の組み合わせを想定した方法です。これもまた、prime objects探しにかなり接近しているのではないかと思います。

質問をいただいた某教授は、以前からこの著作の重要性を認知していた人物で、おそらくどこかでその方なりの厳密な「解題」が登場してくるかと思います。その際にはまたおしらせします。良い年をお迎えください。

 

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原稿を長く書く方法(卒業論文など初めての論文作成の一助として・お試し版)


まず論文を書く作法については佐藤守弘先生の「学術論文を書くために」がとてもわかりやすいので推薦します。

また論文とは何かについて簡単に紹介した私のガイドもありますが、かなり古いので参考程度に確認してください。

ここでは、長い論文(ただし自然言語用)を書いたことのない方のために、より長く論文を書く方法を紹介します。以下二つ留意点があります。

・これは私が修士論文の時に個人的に編み出したと思っている方法ですが、月並みなものだと思います。なぜなら「本文を書く前に目次をまず書け」といわれる理由の根源になっている方法だと思うからです。あるいはアウトラインモードで原稿を書く方法そのものです。

・ここで紹介する方法は、論文を長く書くことを推奨するものではありません。論文は要領よく短くスマートに書くことの方が良いです。しかしながら長く論文を書いたことのない状態から、長く論文を書ける方法を知ることは、事象を丁寧に記述し、さらにそれを短くまとめ直す訓練として適していると言えます。

それでは進めます。書くべきトピックをとりあえず「カッパ巻き」にします。辞書で紹介されている説明よりも桁違いに長い「カッパ巻き」とは何かについての中編程度の論文を書きます。(なお参考文献や注の付け方等は他のガイドで検討してください。)

このトピックを書くにあたって卒業論文生に「カッパ巻き」で書くべき項目をあげてみてくださいとリクエストしたところ「ノリ」「きゅうり」「コメ」「」「巻く」などのサブトピックが出てきました。彼らの提案から類推するに、「カッパ巻き」という大見出しは、以下の中見出しに分解することができます。

  • カッパ巻き
    • 定義
    • 用いる素材
    • 調理方法
    • 備考
    • 小結(必ずつけてください)

ここに学生からもらった項目なども勘案しつつ小見出しまで作ってみると以下のようになります。なおこの小見出しはあくまでも例です。ここでの中見出し、小見出しはこの論文の独自性を構成する重要要素なのでまずは自分の興味やこだわりに従って決めてください。さらにその小見出しのトピックに見合った必要と思われる原稿用紙(400字詰)枚数を見出しごとに書いてみます。私は酢に少しうるさいので、ここに6枚を費やす覚悟を決めました。また巻きすを使った巻き方は、それを読者にわかってもらうためにはやはり6枚は必要ではないかと思いました。逆に海苔についてのうんちくはあまりないので2枚にとどめました。そのほか架空で書いておくべき項目を考えてみました。

  • タイトル:カッパ巻き
    • はじめに(定義と目的と方法) 2
    • 用いる素材
      • 適した海苔 2
      • ジャポニカ米 4
      • 夏のキュウリ 2
      • 食酢として適しているもの 6
      • 醤油か塩か 2
    • 調理方法
      • ご飯の炊き方 2
      • 巻きすでの巻き方 6
      • 最後の仕上げ 2
      • 切り方ともりつけ 4
      • 片付け 3
    • 備考
      • その歴史・なぜ「カッパ」か 2
      • 世界へのカッパ巻きの進展と課題 2
      • 美容への効果 3
      • 健康上気をつけたいこと 3
    • 小結(必ずつけてください) 4

もうここまでで執筆計画上必要な枚数は、49枚になっています。これがカッパ巻きというトピックを使って長い文章を書く方法です。つまりカッパ巻きというのはある要素群で構成された特定の組み合わせなのですが、これを要素ごとに分解すると、実はその要素はカッパ巻きよりむしろトピックとして大きくなるというのがミソです。またこの分解方法は、自分のカッパ巻きについて当然と思っている認識が相当偏ったり、省略していることを気づかせてくれます。カッパ巻きをこのように分解して、それを成立させている広大な時空間をまずは味わい、その後、それをより吟味してスマートに再構築すれば、著者独自のカッパ巻き論ができるはずです。そのために必ず、小結を書いて、カッパ巻きを再定義してください。いかがでしょうか。

*第1校投稿後、・備考>その歴史に「なぜ「カッパ」か」という副題を思いついて追記しました。原稿量は2枚で変えないようにしましたが、なぜ「カッパ」か?について真剣に答えようとすると、最低4枚はさらに書けそうです。またこのトピックは面白いのでスピンアウトさせて独立して書いても良いでしょう。項目を洗い出していくと、さらに新しい項目を発見することができるので、とりあえずこのトピックの分解方法は生産的でもあると思います。

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述語化するランドスケープ・石川初著『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い 歩くこと、見つけること、育てること』の紹介


石川初著『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い 歩くこと、見つけること、育てること』は石川氏が都市や地方で出会った、環境にかかわる具体的な事柄や経験を、独自に再定義した本である。
ようやく野良仕事(フィールドワーク)を終えて、その経験を振り返るように、机に向かった氏の日常をひしひしと感じる。そこでの省察は丁寧に書き込まれ、読者を決して置き去りにしない。タイトルにあるように、歩いた時のこと、見つけた時のこと、それを反芻しつつ著者の内部で育てられた時間など、複数の視点が重なり合って奥行きのある言葉が生み出されている。私感ではあるがその美点を紹介したい。

■美点となる書き方
この本は読んでいて心地よい。それは著者の書き方、筋道の付け方が丁寧だからである。建築すらその説明が難しいのに、さらに難しいであろう土木工作物を、まるで読者が「見てきた」(「読んだ」ではなく)ように思わせるその優れた叙述の例を以下に挙げる。人工的に形成された平坦な土地であっても「地形」が存在することの段階論法的な説明箇所である。番号は便宜的にふった。

1
地面に降った雨水は地表を流れたり、水たまりをつくったりする。水が流れるということは、そこがどちらに傾いた地形をなしているということであり、水が溜まるということは、その部分の地面が周囲よりも低い地形をなしていることを示す。
2
そのように見れば、たとえ人工物で覆われた都市にあっても、私たちの足元には地形が豊かにある。注意深く平坦に作られた舗装道路でも、薄い排水のための微かな勾配がつけられている。多くの車道では、排水は車道の両端に集められるように設えられている。
3
つまり道路は中心線に尾根を持った地形である。道路の両端には側溝が設けられ、車道と歩道の勾配は側溝に向かっている。…

「地形はどこにあるのか (第4章 地形と移動)」

私たち読者は、この叙述にわずか1センチメートルに収まる山系、水系の劇的な風景を感じることができる。本書はこのような環境要素のあざやかな把握に満ちている。彼ならではの経験と記述のフィードバックの回路がそれを可能にしている。そしてこの回路が、私が石川氏と野良仕事(フィールドワーク)をしている時に、常に彼の作業や言動に感じることそのものである。目次と各章の概要も紹介しておきたい。

■目次と各章の概要

  • 1章 FAB-G(ファブじい)
  • 2章 公園の夏
  • 3章 農耕の解像度
  • 4章 地形と移動
  • 5章 ベンチの攻撃
  • 6章 土木への接近
  • 7章 終わらない庭仕事
  • 8章 ランドスケープの思考

山間部に居住する老年層による器用仕事(ブリコラージュ)とその資材性(レヴィ・ストロース)を紹介したのが1章「FAB-G(ファブじい)」である。コンクリート片を切石のように積んだ石積みなど、日常の中から光る取り合わせを見出す石川氏の目が冴え渡っている。
2章「公園の夏」では複層の社会的ルールによって区画・意味付けされた空間として都市空間を規定し、「その他」の土地として規定された公園の潜在的可能性を論じている。
3章の「農耕の解像度」では極大から微細なスケールまで貫徹する大地の工学的原理(数センチでも堰は堰として機能する)の強靭な持続性を、農地化された古墳や、形態はそのままに水田化された平城京の大路の発掘例から論じている。
4章「地形と移動」では、これまであまり可視化されなかった微地形が、都市デザインの裏側でいかに深く効いているかを指摘している。密やかな先行形態論。
5章「ベンチの攻撃」では、座ること「しか」できなくなったベンチの持つ、行為への排他性から現在の都市空間の性格を論じている。
6章「土木への接近」では、土木工作物と日常生活とのスケールの乖離、違い、再遭遇を読み解く基準としてあげ、土木物の再定義を新たに試みている。
7章「終わらない庭仕事」では潜在自然植生(宮脇昭)の観念性を批判しつつ、日常的な造園作りが、人間も含めた都市内生態系(雑草、動物、人間、アスファルトなど)の諸要素間のプチ闘争とその持続する成果としてあること。それを、自宅の庭造りの例を通して紹介している。
終章の8章「ランドスケープの思考」では、ランドスケープおよびランドスケープ・アーキテクチュアの語源的不明瞭さを指摘しつつ、ランドスケープを作る(設計する)ことと、育てる(維持する)ことの間にある時差をふくめて、環境の最適化を不断に試みるものとしてそれらを再定義している。
なお上記概要は当方の読み方を強く反映しており、読者に応じてもっといろいろな読まれ方があると思う。

■述語としてのランドスケープ
終章ではランドスケープならびにランドスケープ・アーキテクチュアそのものの再定義を試みている。それがメインタイトルである「思考としてのランドスケープ」につながっている。その用法の説明を読んでいて、ランドスケープが名詞のみならず、形容詞だったり、ひいては動詞として用いられていることに気がついた。
https://ejje.weblio.jp/content/landscape
ここでarchitectureの翻訳語が、明治中期、「造家」から「建築」に変更されたことを思い出した。
本書によれば、landscapeも「造園」と翻訳されたのだという。
architectureはもともとは「造家」で、landscapeは「造園」である。どちらも述語(造)と目的語(家、園)で構成されている。その成り立ちも言葉の構造も似ている。おそらく出所は幕末・明治初期の同じ人々、組織だろう。
いずれも「〜を造る」という創造概念がはいっているが、architectureを造家と翻訳することは、当時まだ若手だった建築史家・伊東忠太によって批判された。伊東は「家」というこじんまりとしたまとまり方を嫌ったのである。そしてどちらかというと技術用語であった「建築」を、よりふさわしいものとして選んで、皆がそれに共感したのである(参考:現代語訳「アーキテクチュールの本義を論じて、その訳字を選定し、わが「造家学会」の改名を望む」)。「建築」は建て築くという動詞のみで構成された用語であり、主語も目的語もなくなってしまった。しかしその不在によって「建築」は社会で次々に現れてくる要素をドライブし、つないでいく述語として完成を見たのである。確かに造家より建築の方が、その駆動力において優れている。
石川氏は最終章においてランドスケープという言葉を総括している。その翻訳語としての造園に多少の愛着を感じつつも、伊東忠太のみが120年ほど前に気づいてしまった、身の回りの総合的な形成にむけて、彼の活動を移行させようとしている。その時に武器になるのは、石川氏がこの本でたくさん描き出した、風景を把握し、それによって環境をさらに形作る、行為としてのランドスケープである。それはここでの文脈で言えば、意識的に述語化したランドスケープである。石川氏特有のスケールの動かし方、ずらし方は、つまりランドスケープの動詞的側面なのだ。

彼はランドスケープを語るのみならず、書くことでランドスケープしている。

書誌情報
思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること 単行本(ソフトカバー) – 2018/7/20日発行
石川初 (著)、LIXIL出版発行、企画・編集 飯尾次郎(スペルプラーツ)
ISBN978-4-86480-038-9 C0052

1章 FAB-G(ファブじい)
100均の工作者
ハイブリッド石積み
サル追い装置
FAB-Gのスキル

2章 公園の夏
プレイヤーが見えるゲーム
ルールのレイヤー
地上の論理
公園の地割り
ローカルルールとしての例外条項

3章 農耕の解像度
里山古墳
農耕の解像度
遺存地割の解像度

4章 地形と移動
地形はどこにあるのか
地表の定義
見えない地形
地形を見るツール
移動すること、地図師になること

5章 ベンチの攻撃
震災時帰宅支援マップ
都市の登山地図
生存への移動
街路からの都市
ベンチと向き合う

6章 土木への接近
高速道路の表と裏
土木構造物の外側と内側
二つの異なる土木受容
団地に見る土木

7章 終わらない庭仕事
制度としての植物「造園」
行為としての植物「園芸」
都市の自然「雑草」
「園芸」としての庭
日曜大工の規範
「縁側」としての庭

8章 ランドスケープの思考
ランドスケープ・アーキテクチュア
造園
ランドスケープ
思考としてのランドスケープ

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「映画と大地の間にあるもの 『柳川掘割物語』その後」 雑誌『ユリイカ7月臨時増刊号 高畑勲の世界』に掲載されました。


雑誌『ユリイカ』の編集部から連絡をいただきました。逝去された高畑勲が監督した『柳川掘割物語』1987公開(DVDで発売中)について書いて欲しいとのことでした。

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恥ずかしながら全くこの水濠地域を描いたドキュメンタリーを知りませんでした。実は柳川にも行ったことがありませんでした。とりあえずDVDを見てびっくり。埋め立てられようとしていた掘割再生に関わる人々の活動を記録しているのですが、2月の寒い時期に行われる水抜き一斉ヘドロ掻き出し作業での地域の人々の様子などまさに格闘。また有明海を控えて干満によって毎日海面下に没する沼地を人の住むように灌漑した結果の特有の田園風景が記録されていました。え、こんな場所日本に残っていたのかと思い、教育的効果も高いため数名の志願学生と一緒に柳川調査を私たち自身も行いました。

テーマは、高畑が記録した地域活動や水濠の風景が今でも健全に残っているのか、変わったとしていたらどのように変わっているのかという変容調査です。高畑たちが記録した地域活動の大変さが今でも続いているのだろうか。その現在を見たかったわけです。

その結果は是非『ユリイカ』本誌にてご覧いただければと思うのですが、少し興味を抱いてくれるように以下余談を書いておきます。

まず泊まった旅館ですが、朝食用の座敷に通されるとそこに高畑勲が描いた色紙が同映画の撮影監督高橋慎二氏の色紙とともに長押上に乗っかっていました。いつものその土地らしい旅館を探すのが幸いして、どうやら高畑ら一行も泊まった旅館に最初から遭遇したようでした。こうなれば調査は早いもので、そのご主人に相談して、当時の関係者の方にもお会いしと、調査は縁の鎖を伝って行うことができました。(地元の旅館予約にネットで空きがありませんと言われても電話すれば少人数なら宿泊は可能なことが多いです)

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さいふや旅館の長押の上の高畑監督による色紙(ぶれています)

ヒアリングに協力いただいた、さいふや旅館の内山耕造様、旧柳川藩主立花家の立花民雄様、柳川市産業経済部水路課の松永久課長、三小田祐輔係長には示唆的なお話や多くの情報をいただきありがとうございました。立花氏によると地元の上映会で公開した時には上映時間4時間を超えていたと言います。さらにその前にはもっと長かったとも。今現在私たちが見ることができるのは2時間45分版にDVDでは22分の終章が付録に収録されていますが、これはまさに終章なので欠かさずにご覧ください。

 

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有明海の潟の様子です。生き物が今生まれているかのような風景です

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さいふや旅館の看板です

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旅館の横に併設されている喫茶室。確かに二馬力ぽいかも。

私が最後に感動したのは、柳川周辺の田園地帯の、初源的なため池をひきつぐ複雑な水濠の様子でした。柳川の体験は確かに地域教育に欠かせないと思いました。

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『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』が2018年日本建築学会著作賞をいただきました。


『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』(岩波書店2017)が2018年日本建築学会著作賞をいただきました。公式発表ページはこちらです。

受賞は、自分の苦労や喜びの内実が他者にも通じるものであったことが確認できるのでとても嬉しいことです。どなたかを存じ上げることはできませんが、今回の選評にとても励まされました。

これまでの比較建築史が、国家の枠組みや情報量に左右され、対象の選択が恣意的になりがちであるのに対し、本書ではプレート境界という地学事象を方法上の根拠にしており、社会的な恣意性が排除された斬新な切り口が提示されている。そもそもプレート境界に沿ってユーラシア大陸を横断するという試みを実践した建築学者は皆無であろう。言語も文化も気候も多様なこの地域を横断するという発想自体が驚異的だが、筆者は躊躇なく出かけ、余所者の入り込まない奥へと踏み込んでいく。生活に深く分け入るその体験に裏打ちされた叙述は、新鮮な発見に溢れた優れた比較文明論ともなっている。

本書は地球の地殻を構成しているプレート境界に特有な環境形成とそこでの建築文明や住文化との密接な関係を、現地訪問と文献調査を併せて報告した建築論的旅の記録です。

執筆の発端は東日本大震災発生一ヶ月後の被災地訪問からでした。土地が沈んだ現場に立ち尽くし、日本以外のプレート境界地域でも同じようなことが起こっているのだろうかと、ふと考えたことから始まりました。
その後様々な種類の地図を買い集め、日本も属するユーラシアプレートの境界が、東南アジア、インド、イスラム、地中海、アフリカの諸地域を横断しジブラルタル海峡にまで達していることを確認しました。にわか勉強を始め、古代文明の多くがプレート境界付近で発生していることにも気づき、破壊のみならず地殻活動の創造的側面を意識し始めました。プレートテクトニクスが新たな建築的意味を持って現れてきました。準備期間中に教えを乞いにいくと、無謀な計画を心配して同行してくれた先行研究者が複数登場しました。現地での会話は新たな発見に欠かせぬものとなりました。たくさんの記録をとりました。このブログにも途中、現地から送った記録などが残っています。

本書は、当方の思いつきをきちんとした活動に育ててくれたたくさんの人々や関係機関による、とうとい協力の賜物です。本書のあとがきにも書きましたが今でも思い出すのは、土地土地の激しい風景を一緒に経験したそんな人々の姿や声です。
そしてそもそも地球自体が人間に建築活動をうながした、大いなる建築活動であったことを身を以て知ることとなりました。

2-0-7. ヤズド(Yazd)周辺で撮影した山の景色。二つの山の円弧が繋がったカーブを構成している。.jpg

この活動の記録がこれからも特に若い人々に受け容れられ、読み続けられることを強く願っています。

以下に同学会からの求めに応じて作成した概要を置いておきます(途中現地動画あり)。

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「トマソンとまちを歩こう!」3学期第1回べてぶくろカレッジ2018年3月31日(土)開催!


街にひそむ無用の事物(=芸術の位相)を暴き出してしまった「トマソン観測センター」(創立約35周年!)が、精神障害や生きづらさを抱えた当事者の活動拠点・「べてぶくろ」主宰の講座にワークショップ講師として参加します。事物と人間内部の無意識を探索、共に生きる両組織がジョイントした歴史的快挙です。

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文京狭小純粋階段  撮影:鈴木剛

昨年べてぶくろより「何かまち歩きの…」と講座を依頼された時、瞬時にしてトマソン観測センターの方々の顔が浮かびました。打ち合わせを続け、本日だいたいこれでいいのではないかというタイムテーブルを組み上げました。

実施当日は、トマソン観測センター、中谷礼仁研究室、トマソン的視点を身につけたべてぶくろスタッフが参加者の方と街に出てトマソン物件の発見、そして設営会場にて品評会やディスカッションを行います。発見があるように無理せずゆっくりと時間を組む予定です。生きづらさを抱えた人もトマソンやべてぶくろ(浦河べてるの家)に興味を持っていたプロフェッショナル、芸術家の方もぜひご参加ください。

基本情報はリンク先をご確認の上、フォームにて申し込みください。30から40名ほどの催行人数にする予定です。http://www.bethelbukuro.jp/?p=1220

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真剣に当日プログラムを検討する講師の顔ぶれ(左より向谷地愛(べてぶくろ)、煙突に乗られたあの飯村昭彦(トマソン観測センター)、中谷、鈴木剛(同観測センター現会長)

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三者合意に達した時の記念写真です(撮影はべてぶくろ)。有料で人数に限りがあります。1日を使った長いセッションです。もうないだろう今回の企画、ご参加の上、是非みなさんで深い理解に達したいと思います。

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