日本建築学会大会(関東)一般公開記念シンポジウムに参加します。


来週、2011年8月23日から同25日まで、日本建築学会の大会が開かれます。例年、各地支部持ち回りで開催ですが、ことしは関東、会場は早稲田大学になります。

以下一般公開記念シンポジウムに参加いたしますのでお知らせします。ぜひご入場ください。詳細はこちら、日本建築学会についてはこちらをご覧ください。下記の通り出席者がそうそうたるメンバー。それゆえクロストークできない可能性もあり、当日資料(印刷するのでおそらく有料)に添付した当方の原稿を巻末に掲載しておきます。

テーマ:大災害を克服し、未来の都市・建築へ
日時::8月23日(火) 13:30〜17:30
会場:早稲田大学21号館大隈記念講堂大講堂
定員:1000名

内容
1) 趣旨説明:糸長浩司(日本大学教授)
2) 基調講演:伊東豊雄(建築家)
3) 未来の建築・都市について
都市:佐藤 滋(早稲田大学教授)
建築:中村 勉(工学院大学教授)
環境哲学:内山 節(立教大学教授)
4) クロストーク「未来の建築・都市について」

コーディネーター: 糸長浩司(日本大学教授)

サブ: 篠崎健一(建築家、日本大学准教授)
パネラー: 佐藤 滋(早稲田大学教授)都市計画
中村 勉(工学院大学教授)建築デザイン
横張 真(東京大学大学院教授)ランドスケープ
野原文男(日建設計)環境設備
伊東豊雄(建築家)建築デザイン
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ヨコミゾマコト(東京芸術大学准教授)建築デザイン
広井良典(千葉大学教授)福祉・定常型社会論
中谷礼仁(早稲田大学准教授)建築史
岡部明子(千葉大学准教授)都市生態学
牧 紀男(京都大学防災研究所准教授)都市防災
5) まとめ:小玉祐一郎(神戸芸術工科大学教授)
総合司会:中村美和子(中村勉総合計画事務所)

(以下当方の原稿)

調整律の消失と異なる時間の発生 −東日本大震災のもたらしたもの

Emergence of Untuned, Unexplained Tempo – The consequence of Tohoku Earthquake

中谷 礼仁1)

 NAKATANI Norihito 1

1)早稲田大学創造理工学部建築学科,准教授,博士(工学)、建築史

Associate Professor, Department of Architecture, Waseda University, Ph. D (eng), Architectural History1

写真1 被災当日直ちに検討された「学会に何ができるか」建築会館にて

1.

2011年3月11日は、東京の建築学会所有の建築会館の一会議室にいて被災した。その場所にいた理由は、筆者が2010年1月1日からの『建築雑誌』の編集委員会委員長を努めさせていただいたからであった。呑気かもしれなかったが、これまで編集委員と学会員の協力によって作り上げてきた同誌の特集シリーズが、この時間の推移によって、葬られてしまうのか、幾ばくかでも有用性を発揮するのか、他のいろいろなことを考える中でも考えた。そんな中で、建築会館の談話室でTVが映し出す津波の映像をどうすることもできず見入るしかなかった前会長以下各理事の姿を事務局に依頼して撮影した。

振り返って、筆者が進行を担当した2010年からの『建築雑誌』は被災後もその多くは生き残ったと思う。大切なことだと思うのであえて書いている。筆者は2010年冒頭の担当号にて会長挨拶に基づく雑誌の編集方針を以下のように書いた。

「等比級数的にかけあがる情報や課題の多さのなかで、その舵を決定することは難しい。むしろ現在の問題群をいかに整理すべきなのかを考えるべきであり、それだけでもたくさんの新しい特集ができてしまうだろう。」

その通りだったと思う。筆者は特集を、各編集委員から自由にあげさせ150を超える候補をつなぎ合わせて妥当な24の問題群を仮設定した。私たち編集委員は何も新しいことを提起する必要はなかった。ただ既に継続的に検討されてきてはいるが、解決されていない問題群をシリーズ化したにすぎない。この問題群は通常はそれぞれが異なる時間や空間を持ち、個別的に動き、同期しない。今回の震災は、端的に言えば、それら感知されていた問題群が一瞬に同期したのであった。時計店にかかる無数の時計が一斉に鐘を鳴らしたようだった。個別の問題が一斉に連動を始めた。それは恐ろしいことだった。

2.

その後の筆者の考え方、姿勢はそれほど変化しなかった。ただその暴走が始まった問題群を、従来の範疇ではなく、集合論的に再編成して、それぞれを異なる時間と空間に配置し直し、可能な限り非同期をうながすためのパラダイムを模索し続けている。

単一の問題解決はありえないが、国家機能はその最上の状態に置いても基準を一元的に検討することがその性格上不可避なことでもある。当然、反対的態度は発生する。願わくばその対立的見地が、よりよい解決を導くためのフィードバックとして尊重されることを切に願う。

個人的な活動としては、可能な限り現地に赴くことを旨とし、そこでの経験は常時研究室全体としても記録中である。ただ今回の震災で最も筆者がよってたつ「建築」の前提を根底から崩してしまったのが、現地で体験した地盤沈下による土地の消失であった。具体的には2011年4月29日から5月1日にかけて、造園学会の気仙沼調査隊に随行させていただいた時の体験である。満潮時には私たちのいた土地を波が襲い始め、あわてて避難した。奥を見ると津波が元住居地域を洗った形跡が見て取れ、その多くが水没していた。

建物を建てる土地がないというこの状態は、建築を専らとするものにとってはその専門性がほとんど無意味になる瞬間であった。

建築は古代以来、盤石な敷地に建てられるべきものであり、水平を出し、はじめて建築が始まるのである。よって水平という基準もなく、不定形の土地に原則として「建築」をつくることはできない。現行の法体制からしても上記の土地の存在が建築条件のひとつである。一方で、例えば先進途上国におけるスラムの多くが川岸に建っているのは、それが地盤ならびに敷地形状の不安定さによって私有することが困難な場所だからである。日本の近代化は、そのような弱い場所に近代的土木によって「土地」を作り出し、それを経済流通可能とし、私有可能としたのであった。ネコの額ほどの場所にもすでに私有権がはりめぐらされている。このような歴史的状況(歴史とはつまり生存の権利なのであるが)すらすでに前提となり得ないことを、建築分野にいる筆者としては痛感した。水平な土地造成の私有における継続的執着の軽重が筆者と事象をより大きな環境的見地から見る他の造園学会の同行者との大きな違いであった。

さて、今回の被災地にあって、新築は厳しく制限されている。それはいまだ土地が物理的にも公的かつ流通可能な状態になりえていないからである。この現状に比べて興味深いのは、1923年9月に発生した関東大震災での現象である。自発的な仮設住宅(これを今和次郎は与えられた仮設住宅としての「バラック=ローマを起源とする兵舎という意味」ではなく、ハットとして厳密に区別した)が雨後のタケノコの状態のように生まれた状況である。

ではなぜ今回の震災においてハットが出現しないのか。詳細な検討も必要であるが、冒頭の理由によっても明らかである。ハットですら土地が盤石でなければ成立し得ないからである。ハットがもし不法な占拠であった場合、その不法性を告発しうるのは土地に充分な客観性が存在するからである。しかし今回そのような土地の客観性すら不安定な事態となった。

マルクスがアジアにおける古代性の特質において述べるように、王権がまず行ったことは、国家としての土地を画定することであった。灌漑をなし、道を造ることであった。しかしこのような国家の役割は未だに変わらない。というのも道路は、公共的作業の最たるものだからである。そしてこの土地の画定によって、人間ははじめてその器官的特徴によってもたらされた前、後、右、左という方向概念すら現実のものとして獲得することができるといえよう。土地の消失は、その意味で建築というハードの前提のみならず、その元となる身体性の再構築を促している。これが個人的には最も難儀な解決すべきテーマである。たとえばこれまでの建築における身体論は、もっぱら個人的知覚、特に視覚優位のもとに論じられてきた。しかし今回の災害において身体とそれが身を置く共同体の危機とが決して切り離せないものであることが明らかになった。いわば共同的身体論という範疇の発生である。

3.

今後の方向性、自身の関連する活動について三点述べる。

まず端的にしか言うことはできないが、現在の最も大きな問題は、個別の問題群が一瞬に同期したことによる、それらをつかさどっていた個別の調整律(基準)の消失である。特に原子力発電所の爆発と放射性物質の飛散のもたらした長期間の影響は、今後の基準作りとその方法に根底的な変革を与えると思う。

次に、隠れた震災地問題である。現在は被災地の復興が急務とされるが、そのバックアップにはそれ以外の地での諸活動が緊密に関連している。つまりどこでも隠れた被災地なのであり、それは既に国家の枠を超えてしまっている。その調整は筆者の検討範囲を大きく超え出る。ただし、同種の意味で、軽微な被災地における伝統的建築や普通の民家が被った小被害が、その修理の遅れによって大きな被害となり、ひいてはその場所の景観が大きく変化することは好ましくないと思い、匿名的建築をレスキューするための特殊部隊を、ランドスケープ、理解力のある建築家、文化財研究者によって編成中である。これは短期的ではなく、中期時間的な活動となるだろう。

最後に、異種の学会が直接現地で現地からの参加者を含め、その場所の未来についての青焼きを描くことは大事であろうと思う。造園学会の調査隊への随行によって、現場にて異なった分野で学ぶ者が同時に検討し合うことがきわめて有効であることを確認した。また同時に、それら混成部隊による現地の方への聞き取りが多くの情報を引き出していたことを報告したい。つまり各学会による提言は、ややもすると専門閥的な色彩を帯び、不用意な対立を生じる可能性も否定できない。それよりは、おのおのの研究者が独自に部隊を組織し、それぞれの所属する学会、団体の承認のもと、被災条件の異なった多様な場所を前提として、より多面的かつ実践的かつ総合的なビジョンを提出しうる可能性は大いにあり得ると思う。

いずれにせよ、東日本大震災にもたらされた課題は長く継続し、世界的影響を与える。短期的解決から、従来を超えた長期的解決に至るまで、解決すべき空間範囲に見合った試行を繰り返し、そのフィードバックを吟味する智慧が、求められている。筆者も自分の専門性を働かせつつ、健康にも十分留意しながら、尽力したいと思う。

写真2 土地が水没した小港では、その後カキの養殖が再開していた。

rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、アーキオロジスト。早稲田大学建築史研究室所属、教授、千年村プロジェクト、日本生活学会、日本建築学会など。著書に『動く大地、住まいのかたち』、『セヴェラルネス+』など。
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