「第三の世界からの建築論」書評・アルキテクト編『好きなことはやらずにはいられない。吉阪隆正との対話』


書評です。「第三世界」について少し検討を加えています。半年経過したので著者責任で公開します。本がさらに売れることを願っております。

書誌情報 「書評 アルキテクト編『好きなことはやらずにはいられない 吉阪隆正との対話』」,『住宅建築』2015年12月号,2015.10.19

第三の世界からの建築論

中谷礼仁

1980年に吉阪隆正は63歳で死んだ。早逝だった。私が彼が教授を務めていた大学の建築学科に入学したのはその二年後であった。大学の図書室で手にとった初めての建築書が彼の死後にまとめられて出版された『乾燥蛞蝓(ルビ なめくじ)』だった。そのユーモアとスケールの大きさ、展開力ある文明論にうちのめされてしまった。建築学科とはすごいところだと刷り込まれてしまった。そのおかげで、昨今の建築界の常識に馴染めない部分が残ってしまった。

ただし吉阪の文章は、具体的と思いきや、それが何を指しているのか皆目検討つかぬことがよくあった。そんななか2年ほど前に、自分としては破格の古代文明調査に出かけたのだが、今そのときの経験を思い出しながら彼の文章を眺めると、ようやく吉阪の網膜に映った具体的な風景を想像できるようになった。

例えば、エーゲ海のキクラデス諸島にテラ島がある。そこは一夜にして消えてしまった幻のアトランティス大陸の候補地でもある。島全体が海に沈んでしまったカルデラの一部なのだ。島が近づいた時に見えたのは、100メートルを優に超える急激な断層面のうえでわずか一枚ひろがる白い集落だった。その集落に行ってみたら、ここが有名な「白い恋人」たちの舞台、イアという岬先端の港街であったことを初めて知ったのだった。今では完璧な観光地になっているものの、元は噴火による柔らかい表面の凝灰岩層に横穴住居が展開していたのであった。それは港に必要な見晴らしの良さにくわえて、危険地帯の中の人間の生活を鮮やかに示すものであった。地中海の彼方に何艘も行き交う船と丸い水平線が見えた。

「ここでいう環境とは、

人間を中心として見たときに、

その人間を、とりまく世界のことであり、

それは、宇宙のなかの

無数にある恒星・惑星中の建築、

それもその表面という

薄い球面の僅かな層だが

光がキラキラと輝く世界である。」

以上の吉阪の言葉は、そんな風景を思い出すとき、本当にぴったりとはまる。

テラ島に限らず、世界各地の山、海の僻地に展開する住文化は、そのすべてがとてつもなく厳しく貧しい環境条件の中で人間が屹立していることを示す証であった。

この時、翻って、私たちの普段の建築の舞台になっている都市はようやく相対化される。大都市は住まいの場所のみならず、地球の資源がなだれこみ経済資本として蓄積され、交換されるたまり場でもある。そこは時には世界的な危機をももたらす火薬庫でもある。

「一体人類の生活は平和の中を戦争が乱すのか、或いは戦争状態の中に時々平和が訪れるのであろうかとさえ疑わずには居られない。

…そしてどうも後者らしく思える。それならば、何故に戦争をし、何のために平和を求めるかを反省し、そこから出発しなくてはならないと考える。」住居学汎論

その平和の出発点として吉阪は、住居を標榜する。確かに住居とは人々が獲得可能な平和の礎なのだ。1950年という早い時点で、戦後イデオロギーにも安穏とせず、生活文化が、継続的な闘争に耐えつつ持続的に獲得しなければならないものであることを看破していたことに驚く。

このように彼の言葉は、平地の、いわば人間世界のみのイデオロギーに支えられることなく、自らが動きまわることによってなしえた成果である。時には地べたをはい、そうかと思うと空中まで急上昇して、世界を別の角度から俯瞰する。

そういえば、赤道直下のインドネシアで調査をしていた時、私を導いてくれた建築人類学者の佐藤浩司がぽつりと言った。「ここは東西南北の概念が弱いんだよ。なぜなら太陽はいつも一直線に上空を横切っていくからだ。時間の感覚も変わってくるよ」。

眩しくて太陽の軌跡を見続けることはできなかったが、その言葉で私はたちどころにその地域の空間概念を把握した。

世界中を飛びまわり、高峰を征服し、コルビジェのフランスのみならず、アルゼンチンでも教鞭をふるった吉阪による東西南北外しの世界地図遊びも、そのような経験から生まれたに違いない。それは平地のイデオロギーが北緯30度から50度あたり、文明圏と言われている場所から生まれた空間感覚を外そうとしたのだ。

さらに彼の射程は時間的にも長い。今回通読することによって、私は彼のギリシアをはじめとする古代神話への造詣の深さにも感銘を受けた。神話とは、平地的時間を超えた地球的時間を説明するための《具体》なのだった。巻末の詳細な年表、斎藤祐子による格好の入門論にくわえ、今回面白かったのは樋口裕康によるエッセイである。彼によって紹介されるのは、主に吉阪の日常における印象的な行動である。それが変なのだ。異常な早歩き、学生を引き連れてのカニ歩きなど。これらは吉阪たちが世界を別の角度から眺めるために案出した身体の所作なのだと理解できる。

さて、表題とした第三の世界だが、この言葉は使われなくなって久しい第三世界への可能性をふたたび期待してのことである。というのも第三世界とは当時の資本主義、社会主義陣営の対立構造からはずれたオルタネイティヴな地域を称するものであったからである。彼がヨーロッパでの教育のみならず、コンゴやブラジルやアルゼンチン、そして以前の中国へのアプローチに積極的だった理由は、以上のような平地の建築論を覆す文化のあり方を模索していたからにちがいない。吉阪隆正の、どこか遠くから、あるいは高いところから、正しいことをやるようにと、我々を叱咤してくれるような強烈な言葉。そんな彼の建築論は第三世界ならぬ第三の世界からやってきたと思えるのである。

このコンパクトな本は、そんな確実にある別の世界への方向性を考えるために、欠かせぬものになりそうである。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、早稲田大学建築史研究室所属、教授、日本荒れ地学会、日本生活学会、日本建築学会などなど。その正体はResercher of temporal architectural expression.
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