人間の場所 南ニアス集落にて The final of Long Architectural journey along plate tectonics, at Nias


●ニアス島に着いて– 前後、左右の感覚のもつ相違


ニアス島の人たちは私たちに似ている。それは彼らが、地続きの頃ではなく島国になってからどこか私たちの祖先の源流から別れてこの島に船で渡ってきたことを物語っている。
幾日も航海を続け、ようやく見つけた島。その豊穣さを証すのは山である。山があれば、雲が、雨が、寒暖の差が生まれ、川は流れ、すでに土地は肥沃であろうことを予想させる。すでに木々は大地の形を見せぬほど鬱蒼としている。

上陸すると、彼らはどのように彼らの住む場所を彼らのものとして占めたのだろうか。人間の知覚を司るものは、眼であり耳であり鼻でありそして重力を感じる体そのものである。島に向かったモーメントはそのままその島の中心である山に注がれる。彼らの生命を保証する存在であるところの山。

人間の持つオリエンテーションの最初の段階はそれら知覚器官が集中する前と、その反対としての後ろである。
彼らは前に進む。向きを変えずに後に進むことはできない。だから人間にとって前後というのは不可逆的である。
前に未来があり、後にこれまでの軌跡をえがいた過去がある。そのまま時間を戻すことはできない。
つまり前後は彼らの、そして私たちの持つ時間という感覚、観念に直結している。

さて一方、右左はどうだろうか。左右とは不思議な方位である。前後のような圧倒的な差異はない。それらは身体の中心から対称である。ほとんど同一なのだが、決して同じ向きで重ねあわせることができない。これは圧倒的ではないが根源的な差異である。また前後の持つ時間性に対して、こちらは常につきまとっている。
とりあえず言っておけば、前後と左右とは階層の異なる感覚である。
これを東西南北という4方向として整理したのはさらにずっと新しい、後付けの感覚であろう。なぜなら私たちは前後、左右はそれぞれ別のものとして瞬時に認知できるが、東西南北を地図、方位という観念なしに理解することは現在でもできないからである。

それではこの次元の異なる前後と左右とを一緒に考えなくてはならなくなるのはどの時点においてなのだろう。それは彼らが彼らの場所を空間として考えるようになった時である。空間は面積をまず占めるから、前後の階層性のほかに、左右を考えなくてはいけなくなる。
この問題はきわめて身近である。私たちが複数で食事に出かける。テーブルにつこうとするときに誰をどこに座らせるか、誰もがそれなりに考えるのと同じである。前後はわかりやすい。それは階級を表しやすい(上座、下座)。
左右はどうか。それは圧倒的ではないが根源的な差異、それも人間を生産する差異としての性差に結びつくことが多いように思われる。たとえば役割の違いであり、上下ではなく強弱という関係である。

●宇宙観以前の”生存観”へ
ニアス島の村々を見て回っていたときに、私たちの興味を集中させたのは、この空間の序列問題であった。それぞれの村々が、東西南北で平定された古代的宇宙観に固まる前の、きわめて流動的かつ根源的な差異を持ち、またその段階や展開がそれぞれに異なると思われたからだ。それは固定された宇宙観ではなく、今立ち上がらんとするばかりの生きるためのオリエンテーションであるように感じた。ニアスの集落はその意味でしっかりと生きていた。
カントやハイデガー、中沢新一や岡崎乾二郎をひもとくまでもなく、このような方位と人間の存在、そして彼らの住む場所に深く言及した先行研究はたくさんある。しかし今は旅先でその先達の獲得したものをここで丁寧に紹介することはできないので、あくまでもノートとして書き留める。
ニアス島の全体は上記地図で確認することができる。ほとんど赤道直下であり、伝統的な集落は東側の南と北に別れている。残念ながら現在のグーグルマップではこの地帯の解像度は驚くほど悪いので、以下に訪問した場所とその座標リンクを示しておく。この集落を回りながら、しだいに私たちは、集落のでき方とそのオリエンテーションの解読に興味を集中するようになった。先達の佐藤氏はすでにインドネシアを離れ、私と、再度ニアス部分に参加した林憲吾氏、そして佐藤氏があてがってくれた最高のドライバー&サーファーのKesaによる行状である。Kesaがニアス語をインドネシア語に通訳し、林氏がそれを日本語として中谷に後に伝えた。訪問した集落順に私たちの興味が集落のでき方とそのオリエンテーションの解読に、ひいては集落の展開段階説に立ち至るまでの概要を報告したい。

●訪問データ
訪問時期 20130829,30, 31
訪問者 中谷礼仁、林憲吾、Kesa(driver)

1. Hiliamaeta 0.580025, 97.751287

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

最初に行ったこの集落の軸線の通り方に圧倒された。集落は海辺から近いが急斜面を上った高い尾根に位置している。集落の真ん中に強い道が貫通し、振り返ってみると、その背景は見事な海である。まるで丹下健三である!
「これはもう都市ではないですか」と同行の林君が感嘆する。確かにこのまま街道に持っていっても全くおかしくない展開性があるのである。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

これは強い計画意図なしには形成できない集落の形である。
この遭遇経験が私たちのニアスでの興味を集落とその方位に集中させることになった。最後の旅の最後にふさわしいテーマだと考えた。それを考える点で確認すべきことを決めていった。誘導尋問をさけて、およそ以下のことを聞き取った。最初は色々聞いていたが、すべての村で貫徹して聞く意味があったのが以下の4要素である。
・強い軸線の呼び名とその意味
・同軸線の各方向に入口・出口概念があるかの有無
・同軸線に対する垂直方向(左右)概念の有無
・王(Raja)の家の位置
*なお、聞き取りが不十分な場合は私たちの所見で補強した。聞き取りは偶然会った一人もしくは二人程度に聞いたに過ぎなかったからである。

強い軸が通り、両方に家並みが通る。その片側に必ず王(raja)の家がある。これをI型と言うことにする。また街の真ん中ぐらいを起点としてどちらかの家並から垂直に街が拡張されT型となっているものも散見された。南ニアスの伝統的集落はこのいずれかの型に収束すると考えてよいと思う。この村の場合はT型であった。
また王と言っても超越的な王ではなく、世襲制の集落を束ねる氏族の長の中の最上位と思ってもらえばいい。現在でも王の子孫は存在している場合があり、その場合は必ず村に訪問する際に挨拶をする必要があった。雰囲気は日本の村にも似ていた。日本の村というのは結構古風なものだなと思ったりもしたのであった。
さて聞き取りを反映した模式図は書いてみたら以下のようになった。
Hiliamaeta
・この集落はほぼフラットな基壇状の上に形成されている。(訪問したすべての村がほぼ同一条件)
・強い軸線は”Lou”-“Raya”と言われる。
・”Lou”-“Raya”についてこの村では”depan(入口)”、”berakang(出口)”の意味が付け加えられていた。”Lou”-“depan(入口)”であり、”Raya”-“berakang(出口)”である。Louから入ってRayaから出るのだ。
・王の家はLouからみたときに右側、家並みの真ん中に位置している。
・家並みの片側を”kanan(インドネシア語で右)”、家並みの左を”kiri(同左)”と言っていた。これはLouからみたときに左右が一致する。

頭がこんがらがらないために、ここで結論としてすべての村の特性を表にまとめたものを事前に提出する(クリックすると拡大します)。
nias table
ここで最低限言えるのは、
・すべての村に”Lou”-“Raya”があること。
・Louからみたときに王の家が右側に位置していること(Hilinawalo Majinoを除く)。
・また”Lou”-“Raya”は東西南北とのつながりはないか、きわめてゆるい。

ことである。その他の、中くらいの有為性は解釈のしどころであろう。

2. Bawogosali 位置情報 0.654051, 97.756554

BawoGosali
先の模式図と説明にならえば、
I型。”Lou”-“Raya”の存在、”depan(入口)”、”berakang(出口)”が認められる。ただし入口出口の関係はHiliamaetaと逆で、Rayaが入口で、Louが出口である。

王の家の2つ隣の並びの家を見学、実測させてもらった。そのときの主人が私たちを見送る際に、王の家の前左横にあった「祖先の降りてくる石」の上に主人水からが降りてきた写真を揚げておく(あまり関係ないのですが…)。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

3. Hilinawalo Fau 位置情報 0.653725, 97.778579
Hilinawalo Fau
I型。先に表と模式図の見方をあげたので、この村の特性については割愛する。
この集落に訪れた時、巨大なヴォリュームと造形の王の家をみた。現在王の家は工事中であったが、王の家の前に見事な造形の広場があった。
急いでこの広場は何かと人に尋ねると、ewariといって、何か問題か集落全体で協議するような問題が持ち上がったときにここで合議するのだと言う。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

この広場の高低差の造形デザインは”Lou”-“Raya”、”kanan”-“kiri”の差異がきわめて巧みに繊細に現されている。いろいろな階級、役割を持った人々が座るので、一つの間違いもあってはならない。たとえば高低差を分析すると、”Raya”と”kanan”を最上の隅とする関係性が見事に現れてくる。現場ノートの中の番号は地面が低い順から割り振られている。王の家の前が一番高い。
IMG_0594
そこかしこに階級差を現すベンチの表現がある。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

たとえばこれは最も低い側のベンチ。台座が貢ぎ物めいた箱型の彫刻がされているのである。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

とにかくこの広場ewariは見飽きなかった。ここで私たちは集落のでき方のオリエンテーションが前後、左右の差異を端的に現すものとして的確にデザインされたのであることを強く肯定するに至った。

4. Hilisimaetano 位置情報 0.641066, 97.748785
Hilisimetano
I型。初日の最後に訪れたこの集落の印象もまた深い。夕方どきだったせいか、それぞれの家の前にできたそれぞれの庭にて、実を干したり、洗濯物を干したり、薪を並べたり、その間を子供たちが走りながら凧をあげていたり、とても懐かしい風景だ。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias
送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

この集落全体にいきわたるフラットな様子。階級制のみじんもないような開放された雰囲気はどこから来るのだろうか。王の家らしきものがない。集落の人にたずねてみると、王はすでにおらず、王の家も跡を残してなくなっている。王の家の前にある広場ewariは残っていて、合議の場合ここを用いるという。王の家の跡地を確認しにいくと、Louからみて右側の一番先のRaya側にあった。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

王はいなくなってしまったが、私はこの家がこれまでの観察からして最も古い集落形態ではないかと考えた。つまり入口から右の最奥に集落の長が居を構えると言う図式である。しかしその王はもちろん超越的なものではない。軸は王の家でふさがれることはない、つねにRayaとして開けられている。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

元「王」の椅子の背面彫刻

5. Onohondoro 位置情報 0.645982, 97.778009
Onohondoro
I型。翌日訪れた集落であった。左右の呼び名があった。興味深かったのはRaya側のLouからみて右の家並みが一部かく乱されていることであった。

送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo

付加された新築住宅部

そのかく乱は王の家を過ぎてさらにRayaの方に向かったところであり、家の様式も建設時期も新しい。おそらく王の家からRaya方向の両側の家並みは集落の拡張であり、当初はHilisimaetanoに似た家並みであったのではないかと推測した。この村ではRaya, Louいずれもがdepan(入口)である。Raya側の拡張によって、いずれもが王の家に向けての入口として同格になったのではないかと推測した。これは集落の展開段階を検討するときに重要である。

6. Baomataluo 位置情報 0.614367, 97.770155
Bawomataluo
T型がさらに展開したもの。一大コンプレックスであり、王の家は南ニアスの中でも最大級の規模を誇る。ボリュームも驚くべきものだが、船のようなその内部にちりばめられた彫刻群、構造体のダイナミックさは表現しにくい。帆船のようである。

送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo
送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo
送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo
送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo

王の家はT型の中心に位置し、その前にewariが存在する。王も健在であり、合議もewariで行われる。この家を見学させてもらうときに依頼者が見せた王の前でのふるまいの丁寧さに伝統が強く残っていること。そして日本の戦前の映画でよくみる「家」のあり方に共通していることを感じて、先にも書いたが日本の集落は相当古いのだと感じた。さすがに千年村が千カ所を越えるだけある国である。
ewariの椅子に目をやるとやはり階級差を巧みに現す。彫刻の有無から素材の違いまである。最も高いものと、最も低いものの違いはこのくらいある。ベンチに用いられるニアスの砂岩は研ぎ石に使われるくらいの上質なもので、この眼の細かい砂岩が最上となる。

送信者 20130829 Hiliamaeta, Hilisimetano, Bawogosal, Hilinawalo Fau, Nias

別集落(Hilamaeta)で見たベンチを用いた刀研ぎの様子

送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo

王のベンチ(王の家を正面にして、王の家側右側)

送信者 20130830 Siwalawa, Onohondoro, Bawamataluo

最も格下のベンチ(王の家を正面にして、手前左側)雨に弱い石灰岩は相対的に低い位置づけのようである。

7. Hilinawalo Majino 位置情報 0.706326, 97.853143
Himanawali majino
T’字型。性格の異なる北ニアス集落へ赴く直前に見た南ニアス集落最後の村である。面白いのは、王の家が軸上に位置しRayaの動きをそこで止めていることである。王の子孫が健在であったので、RayaとLouの存在をきいた。彼によれば、Louは私たちがやってきた「あっち」の方向であり、Rayaは驚くべきことに「ここ」だと答えた。
つまりRayaがもはや軸ではなく、場所として把握されているのである。そしてその中心はこの王の家である。

送信者 20130831 Hilinawalo Mazingo, Siwahili, Tomol, Nias

ここに集落の長が、超越的な権威を持った場合の事例をみることができるかもしれない。

送信者 20130831 Hilinawalo Mazingo, Siwahili, Tomol, Nias

王の家からみた眺め。ちなみに現在の王は、ここには住んでおらず、下の家並の家の一つに住んでいる。私たちに会う時だけ「王」として相対する。

●考察 根源的な差異がうみだす欠落感が、常に先の姿をアフォードする。
以上が南ニアス集落を訪れた時の記録である。最後にこれらを前後・左右と言う二つの差異に基づいた計画された集落としてとらえ、そのバリエーションについて検討して仮説を提示して終りたい。
citydevafford

I型…最初にあるのは前後概念としてのRayaとLouである。その軸線に則りつつ、超越的ではないが指導的立場にあった「王」を、Rayaの方角かつ右側においたのが最初の共同体としての空間表現であった。…集落4
この空間表現は、二つの将来的に埋めねばならない差異による欠落感を即時に生みだす。
一つめは、王がRaya側にいることのバランスの悪さ
二つめは、王が右側にいることの左右の不平等
である。以下の展開はこの欠落感をうめるようにして、世界を安定させようとする。

I’型…I型のバランスの悪さの一つめを平等にしようとして、集落の拡張をRaya方面に展開させて、結果的に王の家が右側の家並みの真ん中に位置するようにしたものである。これによってRayaとLouの均衡がとれたことになる。このタイプではRaya、Louともに入口という例(5.)があったが、この観念は以上のような操作によって生まれた平等の感覚だと推測する。…集落2,3,5

T型…I’型からのさらなる展開型であり、王の家から垂直側に家並みを作ることで、Raya-Louの軸線上に乗る左右の家並みを、垂直に突き出た新家並みに対置させ、より古くから続く格のあるものとしてRaya-Louの軸線がうみだす左右の家並の差異を消そうとするもの。…集落1, 6

T’型…このほかに図版では割愛したが集落7のように、王の家が軸線上に移動し、Rayaそのものの威光を体現する、超越的な存在への転化の例がある。これは集落全体が最も安定した状態となるが、その状態は固定されたのであった。構造的な成長はここで止まったのだということもできる。…集落7

*今回ニアスの巨大集落の家屋部分について言及しなかった。家自身の構法も見ての通りダイナミックこの上ない太い木材を三角に組み合わせている。土台、屋根双方とも斜材が多用され地震にも強そうである。しかし、家の部分は、板壁で屋根の荷重を支えるようになっており、明らかに土台、室内、屋根部分の構造が断絶している。室内部分に矛盾が集中したわむ室内のユカを梁とたがねて一体化させている。船内が強い構造体にはさまれたような格好になっているがその出自は現在の私にはいまだ不明である。

追記:この原稿をアップ後、すかさずこれまでのプレートテクトニクス境界巡りとどう関係あるのかという質問をいただいた。ここに応えたい。まずノートの落書きにペン入れしたものをアップする。ニアスの集落訪問初日の興奮冷めやらぬ夜に、同行した林君と話し合った時のものである。
nature-humanプレート境界は基本的にその土地の特色ある地質や地形が唯物的に優先した場所であった。以前に示した、スンバでの凄まじい断崖での居住をみるように、住まい方がそれらによって大きく決定されていた。しかしニアスは違っていた。土の表面は熱帯生い茂る有機質でよく練られ、作物もまた豊富であった。
威勢のいいドライバーのKesaが、空港に私を迎えにきてくれた時の言葉を思い出す。”Nias. Swimming Free, Fishing Free, Pick Coconuts Free, NO WORRYS” 確かにその通りだった。自然がそのままで人間が生きるには充分くらいの第一次生産物を保証していた。伝統的集落は津波を避けるためなのか、そのすべてが小高い尾根に位置していた。村と村とをつなぐ道路は交通に全く考慮されている感がなかった。山のかたち通りに上下を繰り返して別の集落に辿り着くのだ。車はおろか、馬さえも交通がむずかしそうであった。この集落と交通を想定しない道は、さきほど指摘した、周囲に有り余っている自然的生産物の存在を示唆するようだった。つまり環境そのものがすでに余剰なのである。それは都市的なものの生まれる条件の一つ(林)である。
この余剰の中で、むしろ人間はどのように住まいを考えるのか、それが疑問の中心になった。厳しい地形が優先していればこんな疑問は出ないはずであった。だから今回の論考は、今回の長い旅行で初めて出会った自然のカオス(要はどこでも住めそうなのである)の中から人間がどのように自らの住まいを決めていったのかを、検討したものである。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、アーキオロジスト。早稲田大学建築史研究室所属、教授、千年村プロジェクト、日本生活学会、日本建築学会など。著書に『動く大地、住まいのかたち』、『セヴェラルネス+』など。
カテゴリー: "On the Edge Tour 2013", Uncategorized タグ: , パーマリンク

人間の場所 南ニアス集落にて The final of Long Architectural journey along plate tectonics, at Nias への4件のフィードバック

  1. 佐藤浩司 より:

    もう半年になりますね。偶然ここに来てしまいました。旅行中の記事&本来の目的ではない部分ですが、今後のこともあるので事実誤認のみ訂正しておきます。
    南ニアス(にかぎりませんが)の集落はRaya(陸・山)とLou(海)を軸線にしています。ご指摘の通り。オーストロネシア語族に南北という方位はありません。Omo sebua (首長の家)をRayaの端に建てるのが集落構成の基本。Hilinawalo MazingoやHilinawalo Fau(現在はOmo sebuaを移転)などがこの形式。Rayaが通路になる場合(現状はほぼすべて)、Omo sebuaは東を向いて建てられます。左右の呼称はRayaを背負って呼ぶはずなので聞き取り間違いかもしれません。

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  2. 佐藤浩司 より:

    もう一点。用語の誤りのみ。ewaliはOmo sebuaの前の広場を指す名称ではなく、各家の前庭にあたる部分。Raya/Leu の軸線に沿って集落の入口から通路 iri newali が通り、この通路をはさんで前庭ewari がある。通路とあわせて集落全体を貫通する石畳の広場を形づくっている。ewariは洗濯物をならべたり、脱穀前の稲籾などを乾す場所、おもしろいのは、日常的に通路の延長部分として機能していても、それぞれの家屋が維持管理するcommonな空間だということ。巨石記念物のdarodaro(ベンチ)が置かれるのはewali から一段あがったsobewe harehareという空間。水路eleaをはさんで軒先mbelembele につながっています。

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  3. 佐藤浩司 より:

    慣習的な寄り合いのことをorahuといいます。なのでewali orahuaは寄り合いの広場、即ちOmo sebuaの前面広場をさすのでしょう。orahuは広場でやったり、Baleと呼ばれる集会場やOmo sebuaのなかでおこなったりします。
    本項の内容は、Omo sebuaが片側にあることによるアンバランスの解消、と考えるよりも、静態的な農村集落から動態的な都市型集落への移行とみたほうが素直ではないかなあ。。。

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  4. rhenin より:

    あわわわ、佐藤さん、ご指摘ありがとうございます。ご指摘いただいた部分、今度の金曜日までの主くださいとさせていただきます。また考えてみます。

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