Tondano, Limboto, Maros 水際生活のサバイバルセット Long architectural journey along plate tectonics from Indonesia to Gibraltar


スラウェシ島でこれまでおとずれた三つの水際集落を紹介してみたい。

同島は、インドネシアの中央位に位置している、アルファベットのKの字に似た特異な形をしている。これまでにスラウェシ島の三つの大都市をめぐった。最北端のマナド、そこから東に陸路でゴロンタロ、そして飛行機を使って、今、最南端のマカッサルにいる。トレースのデータ(KMLファイル)
2013-07-27 22.31.39
それぞれの場所は私たちのイメージするところの海縁の中都市である。当然多くの人が住んでいる。彼らを生きさせるためには、肥沃な生産地を必要とする。
ごく当然なことだが、それらの土地の高さは、海抜とほとんど変わりないのである。少なくとも海際の都市はいつ海に戻ってもおかしくないことが、だんだん実感されてくる。そのような海際の都市では、常に生産地としての肥沃な湿地帯を抱えていた。それぞれにおける一例がマナドはTondano湖周辺、ゴロンタロはLimboto湖、そしてマカッサルが隣のMaros周辺であった。

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スラウェシ島は複雑な大地の運動過程を持つ。Tondano湖は山上のもと火口湖、ゴロンタロのLimboto湖は海抜に近い高さに展開、そしてMaros周辺の地帯はプレートテクトニクス運動によって盛り上がった石灰岩が浸蝕されてでき上がった盆地とそれぞれに特徴ある地域であった。しかしながらいずれもぼこぼこと突き出た山の麓に展開する水平な低地であることに変わりはない。後二者はしばしば洪水に襲われることも確認した。稲穂が頭を下げているその様子は、まるで「海」であった。

1.
トンダノを訪れた頃は、それほど水際集落への意識がなく、とにかく典型的で、かつなにかしら極端な風景をさがしていた。この時は水際までせり出す魚の養殖を生業とする家のたたずまいの背後に、広い水田がひろがっていることを確認し、これらがちょっとしたレベル差で変わるのだということに気づいた程度であった。以下が次第に湖から水田に変わっていく様子である。

2.
さて、私が同行しているインドネシア住居研究者の第一人者であるみんぱくの佐藤浩司氏は、うしなわれゆく高床式住居の記録に余念がない。彼としてみれば、常に洪水に襲われる場所なのに、高床式住宅を棄てて、近代的とされる接地型のれんが造りの住宅に人々が乗り換えて、常に床上浸水をくらっていることが我慢できないのだ。私は佐藤氏に同行し高床式住宅のイロハをいろいろ授けてもらいつつ、二番目に訪れたゴロンタロにも、その横に都市と同じ大きさ位のうつろな湖があることに気づいた。地図で調べるとその名はLimboto。早速、足を伸ばしてみた。
オランダ人が建設したBinten(要塞)からその水際の集落を眺めて仰天した。水際に接地型の住宅ががんがん立てられていて、中には水没しているのではないかと思われるものまである。


遠浅の湖の真ん中には魚のための養殖囲いがあり、水際には葦とホテイアオイが使途もなく繁茂し、そのすぐ横にさきほどの水没しかかった設置型住居が多数建設されている。

ところで、調査はいまだ佐藤氏の目的を主として、古い高床式の住宅を探しては実測していたのだが、その立地条件には共通の特徴があることに気がついた。それらは湖から1キロ程度離れた場所に立地し、湖までの後背地が彼らの生活の糧である水田がひろがっているのであった。ここでもなお浸水はあると言うが、高床式なら大丈夫。おそらくこの立地環境は古くから存在していた安定したサバイバルセットであろうと思われた。

(古い形式の高床式住居の例。絶滅寸前。上記写真のリンク先には位置情報が入っているので、その場所を確認することができる。)
それでは一方で、あの水没しかけの設置型住居はどのようなところにあるのだろうか。一つサンプルを探し出し、居住者の許可を得て、敷地をぬけて、湖まで歩いてみることにした。

居住地の裏がすぐ湖であった。

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その配置をスケッチしていて気づいたのは、湖にかすかに畦がグリッド状に形成され、道路際(左側)は住宅地、そして次第に、牧草地、水田、沼、そして魚養殖へとグラデーションをグリッド単位で形成していることであった。なるほどここでは新しい居住者が湖を次第に干拓しているのだ。
水際の家はその前線であるが、すでに高床式は採用されず、わずかな土壌改良と煉瓦積みモルタルの上に接地式の住居が建てられるのだった。そしてどうやらヤシの木を植えることで土の流出を防いでいるらしい。住宅の敷地も湖に近いほどぬかるんでいて足を取られる。
洪水の際はどうするのかたずねてみる。対策らしい対策はないようで、
「去年も腰上まで浸かったが、家具を上げて、水の引くのを待った」(佐藤氏翻訳)
ということであった。
うーん、こういう生活もありかなあと思う。でも、日常的に多くの湿気を被っている身体は大丈夫なのだろうか。生活改善をしなくてはいけない等と、戦前の生活改善同盟の気持ちもわかったりする複雑さである。

宅地がなくなってもグリッド状の畦は続いていく。いつしかここが水田となっていくのだろう。荒びれていけばまたもとのスワンプに戻るのだろう。

3.
そして今日、到着したてのマカッサル周辺に先史時代の穴居と壁画が残されていることを聞き及び、単独で訪れた。その場所が、マカッサルへ到着する寸前の飛行機からの窓から見た独特の風景の場所であることに気がついたからであった。

上空から見るその風景は今までに見たことのない山の姿であった。まるでスポンジの穴がひろがるように浸蝕され、その麓に湿地帯がひろがるというものであった。

マカッサルからタクシーをチャーターして約30km。その目的地のマロスのLeang Leangという先史時代のサイトまでの集落を訪れた。タクシードライバーの話だから定かではないのだが、ここも洪水が多いと言う。するとその住宅のほとんどが高床式住居であった。それほど古くはないが装飾等、それなりの継続性を感じ、かつすべて木造である。佐藤氏が強調していた、死んだはずの高床式住居はここではなお生きていた。


その高床式住居を取り囲む風景はやはりこれまでに見たこともない風景だった。この地域は白亜紀に形成された海底の石灰岩がテクトニクス運動によって徐々に付加され盛り上がってできたものだった。それゆえ雨に弱いこの石質が上空から見たようにポーラス状に浸蝕され、急峻だが頂きが柔らかい不思議な山を形作っていた。そしてその山間を伝って豊富な水量と土砂が一気に低地へと吐き出され、肥沃な水田が形成されたのだった。折しも道路は脱穀場へと転じていた。水と土を吐き出す山、肥沃な水田、そのなかに点々と生きている高床式住居を見て、ようやく安定した環境のセットを見た思いがしたのであった。


これは付近の保護地区を流れる川の様子。

明後日からはスラウェシ島中央部、タナトラジャをおとずれて、人々の深い居住観念の世界をかいま見てくる予定である。

追記)今日マカッサルのロッテルダムフォートと言う元オランダ軍の拠点の中にある人類学博物館に行ってきたのだが、マロスは結構有名な土地であった。生で見た高床住居が写真展示されていた。居住しているのはブギス人。伝統的風習を保つスラウェシ島ではきわめて古い民族である。彼らによるボートづくりで使われるのはiron wood、日本ではウリンと言われている重たくて固い木で耐久性にきわめて優れていると言う。そういえば、佐藤氏が、高床式住居で使われる軸材は鉄木だと言われたことと結びついた。船と同じ部材でできているのであった。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、早稲田大学建築史研究室所属、教授、日本荒れ地学会、日本生活学会、日本建築学会などなど。その正体はResercher of temporal architectural expression.
カテゴリー: "On the Edge Tour 2013", Uncategorized タグ: , , パーマリンク

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