「World’s End」の風景 タンジェにて Long Architectural Journey along edge of Plate Tectonics, from Greek to Gibraltar


ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』によれば、ギリシア人の世界は、円い平たいもので、自分たちの国はその中央にあって、神々の居住地であるオリュンポス山、あるいは神託で有名なデルフィの町が中心にあった。そして、世界の平円盤は、西から東に地中海があり、その続きはエウクセイノス海があった。ギリシア人の知っていた海はこの2つだけであった。世界の周りには静かな大洋が流れており、すべての海や河はみなその水をこの大洋からもらっていた。(中略)西端には、エリュシオンの原(極楽の原)があり、神々の祝福によって不死の生を楽しんでいた。つまり、あまり広大なものとも考えず、世界の円盤の周辺には、神々の特別の寵愛を受けて幸福と長寿を授かっている人類が住んでいたのである。

蟹澤聡史「文学作品の舞台・背景となった地質学 7 地中海東部の地質とギリシア神話」『地質ニュース』624号、48−66、2006年8月

この旅行中、ノートの脇に挟んでいた論文エッセイからの抜き書きである。2013年6月21日、モロッコのタンジェ(タンジール)に到着した。その後、法政大学の陣内秀信先生の「フェズを見てから死ね」という言葉にしたがってフェズに赴いたが、最終目的地はアフリカプレート側からジブラルタル海峡が見渡せる、ここ、タンジェであった。
さてプレートテクトニクス境界をめぐって当方が最初に計画した4つの旅(インド、ネパール/イラン、トルコ/ギリシャからジブラルタルまでの地中海/インドネシア諸島)のうち、この地中海地域は、石の重さでも紹介したように、当方のこの地域に対する思い込みやトラウマを確認しながら、ひとつひとつはがしていく旅であった。
ジブラルタル海峡をみたいと思ったのも、同じような理由からであった。

というのも、先に引用したギリシャ人の世界観のように、ジブラルタル海峡には昔から、「世界の果て」としてのあこがれがあった。実際、西に行くに従い、アジア人を見かけなくなった。チュニジアでは一切会わなかった。モロッコも数は少なかった。元来極東の住人にとって、この大西洋に面する地域は地図上では最も遠いのだと思う。

「世界の果て」とはどのような風景なのだろう。バラードの「ヴァーミリオン・サンズ」のように、だんだんと色調が薄くなって、海が次第にひたひたと足下をすくっていく世界なのだろうか。もちろんそんなことはないのだろうが、実際に見て、歩いて、さわってみないと、こういう基本的なイメージというのは後々まで残るので厄介なのである。

19世紀に建設された海沿いに建つホテル・コンチネンタルに一泊し、早朝メディナ周りを歩いた。

そしてタクシーを頼んでタンジールから西へ約15kmの岬、Cap Spartelにおもむいた。

途中までの道は、何やら茫漠として、水平線が山よりも高く、「世界の果て」をつい思い起こしてしまうのだが、実際の岬は褶曲する凝灰岩で構成された堅固な大地であった。下図はWikipediaの英語版から転載した岬の地形立面図である。
Vista_de_Cabo_Espartel_por_la_banda_del_Norte_a_distancia_de_una_legua_(1732)
まずはここで当方の消えゆくような「世界の果て」幻想は一蹴されたのだった。

そばに鉄分を多く含んだ赤い層を含んだ岬もあったのでそこに降り立ってみると、一人の兵士が座ってずっと海を見ている。おそらくこの場所が監視の担当なのだろう。当然敵もやってこないので、和やかに挨拶する。先に行ってもいいかと言うと「どうぞ」と答えたので、さらに進む。崖の先端では、現地の人が磯釣りを楽しんでいた。

北方を見ればイベリア半島がきちんと見える。さらに「果て」は消えていく。普通に人々が行き来し、生きてきたのだ。

目的はあっけなく終った。
戻ろうとすると、運転手がもらった金額の予定ではヘラクレス洞窟(Grottes d’Hercules)も行くことになっているから、行こうと言う。目的も済んだので乗り気ではなかったのだが、観光名所か?ときくと、そうだと答える。
観光名所には必ず何かがあるので、行ってみることにする。

端的には岬を海水が浸蝕した洞窟である。

しかしそれだけではなかった。人為的に岩を削った跡があった。

洞窟の内部は明らかに人の手(何らかの定尺の道具を使っているが、凝灰岩だからそれほど大変ではない)による空間が形成されていた。ここは海に面した横穴住居であったのかもしれない。

その存在を前提として、再度洞窟から海の姿を眺めた。海の向こうには必ず新しい大地がある。そう思わせるような〈入り口〉としての海が見えた。足早に最後の目的地であるフェズに向かった。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、アーキオロジスト。早稲田大学建築史研究室所属、教授、千年村プロジェクト、日本生活学会、日本建築学会など。著書に『動く大地、住まいのかたち』、『セヴェラルネス+』など。
カテゴリー: "On the Edge Tour 2013", Uncategorized タグ: , パーマリンク

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