Dholaviraに人が住む基礎を見る。Kutch訪問2013年1月5〜9日


追記)ガーミンアドベンチャーなるものに情報をさらに公開してみました。

2001年の大地震後の「復興」が進むクッチ周辺を探索(予定は過去のブログ参照)。軟弱地盤でインド地震頻発地域の一つ。そこに古代文明発祥の地があるのだから不思議である。

1月6日、北方の泥住居を見学。泥で作った遊牧民たちの住居は充分に自力で復興可能な平屋の手作り住居なのだが、NGOたちの「がんばり」によって、ほぼセメント製にリプレース。泥住居は観光用に作られている。同7日、海岸沿いの中世の交易都市にいって崩壊している古建築の精緻なウッドワークを見る。海岸沿いの造船場所も見学。同8日、インダス文明の一つであるドラビーラに行って立地条件を調べる。ドラビーラ特有の傾斜は実は地震の影響とそれを基本としたメンテナンスにある(現地パンフで地震が途中で起こったことを確認)。同9日、Kutchの中心都市であるBhujにて地震の影響を確認。道路拡幅、セメント製へのリプレース、移住、広場の拡張と立ち退きなどヒアリング。

何はともあれ今回一番発見が大きかった、世界4大文明の発祥地の一つインダス文明の遺跡ドラビーラDholaviraでの見聞を報告。この独特な遺蹟のカーブが現代的です。

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この地を歩き回って、最初期に作られたといわれるSouthern Reservoir、要は貯水池。そこに行って何気なく眺めていたら、その尋常のなさに気づきはじめた。まずこれがSouthern Reservoir↓

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じわじわと驚いた方は、トマソンとか考古学とか地質学とかやられている方なんだろうと思う。図解すると、

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材質が大きく三つに分かれている。上から行くと、茶色いのがインド砂岩、ようは堆積岩である。その下の積み石は色が違っていて白い。大理石に似ている。ようは変成岩なのである。より整形され緻密に積まれている。そしてもう一つがこの貯水池のそもそもの母体であり、その白い積み石と殆ど同じ材質の大きな石の塊なのである。わ、これ、大きな石が矩形に切り開かれて、川沿いの貯水池になっているのだ。ドラビーラができたのは3000年前といわれている。何の報告書も見れていないので当てずっぽうなのだが、石をくりぬいて矩形として、その間に大理石のような積み石を積んで小さいダムとした。整形がきれいなのはそのためだろう。またよく見るとその大理石様の積み石のレベルが石に見事に合わせてある。その後、理由があって土地によく転がっている砂岩を積んでさらに貯水池の高さを作った。おそらく2、3回ぐらいは拡張のあとが見える。

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石切っている!積み石の時期が違う!こんなところで興奮して、デリーに帰って、「ドラビーラ 断面図」とかで調べてみたのだが、いっこうにこの重要遺蹟の断面がでてこない。間違い覚悟で推測すると、以下のような感じだ。

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つまりこの遺蹟の下には大きな岩がある。それを拠点に都市が始まったのである。その後、ジグラット状の壁を積みはじめ、町も拡張された。しかし初めて今回の旅で知ったのだが、ドーラビーラは大きな地震に遭遇しているらしい。ああ、あのジグラートは崩れて、それから無理のないように積み直したんだ、と思うと、この遺蹟の美しいなだらかなカーブの正体も見えてくる。これ地震によって生まれたカーブなのではないか。その後いささか壁面を急峻に高く作りすぎたのを反省してメンテナンスしているのではないかと思えてきたのである。そのカーブの代表例はこれ。部分的に排水経路が陥没しているのが見える。

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そのほか、面白かったのでいろいろ調べた。ドラビーラの蹴上げは約20cm。大理石時代の石積みの高さは写真から、砂岩時代の石積みの高さは約15cm。傾斜は写真からご確認ください。画像

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この最古の古代文明、塩の砂漠の中のアイランドにある。なぜこのような場所から文明が発生し、滅びたのか。いろいろ考えることができるのだが。地形環境の変化と、人が住むための水の確保と、堅固な基礎と、生存のための生産手段は絶対必要条件だということがわかる。

他にもいろいろなところを見たけれども、ドーラビーラを囲む真っ白な塩の平原(つまり元内海だった)には困った。死と美とが隣り合わせだ。ミラージュ化する送電線と水道管。

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下は別の日に行ったところ。まずは港湾都市マンドビの造船場所。すぐ砂が堆積するこの海岸の感じがよくわかる。隣の中世の港湾都市で見かけた崩壊したままの木造の古建築。再生するのには当時の技術を再現する必要がある。そのため撤去されてコンクリート製にリプレースされるか、このようにそのままにされて、屋外便所となる。

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北方の泥住宅。期待して出かけたのだが、ほぼ完全にリプレースされ、観光客用ゾーンとなっていた。あらかじめ生活階層をきめられたローカーストも多く、貧困が観光を生むいい見本となっていた。セメント製「泥住宅」へ向かう観光バスの列。きめ細かい砂に牛糞を練った壁である。村野さんが好きそうな大地との接触の仕方。

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最後の三枚は別の日に行った人が入れる塩の砂漠(White Rann)。濱谷さんみたいな不思議な写真になった。塩の平原を渡れなかった大イナゴが倒れていた。化石になるのだろう。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、アーキオロジスト。早稲田大学建築史研究室所属、教授、千年村プロジェクト、日本生活学会、日本建築学会など。著書に『動く大地、住まいのかたち』、『セヴェラルネス+』など。
カテゴリー: "On the Edge Tour 2013", Uncategorized タグ: , , , , , , パーマリンク

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