2012年度千年村最終詳細調査終わる 千葉県市原市島野地区


古凡村研究あらため千年村運動ですが、今年度行ってきた千葉県の調査の締めくくりとして市原市の島野地区の詳細集落調査を、早稲田大学中谷研究室と千葉大学木下剛研究室の合同で2012年11月17日から18日にかけて行ってきました。実際は島野の地域の方、そして地域の研究会の先生方との合同研究とでもいうべき、活動になりました。式内社である古代から存在する嶋穴神社に隣接する七ツ町(古代駅制も敷かれていた可能性濃厚)と金川原の地域の方々が、私たち学生の調査班それぞれに一人同行していただき、地域調査の協力を得るという、これまでに全く考えつかなかった方法を地域の方々が率先して考案していただきました。その結果として、これまでには考えられなかったほどの調査の蓄積ができました。そして連日とも各地区の公民館の会場使用と、女性の方々による炊き出し協力と最後の打ち上げと、本当に良くしていただきました。年度末までにはいい調査報告と集落調査図を持参して再び訪れたいものです。地域の皆様、本当に良くしていただきありがとうございました。と、同時に「千年村」という概念が今後の集落の生存に大切なアイデンティティを付与しうるものだという確信を持てました。

およそ80ある千葉県の「千年村」(実際、千年以上つづく村はもっとたくさんあるはずですが)でも、集落図作成にまでいたる詳細調査の対象として、関係者が島野を選んだ理由は、上の地図にもある通り、集落のかたちです。集落のかたちが、隣接する養老川の氾濫によってかたちづくられ、何回もの代謝を経てきた可能性があったからです。以前川だった場所は河道となりました。そこは昔は住宅地には不向きでしたから耕作地に使われ、川の氾濫によってできた、わずか1メートルにも満たない微高地が村のかたちをしているのです(特に金川原の集落のかたちに顕著です)。この微高地のでき方は、たとえば僕が好きなこの中州のかたちに近い(でき方は違っていますが)。

潮の満ち引きによってできたブーメラン状の中州で鳥が休んでいます。羽田空港近くの天国のような風景です。これと同質なものを島の周辺の集落のかたちから感じるのでした。

微高地の上の集落の廻りにひろがる水田の海。本当に「島野」なんですね。

「島」と「川」との境です。

元川道だったところにも建築されていますが、背景の古い部分とは明らかにたたずまいが違っています。こういう違いを実際に行って、建築班はたてものの材質や古さや屋根の形を調べ、環境班は植生や地形のかたちを調べて、総合的にこの地区の生存のあり方の歴史とその正当性を分析しようとしています。とにかくこのような調査が地域の人にもおおきな興味をもっていただいたことに感銘を受けました。新しい計画道路の話などもありますが、この千年村のかたちがうまく残ることを願っています。

平凡だけどいい村、これが千年村の秘密であり、むかしこの研究の初期に石川初さんが名付けた「古凡村」のエッセンスなのです。

「超」合同調査隊の一場面です。本当にどうもありがとうございました。これからお礼状をまとめます。いろいろと仕込みに大変だった学生の方もよい研究につながってよかったですね。

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、早稲田大学建築史研究室所属、教授、日本荒れ地学会、日本生活学会、日本建築学会などなど。その正体はResercher of temporal architectural expression.
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