瀝青会著『今和次郎「日本の民家」再訪』が刊行されております。「はじめに」を掲載しました。


足掛け6年、構想期間入れたら8年ぐらいの作業がまとまりました。平凡社より『今和次郎「日本の民家」再訪』として3月26日に発売されました。

「九〇年前のあの民家たちはいま、どうしているだろう」とオビにもありますように、この作業は考現学の始祖などで知られる今和次郎(1888−1973)が1922年に上梓した『日本の民家』に収録された無名の民家たちのその後の90年を、追跡紹介した本です。

活動主体は瀝青会、当方の他、ランドスケープアーキテクトの石川初さん、写真家の大高隆さん、民俗学の菊地暁さん、文化遺産保存学の清水重敦さん、建築家の福島加津也さん、民家史の御船達雄さん、編集者の飯尾次郎さん、そのほか多くの学生たちによって構成されました。柳田國男、佐藤功一、今和次郎らによる民家調査組織「白茅会」の90年後の活動主体名として瀝青=アスファルトを選びました。

筆者の最近の作業の最も大きなものとなります。実質400ページ越え。本書に掲載した「はじめに」を紹介します。興味のある方はぜひ手に取っていただければ幸いです。

はじめに

今から90年前の1922年、早稲田大学建築学科の教授になりたてだった今和次郎(1888-1973)という男が『日本の民家 田園生活者の住家』という名の本を小さい出版社から上梓した。当時から失われつつあった日本各地の家々の様子についての記録と論である。

「民家」は二つの意味を持っている。一つは茅葺きに代表される伝統的な民の住まいである。もう一つはニュースでもよく用いられる、普通の住まい一般に対しての名称である。何の変哲もない、無名の住まいたちである。今和次郎の「民家」はそのいずれをも含んでいた。文化財には指定されないが、連綿と続いてきた庶民の家が活写されていた。彼によって生活の知恵が、そして生きることの実相がさりげなく描かれていた。しかし無名の住まいを選ぶ基準はない。そのような匿名的な住まいを彼はいったいどのように選び出したのだろうか。そして採集された家々はいま、どうなっているのだろうか。

ふとそんなことを思いついた。いてもたってもいられなくなり、私の研究室に所属していた学生たちと探してみることにした。それから約5年が過ぎた。その間に勤務先も、大阪市立大学から、今和次郎そして私の古巣の早稲田大学建築学科に変わった。いつしか私たちの活動は何人もの有志を巻き込み、自分たちを瀝青会と命名した。瀝青とはアスファルトの意味である。90年のあいだにほとんどの道が舗装された。私たちはその後を歩かざるをえないからである。今和次郎が遭遇した民家を探索、再訪する経験は、次第に私たちに固有のテーマをあたえた。

その成果は巻末に付属した論文「今和次郎著『日本の民家』(1922 )所収の民 家再訪調査 ‐「無名」の民家を基準とした日本の居住空間・景観の変容分析‐」に端的にまとめている。そのほかの章との重複もあるがご容赦いただきたい。

しかしぜひ、瀝青会が、ひとつの疑問から、行きつ戻りつ、次第に実体的な運動へと展開した過程をこそ読んでいただきたいと思う。各章は、瀝青会が考え、旅した順序にしたがって掲載されている。唯一、最初の章「林檎のなる家へ」は東北地方を扱ったものであり、私たちの最後の旅の報告である。イントロダクションとして好適と思えたので一番最初に読んでいただくことにした。2011年3月11日に発生した震災を経てもなお、民家という大地が育んだ「林檎」は落ちることがなかったからである。

道を尋ねる私たちに快く、時には我が身への問いかけのようにご対応いただいた土地の方々に感謝したい。

2012年1月15日 瀝青会 中谷礼仁

調査途中の瀝青会の活動記録は部分的にウエブで掲載されています

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rhenin について

中谷礼仁(なかたに のりひと)歴史工学、アーキオロジスト。早稲田大学建築史研究室所属、教授、千年村プロジェクト、日本生活学会、日本建築学会など。著書に『動く大地、住まいのかたち』、『セヴェラルネス+』など。
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